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代表からのメッセージ

はじめまして。つみきの会代表の藤坂龍司と申します。

つみきの会のことをご理解いただくために、私がABAと出会い、このつみきの会を作るまでに至ったいきさつをお話しします。

娘の誕生

私には、現在(2009年)中学2年になる自閉症の娘がいます。名前は「綾」です。

95年に綾が生まれるまで、私は障害児療育とは無縁の人間でした。当時、私は短大で憲法や政治学を教える講師をしていました。

綾は私たち夫婦にとって遅く授かった初めての子どもでした。私たちは初めての子育てに戸惑いながらも、幸せいっぱいでした。

しかし今から思えば、生まれたときから綾は普通の子どもとは違っていました。

まず異常に眠りが浅く、やっと寝入ったかと思うと、ものの15分もしないうちに火がついたように泣きだすのでした。妻は極度の睡眠不足に悩まされました。

それにいつもむっつりしていて、めったに笑いません。目も合いにくく、顔を正面に持っていかないと、私たちを見てくれませんでした。

それでも体の発育だけは順調で、1才を過ぎると歩き始めました。次に親が期待するのは「ことば」です。私たちはいつ言葉が出てくるだろうか、とわくわくしながら待ちました。

しかし綾は「ダリダリ」とか「オバババ」といった無意味な発声をするだけで、いつまで経っても意味のある言葉を発してはくれませんでした。

私たちは、どんなに綾の言葉を待ちわびたことでしょう。しかし言葉が全くないまま、1歳半が過ぎ、2歳の誕生日が近づくにつれ、私たちの心の中で、不安が抑えようもなく大きくなってきました。「この子には障害があるのではないか」ということです。

それは当時の私たちにとって死刑の宣告に等しいことでした。ですから不安に思いながらも誰にも相談することなく、ただただ、言葉の兆しを待ち続けたのです。

しかしついに言葉がでないまま2歳の誕生日を迎えたとき、私たちは綾に何らかの障害があることを覚悟せざるをえませんでした。私が育児に関する本を読んで、知的障害に関する記述が綾にすべて当てはまることを妻に告げたとき、妻はリビングの床に座り込み、私の腕の中で、大声で泣き始めました。

ABAとの出会い

私たちは数日、悲嘆にくれた後、何とか立ち直って、行動を開始しました。

まず地元の保健センターに連絡して、専門の病院を紹介してもらい、診断を受けることにしました。そこで告げられた診断名は「自閉傾向の疑い」というものでした。

それと同時に、その保健センターが主催する親子教室に通うことになりました。その教室で臨床心理士の先生に言われたのは「何かを教えようとしてはいけない。とにかく一日何度でもほめて、抱きしめてあげて」ということでした。私は「そうか」と思い、家に帰って綾をほめようとしたのですが、ほめようにも綾は何もいいことをしてくれないのでした。

そんなとき、ふと本屋で手に取った一冊の本が、私たちの運命を変えることになりました。それはキャサリン・モーリス『わが子よ、声を聞かせて-自閉症と闘った母と子-』(NHK出版)という本です。

この本の著者、モーリスさんはニューヨークに住む母親です。彼女の娘アン・マリーも、ちょうど2歳の時に「自閉症」と診断されました。モーリスさんは娘をよくするための情報を一生懸命に集め、ついに耳よりの情報をキャッチしました。ロサンジェルスで、ロバース博士と言う人が、ABA(行動療法)という方法で19人の自閉症幼児を治療し、そのうち9人(47%)が知的に正常になり、普通学級に通えるようになった、というのです。

モーリスさんは、さっそく大学院でABAを学ぶ学生をセラピストとして雇い、アン・マリーの治療を始めました。アン・マリーはわずか数カ月のうちに劇的に回復していき、ことばも社会性も豊かになって、ついに医師によって「もはや自閉症とは言えない」と診断されるまでになりました。

