ミニマガつみき

あれこれ

第23号 2007.08.23:「TEACCHとABA」

<あれこれ>
今日のテーマ「TEACCHとABA」

今日はTEACCHを取り上げてみます。

TEACCH(ティーチ)は自閉症児の療育・支援方法として、わが国では大変ポピュラーなものです。特にTEACCHの強い地域では、「TEACCHにあらずんば、人にあらず」と言わんばかりの勢い(押しつけがましさ?)があります。そんなところでは、わがつみきの会の会員は、まるで昔のキリスト教国におけるユダヤ教徒のような、肩身の狭い思いをしているようです。

TEACCHは米国ノースキャロライナ州立大学のショプラー博士(故人)という方が始められたもので、同州では州規模で取り組まれている、自閉症児者のための一生涯にわたる支援プログラムです。

TEACCHの特徴は、自閉症を克服の対象として捉えるのではなく、自閉症の特性を基本的に不変なものと見なして、その特性にあった支援を工夫する、というところにあります。

ロヴァース型ABAが、自閉症児を健常者の社会になんとか適合させようとするのに対して、TEACCHは、逆に健常者が自閉症者に歩み寄ろう、という根本姿勢を持っています。これは最近の障害者福祉の思想にマッチしているので、TEACCHがわが国の教育・福祉の領域で受けがいい大きな原因になっています。またロヴァース法がなかなか日本の教育・福祉界に広まらない一つの理由でもあります。

(ちなみに、ABA全体でいうと、TEACCHと同じ考えに立つ研究者もたくさんいるので、ABA全体の特徴、というわけではありません)

私の考えは、というと、TEACCHの思想が優れていることはわかるのですが、行き過ぎもよくない、と思っています。

例えば目の不自由な人に対して、もし外科手術で視覚を回復させることが出来れば、当然そうしますよね(本人、あるいは幼児の場合は代理となる親が望めば、ですが)。そのことと、現に視覚障害を持っている人に対して、健常者が歩み寄って、彼らにとって住みやすい環境を工夫することとは、全く矛盾しません。

自閉症児も全く同じだと思います。言葉の障害、社会性の障害、こだわりなどの自閉症児の特性は、彼らを健常者の社会で生きにくいものにしています。ABA早期療育によってそれらが過度の負担なく克服、軽減できるのなら、そして本人の意思を代理する親がそれを望むのであれば、そうしてあげるべきでしょう。

そのことと、児童期ないしそれ以降に、それらの障害特性の克服・軽減が困難であることが明白になったり、本人がそれを自分の個性として認めて欲しい、と望んだ場合に、健常者が歩み寄って、彼らにとって生きやすい環境を工夫することとは、矛盾しないと思うのです。

今のことと関連しますが、TEACCHは自閉症を不治の障害と捉えています。まあ、常識的には、知的障害や発達障害は、永続的なものでしょうから、基本的な考えとしては健全だと思います。

しかしTEACCHの場合は、それが行きすぎているように思えることがあります。
例えば内山登紀夫さんが昔「シャーロット便り」というリポートで紹介していましたが、内山さんがノースキャロライナ州に留学していたとき、指導を受けたTEACCHセンターのお医者さんは、ロヴァース法について、「回復した子供たちは誤診だったのだ」と断言したそうです。

彼の論理によれば、「自閉症は治らない。それなのにロヴァースの週40時間の介入で19人中9人は自閉症の診断がはずれるほどに回復した。だとすれば、彼らはそもそも自閉症ではなかったのだ」というのです。

しかしロヴァース博士の87年論文では、被験児全員が独立の専門機関によって自閉症と診断された、と明記されています。「自閉症は治らない」という前提を絶対視する余り、れっきとした学術論文の記述を明確な根拠もなく否定するのは、本末転倒と言うべきではないでしょうか。

TEACCHのもう一つの特徴は、視覚的コミュニケーションを強調することです。TEACCHによれば、自閉症児の多くは聴覚刺激の処理が苦手で、視覚刺激の処理に優れています。ですから、彼らにコミュニケーションを教えるときは、音声言語より、絵カードなどによる視覚的コミュニケーションの方がよい、というのです。

「本当の」TEACCHでは、音声言語が比較的得意そうな子どもにまで視覚コミュニケーションを押しつけたりはしないそうですが、日本の療育現場では、TEACCHを「中途半端に?」学んだ人たちが、しばしば「自閉症児にはとにかく絵カード」という硬直的な対応を取っているようです。

その結果、子供たちから、音声言語獲得のチャンスを奪っているとすれば、大きな問題です。なぜなら、コミュニケーション手段として、音声言語に勝るものはないからです。

私は、幼児期にはロヴァース式の音声模倣訓練やマンドトレーニングによって、できるだけ音声言語獲得を目指すべきだと思っています。理解言語の面でも、できるだけ言葉の指示の理解、つまり音声指示を教えるべきだと思います。 これらのトレーニングを行なっても、言語理解や発語が見られない場合に、やむをえずサインや絵カードなどの視覚的コミュニケーションを用いるべきだと思うのです。(ただしABAには、最初からサインや絵カードを使った要求を教え、そこから徐々に音声言語を引き出していくアプローチもあり、それを否定するわけではありません)

最後に、TEACCHは構造化を重視します。自閉症児は環境の変化に弱いので、一つの活動に一つの場所、と固定しておくことで、複数の活動に安心してスムーズに取り組める、というのです。

確かにそうだろうな、と思うのですが、どんな援助も、徐々にフェーディングしていかなければなりません。混沌とした現実社会に適応していくためには、例えば一つの机で、お勉強もし、工作もし、給食も食べる、ということに慣れる必要があります。
TEACCHの問題点は、しばしばこれらの環境援助(プロンプト)が、恒常化し、固定化されてしまう、ということです。これも本当のTEACCHは違うのかも知れませんが。

TEACCHの問題点ばかりを挙げましたが、TEACCHには優れたところもたくさんあります。ABAはTEACCHの優れた点を取り入れていくべきでしょう。両者を組み合わせば、もっと優れた支援プログラムが出来るだろう、と思います。

藤坂