ミニマガつみき

ABAミニ知識

第32号 2007.11.01:「マンドとタクト」

<ABAミニ講座>
今日のテーマ「マンドとタクト」

つみきの会のメーリングリストを読んでいると、ときどき「マンド」という言葉が出てきて、入会したばかりの人は、「いったいなんだろう」と思っていらっしゃると思います。

「マンド」というのは、簡単に言うと要求言語のことです。「ちょうだい」と言ったり、「ジュースがほしい」という意味で「ジュース」と言ったり、というのがこれに当たります。

それに対して「タクト」という言葉があって、これは簡単に言うと「叙述言語」のことです。つまり要求とは無関係に「これはリンゴだよ」という意味で「りんご」と言ったり、夕日がきれいなときに「きれい」と言ったりするのがこれにあたります。

「マンド」とか「タクト」というのは、ABAの元になった行動分析学の基礎を築いたB.F.スキナー博士の造語です。彼は「言語行動(Verbal Behavior)」という本の中で、人の言語行動(「話す」 という行動)を、行動分析学の見地から、独自の分類をして見せたのです。

それが、のちにABAの研究者の中で、発達障害児に言葉を教えるときも、この分類概念を生かそう、という考えが徐々に広まってきました。それで私たち親の耳にも届くようになってきた、というわけです。

ただ、ABAの研究者ならだれでもこれらの概念を使うか、というと、そうではありません。例えばロヴァース博士は著書「ザ・ミーブック」の中で、このような概念を使いませんでした。おそらく一般の親や教師のために、なるべく平易な言葉を使おう、と考えたからだと思います。

私も、平易な言葉に置き換えることができるなら、専門用語をみだりに振りかざすべきではない、と思っています。意味の分からない言葉は、何か神秘的な響きを帯びていて、実際以上に魅力的に思えてしまうものだからです。

ですから、普段は「マンド」や「タクト」という言葉を余り使いませんが、ここではその意味をもう少し説明してみます。

人間や動物の行動(オペラント)は、「外界の刺激(弁別刺激)→行動→結果」という図式(三項随伴性)が当てはまるものが多いのです。例えば「ボールが飛んでくる」→「バットを振る」→「ヒットになって満足する」といった具合です。

しかし弁別刺激のない行動もあります。例えば外出中に「疲れたな」と思ったとき、別に自販機の缶コーヒーが目に入らなくても、自販機を探して缶コーヒーを飲んだりしますよね。このときは、弁別刺激がなくて、「行動→結果」という二項関係だけがあります。「疲れたな」といった内心の感情は、ABAではなるべく行動の説明に使わないようにしているので、ここでは考慮に入れません。

さて、この「弁別刺激→行動→結果」あるいは「行動→結果」という図式を、人の「言葉を話す」という言語行動に当てはめたのがスキナー博士です。
博士によれば、まず言語行動にも、特に弁別刺激を必要とせず、「行動→結果」という単純な二項関係が成り立つものがあります。これが「マンド」(要求言語)です。

例えばジュースが飲みたくて「ジュースちょうだい」と子どもが言うとき、台所にジュースがある(弁別刺激)のを見て言うときもありますが、そうではなくて単に「飲みたいな」と思いついたから言うときもありますね。
そんなとき「ジュースちょうだい」と言う(行動)→ジュースがもらえる(結果)という関係だけが成立します。これが典型的なマンド(ピュア・マンド)です。

それに対して、「弁別刺激→行動→結果」という三項関係が不可欠な言語行動もあります。

その一つは「エコーイック」(音声模倣)です。例えば「あ」というと「あ」と返ってくる、ということです。この場合、弁別刺激は他人の声で、それに対する行動は、その他人の声と同じ声を出す、ということです。

もう一つは「イントラバーバル」(お返事)です。これは「あ」と言ったら「い」、「うさぎ」と言ったら「かめ」、「寒いね」と言ったら「そうだね」といった具合に、相手の言葉に対して、それとは違う言葉を返す、という特徴があります。

「エコーイック」も「イントラバーバル」も、相手の(時には自分の)発話が弁別刺激です。それに対して、弁別刺激が言語行動でないものがあります。それが「タクト」です。

「タクト」は話し手が外界の出来事を見て、それを誰かに伝えることを特徴とする言語行動です。例えば外が雨が降ってきたのを見て、家の中にいるお父さんに「お父さん、雨が降ってきた」と伝えたり、火事の現場を見て「火事だ!」と叫んだりするのが、典型的なタクトです。
「タクト」では「外界の出来事」(弁別刺激)→「火事だ!」(行動)→「通報で感謝される」(結果)という関係が成り立ちます。

以上です。

藤坂