私はこの本を読んで興奮しました。「こんなにいい方法があるのなら、わたしたちもやってみよう。もしかしたら綾を治してやれるかもしれない」と思ったのです。妻にも本を読んでもらうと、幸い、熱心に賛成してくれました。1997年7月のことでした。

セラピーの開始

私は勤め先の短大がちょうど夏休みに入ったばかりで、時間の余裕がありました。そこでセラピーは私が担当することにしました。

問題はマニュアルです。『わが子よ』にはロバース博士の『ザ・ミーブック』といういいマニュアルがある、と書いてあったのですが、残念ながら日本語には翻訳されていないようでした。幸い、近くの大学図書館に、すでに絶版になったロバース博士の、言語訓練に絞った古いマニュアル、『自閉児の言語』の翻訳が所蔵されていたので、それをコピーしてむさぼるように読みました。

マニュアルが手に入ったので、いよいよ実行です。私たちは家の一部屋をセラピー専用の部屋と決め、そこにベビー椅子や教材グッズを持ち込みました。強化子として、綾の好きな揚げせんべいやジュースも用意しました。

私は綾を抱きあげ、ベビー椅子に座らせました。綾は、いつも通り、気が向いたらいつでも椅子から抱き上げてもらえると思っていたのでしょう、素直に椅子に収まりました。

しかし私はもう勝手に椅子から立たせるつもりはありませんでした。ロバース博士のABAセラピーでは、はじめのうち大人が絶対的な主導権を握ります。決して長く椅子に座らせ続けることはありませんが(だいたい5分に一度は立たせます)、いつ立つかは大人が決めるのです。私はもう昨日までの甘いパパではありません。きびしい教師にならなければいけないのです。

綾は椅子に座ったまま、おもちゃでしばらく遊ぶと、飽きて立ち上がろうとしました。そのとき私は綾の膝を押さえて、立たせないようにしました。綾は私の理不尽な仕打ちに驚いて、火がついたように泣き始め、「2歳の子どもにこんな力があるのか」と驚くほど強い力で立ち上がろうとしました。綾がついにあきらめて座るまで、30分もそうし続けていたでしょうか。これが私にとっての「戦闘開始」でした。

(本当はこんな風に力づくで椅子に押さえつけるべきではなく、プロンプトして無理にでも正解させて、すぐに立たせた方がいいのです。でもそのときは知識がなくて、こんな方法しか思いつきませんでした。皆さんはどうかまねしないでください)

ことばが出てきた!

それから毎日、私は1回45分のセラピーを1日3回続けました。最初のうちよく泣いていた綾も、一週間ほどすると慣れてきたのか、ほとんど泣かなくなってきました。「パパの言うことを聞いていれば、お菓子がもらえるし、早めに立たせてもらえる」とわかったのかもしれません。

ロバース博士のABA早期集中療育では、最初にマッチングや動作模倣、音声指示といった初期課題をじっくり教え、学習の基礎ができてから音声模倣に取り組みます。しかし私の手元にはまだ『ミーブック』の原著がなく、言語訓練に限定した『自閉児の言語』しかありませんでした。ですから私はほかの訓練と並行して、いきなり音声模倣の訓練を始めてしまいました。(ここでも皆さんはまねをしないで、まず動作模倣や音声指示から取り組んで下さい)

『自閉児の言語』によると、最初は何でもいいから子どもが発声したら、お菓子のかけらをあげるなどして強化します。私は綾を椅子に座らせて、綾が何か声を発するごとに「黄金揚げ」のかけらを口に放り込みました。すると本当に発声が増えてきました。

次の段階は、大人が何か発声して、それから数秒以内に子どもが発声すれば、たとえ似ていなくても強化します。綾は「パパが何か言った後に何か言えば、お菓子がもらえる」とわかったようで、盛んに発声するようになりました。

次はいよいよ大人の発声に似た発声だけを選んで強化します。私はここに来てロバース博士の方法に、自分で思い付いた「改良」を施しました。綾が何か声を発したら、こちらが逆にそれをまねしてみるのです。綾が「あ」と言えばこちらも「あ」と言い、綾が「お」と言えば、こちらも「お」と言います。そうやって声を合わせていくうちに、綾もそのことに気づいて、逆にこちらの音に合わせてくれるようになるのではないか、と思ったのです。

はかばかしい成果がないまま数日が過ぎました。日を追うごとに、「本当にこの方法でいいのだろうか」と不安が募ってきました。でも幸いなことに、ほどなく綾は、何が求められているかを理解したようでした。それまでは、しばらく私と同じ音を言い合っていても、私がさきに音を変えると、それについては来ませんでした。しかしそれではお菓子がもらえないとわかると、私の音の変化に忠実に合わせるようになってきたのです。音声模倣の始まりでした。私は初めての大きな勝利に興奮しました。

数日後、さらにうれしいことが起こりました。その日、セラピー以外の自由時間に、私と妻は、綾に型はめパズルをさせていました。私たちが、ピースをはめる場所を指さしながら、「ここ、ここ」と盛んに言っていると、綾が突然、「ココ」とぎこちない声で言ったのです。

私たちはびっくりして、顔を見合わせました。たちまち喜びが胸にあふれてきました。たとえおうむ返しでも、綾が言葉を口にしたのは、これが初めてのことだったのです。

物には名前がある

それから2,3週間のトレーニングで、模倣できる音がかなり増えてきました。日常生活でも、「パパ」と言ったら「パパ」、「ヤヤ」(綾のあだ名です)と言ったら「ヤヤ」とまねできるようになりました。しかしまだオウム返しをしているだけで、人や物に決まった名前があることを、理解したわけではありません。

セラピーでは、「物の受容的命名」と言って、テーブルの上に例えばコップとつみきを並べて、大人が「コップ」と言ったらコップを、「つみき」と言ったらつみきをさわる、という訓練をしていましたが、一ヶ月近く経っても、全く進歩が見られませんでした。コップを見せて「コップ」と言ってやると、「コップ」とまねするし、コップを取るのですが、「コップ」と「つみき」をランダムにまぜて言うと、もうわけがわからなくなり、でたらめにどちらかを取り始めるのです。物を変えたり、やり方を変えてもだめでした。

私は、「もしかしたらこれは綾にとって『超えられない壁』なのではないか」と、また不安になってきました。

しかしそうするうちに、音声指示の課題が進んできて、「あたま」と言えば頭にさわれるし、「足」と言えば足にさわれるようになってきました。私は「体の場所が分かったのなら、体に身につける物の名前なら分かってくれるかも知れない」と思いました。手袋や帽子といったものです。

私は靴下からやってみました。申し遅れましたが、私の妻は台湾人なので、この当時、家では幼児中国語をよく使っていました。靴下のことは「ワーワー」と言います。私は綾を椅子に座らせ、片足に靴下をはかせて、「ワーワー」とこちらが言うたびに、靴下をさわらせるようにしました。

それができたら、「ワーワー」と「あたま」「おなか」などすでに分かっている体の名前をランダムにまぜて言いました。すると、これは正確に区別できるようになりました。

次に、靴下を脱がせて、はだしの足の横に置き、「ワーワー」と言ったら靴下を、「あし」と言ったら足をさらせるようにしました。するとどうでしょう。私が「ワーワー」と「あし」をランダムにまぜて言っても、綾は間違えることなく、正しい方をさわれるようになりました。綾ははじめて、自分の体から離れた物に固有の名前がある、ということを理解したのです。

これをきっかけにこの課題も順調に進み始め、しばらくすると「ブーブー」(車)や「ジュース」など、身につける物以外の物の名前も覚えてくれるようになりました。しかも名前を言われてそれを選ぶだけでなく、自分でも「ジュース」「抱っこ」「あけて」など、意味のあることばを使えるようになってきました。綾はことばを話し始めたのです!ABAセラピーを始めて、わずか一ヶ月半しか経っていませんでした。

進歩と停滞

ようやく綾が言葉を使い始めた頃、私の夏休みが終り、職場に戻らなければならなくなりました。私の代わりに妻がセラピーをするようになりましたが、妻のやり方はかなりスパルタ式で、ほめることが少なく、理想的なABAとは言い難いものでした。私も仕事の合間を縫って、一日1,2時間はセラピーを続けましたが、課題の進め方一つとっても妻と意見が対立することが増えてきました。

それでも、それからの一年間で、綾はいろんなことができるようになりました。「パパ、ジュースちょうだい」などの三語文も言えるようになったし、色の名前や「大きい・小さい」の区別も付くようになりました。上・下・横などの位置の概念も理解しました。スプーンも上手に使えるようになったし、30ピースのパズルで遊べるようにもなりました。

2年目に入り、課題が中級の後半に進むと、どうやってもクリアできない課題が増えてきました。残念ながら、綾はアン・マリーのように自閉症から脱却するわけにはいかないようでした。それでも私たちは、ABAセラピーを続けました。進歩が続いている限り、あきらめることはできなかったし、回復しなければセラピーが無意味というわけではありません。たとえ障害は残っても、将来の自立に向けて、できることが多いに越したことはないからです。

つみきの会の設立

2000年の春を迎え、綾は幼稚園に入ることになりました。綾は依然として障害が残っていたので、妻が幼稚園に付添うことになり、家庭でのセラピーも、時間を減らして継続することにしました。

私はABAセラピーを始めたときから、「この方法を他の親御さんにも広めたい」と思っていました。こんなに素晴らしい方法なのに、周囲の人は誰も知らないようだったからです。しかし最初の2年間はそれどころではなく、わが子のセラピーで手一杯でした。一番知らせたかったのは、同じ保健センターの親子教室に通っていたお母さんたちでしたが、私たちはABAセラピーを始めるとすぐ、教室をやめてしまっていました。

綾の入園が近づいたとき、私は「行動に移すならこれが最後のチャンスだ」と思いました。これ以上ぐずぐずしていたら、私の中でABAは過去のものになり、行動に踏み切る勇気は二度と出なくなるような気がしたのです。

そこで私は勇気をふるって、一歩を踏み出すことにしました。3月の春休みに「行動療法を広める親と教師の会」という架空の団体名で近くの公共施設を借り、ABAについて説明するセミナーを開くことにしたのです。

場所を借りたら、次は宣伝です。私は保健センターの親子教室が終わる時間を見計らい、センターの建物の外で待っていて、それらしき親子連れが出てくるたびに、セミナーのチラシを手渡しました。とっても恥ずかしくて、勇気が要りました。10人くらいの人が受け取ってくれたでしょうか。それが限界でした。あとは当日、人が来てくれることを祈るしかありません。

セミナー当日、うれしいことに人づてに話を聞いて、20人ほどの人が集まってくれました。私は一生懸命、ABAのこと、ロバース博士の素晴らしい成果のこと、自分の娘の進歩のことをお話ししました。皆さん熱心に聞いて下さいました。私が、ABAセラピーをやりたいと思う人には、私がロバース博士の『ザ・ミーブック』を少しずつ翻訳して、そのコピーをお送りします」とお約束すると、10人以上の人が、「送ってほしい」と言って下さいました。この時の出席者が、のちにつみきの会の初代の会員になって下さいました。

私はそれから『ザ・ミーブック』を一章ずつ翻訳しては、そのコピーを、その時の参加者に送り続けました(著作権の問題があるので、その後翻訳は中止して、代わりに独自のマニュアル「つみきBOOK」を執筆しました)。そして6月にもう一度会合を企画しました。今度は「行動療法を広める親と教師の会」を、架空ではなく本当に立ち上げるためです。

この時の会合にも20人以上の人が参加して下さり、会の発足が決まりました。このとき、会の愛称を「つみきの会」としたのですが、これがいつの間にか正式名称になってしまいました。

つみきの会の発展

それからというもの、私は本業の傍ら、ミーブックの続きを翻訳したり、公開セミナーや定例会を開催したり、と忙しい毎日を送りました。8月の二回目の公開セミナーで入会された人の中に、パソコンが得意な方がいて、つみきの会のHPを作って下さいました。するとそれを見て、全国から沢山の親御さんが入会して下さるようになりました。いきおい、会員さんの多い名古屋や東京などでも定例会をすることになり、私は全国を飛び回るようになりました。

その頃、ふとした縁で、当時、関西医科大学付属香里病院の小児科部長をされていた安原昭博先生とお知り合いになりました。安原先生はつみきの会を熱心に応援して下さり、公開セミナーの講師も引き受けて下さいました。安原先生が患者さんにつみきの会を勧めて下さったおかげで、大阪では会員が急増しました。入会者も全国で500人を超え、だんだん本業との両立が苦しくなっていきました。

私も、いつの間にか本業の憲法学以上に、この仕事がおもしろくなってきました。私は憲法に関しては落ちこぼれの三流研究者にすぎません。しかしこのABA、特にロバースの早期集中療育はまだ日本ではほとんど知られておらず、これを普及させる仕事は、私が残りの一生をかけるに値する、と思いました。

そこで私は思いきって短大をやめ、つみきの会の仕事に専念することにしました。そのための準備として、2004年に神戸の元町にあった兵庫教育大学の夜間大学院に入学し、井上雅彦助教授(現鳥取大学教授)の下について、臨床心理学と応用行動分析を本格的に(と言ってもあまりまじめな学生ではありませんでしたが)勉強しました。そして2006年3月の大学院卒業を期に、短大に辞表を出したのです。それからも多くの人に支えられ、つみきの会と共に歩んできました。

親御さんへのメッセージ

この文章を読んでおられる親御さんの多くは、かつての私と同様、わが子が自閉症や広汎性発達障害と診断されたり、その心配があったりして、「子どもをなんとかしてやりたい」と思っていらっしゃるでしょう。

たいていの親御さんは、地域の通園施設や親子教室に通っていらっしゃると思います。そこでは普通の幼稚園や保育所とさほど変わらない集団保育が行なわれているでしょう。あとは地域によってTEACCHや感覚統合が取り入れられていたり、言語療法(ST)や作業療法(OT)の時間があるくらいだと思います。そして、わからないままに、「ここを頼って言われるとおりにしていれば、子どもはよくなっていくのではないか」と期待していらっしゃる方が多いのではないでしょうか。

しかし、実は現在の日本で行なわれているこれらのいわゆる早期療育の大部分は、自閉症の改善効果がほとんど確かめられていないのです。それどころか、「自閉症はもともと治らないのだから、その障害特性に合わせた援助をしていくべきであって、自閉症をよくしよう、という考え自体がおかしい」という考えの療育関係者も少なくないようです。

確かに、ABA早期療育でも、ほとんどのお子さんに何らかの障害が残ります。しかし私たちつみきの会の素人の親たちが行なう不完全なABAでも、無発語の子どもに言葉を教えることができたり、こだわりをなくすことができたり、と、子どもと家族の生活を楽にするために必要な様々な進歩を実現することができています。

わが子を健常に近づけようとすることは、「健常者の傲慢」なのでしょうか。私はそうは思いません。それは親として当然の願いなのです。

ABA家庭療育は、決して楽な方法ではありません。でもABAを正しく身につければ、確実に子どもを改善させることができます。もう待たなくていい。私たちの手でわが子を教え、一つ一つ新しいことができるたびに、わが子と一緒に喜びあうことができるのです。

皆さんもぜひ私たちと一緒に、ABA家庭療育に取り組みましょう。
娘と(2009年4月)

娘と(2009年4月)


娘による「エリーゼのために」(2011年10月)


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