ミニマガつみき

関西在住の佐々木さん執筆

第54号 2008.05.02:
「シャドウまでの道のり」

ミニマガつみき連載二番手は、大阪府在住の佐々木さんです。

佐々木さんは、ご夫婦で熱心にABA療育に取り組んでこられた方です。今回は、幼稚園のシャドー体験を中心に書いて下さるようです。

原稿は昨日のうちに頂いていたのですが、私が目を通すのが遅くなり、金曜日になってしまいました。申し訳ありません。(藤坂)

関西在住の佐々木と申します。

トップバッターの飯島さん、お疲れさまでした。飯島さんからバトンを受け、転けずに第三走者にバトンを渡せるように5月いっぱい頑張りますのでよろしくお願いします。

私達の娘は今年からなんとか小学校に入学することができました。しかしながら、まだまだ社会性等に不足があり、セラピーは今もなお継続しております。幼稚園の間は、年長の三学期を除き、終日母親がシャドーにつきました。その時のことを振り返って、今回から3回に分け、シャドーへの道のり、年中、年長での出来事を綴っていきたいと思います。

〈シャドウまでの道のり〉
私達は娘が自閉症とわかった2歳半の時からセラピーを開始しました。
セラピー前の状態は、名前を呼んでも反応がなく、意味のある発語は消え、喃語ばかりで、歯ぎしりがひどく、ただテレビに貼り付き走査線を眺めているような状態でした。セラピーを開始し、なんとか軌道に乗りだした頃、健常児なら幼稚園の入学を考える時期がきました。
セラピーが進み出したとはいっても、やっとモーリスプログラムの初級の半ばにさしかかった頃で、まだまだ集団の中に入れるような状態ではありませんでした。入園は年中からと決め、年少の時期の一年間をセラピーに専念することに決めました。

セラピーを始め一年くらいを過ぎた頃でしょうか、いすに座ることから始めたセラピーは、順調に進み、周りを見て模倣し、簡単な指示であれば従えるようになっていました。

私達はこのあたりでだんだん欲がでてきました。そろそろ健常児の中に入れて学ばせてみたいと思うようになってきたのです。たぶん健常児と比べると社会性の面で劣るだろうし、シャドー付きで通える幼稚園が近くにないものか、と漠然と考え始めていました。

娘が3歳6ヶ月になった5月のある日のこと、途中からでも入園でができるかも、と急に思い立ち、娘の3つ年上のお兄ちゃんが通っていた幼稚園に電話を入れました。お兄ちゃんの時に園の行事の役員もやっていたし、園の先生方にも面識がある。お兄ちゃんの通園時に一人だけお母さんがついていた園児が在園していたことも思い出しました。

電話には副園長先生が対応してくれました。副園長先生には簡単に娘の事情を説明し、この時期からの途中入園の要望をしました。その場では答えは聞けず、暫く経ってからの副園長先生の返事はこうでした。

「年少組の一学期はまだ母親が恋しい時期なので、母親が幼稚園に入ることは難しい。また、二学期は運動会等の行事が続く間は担任も対応できない。園児と担任の信頼関係が築かれ、落ち着いたクラスがでてきたら、その時に連絡を入れます。」

がっかりしました。しかし、ダメ元でしたし、副園長先生のおっしゃることはもっともな理由だったの納得しました。シャドーに入ることを断られたわけではないし、年中からはシャドー付で入れそうだと感触をつかんだので、通園はこの幼稚園と決め込み、その時がくるまでこれまで通りに娘のスキルアップに励むことにしました。

市報などで“親子保育園体験クラス募集”との記事を見つけては通いました。
子育て支援センターで催されている子育てサークル(体操や紙芝居、簡単な制作活動)にも不定期で参加したり、家では近所の娘と近い年頃の子を集め、幼稚園を退職された先生に来てもらって、模擬的な園の活動を練習したりもしました。

しかし、この頃は、私達は療育の落とし穴(?)にはまっていました。娘は同い年の健常児の反応の速さに全くついていけませんでしたし、お友達と相互作用のある関わりも希薄でした。

今考えるとスモールステップで簡単なことから徐々に関わらせて強化していけば良かったのに、当時の娘にとっては難易度が高い要求をして、遠回りをさせていたように思います。デスクで課題がこなせるようになっただけなのに、先に進むことばかり考えて、そのうち結果がついてくるだろうと甘い考えをしていました。

年中からの入園手続きをすませ、年の瀬を迎えようとした頃、園から一本の電話が入りました。
「落ち着いたクラスが出てきて、担任の了解も得ました。一度、担任の先生と打合せされてみてはどうでしょう?どこまで園がお手伝い出来るかわかりませんが、一緒に頑張りましょう。」

待っていた電話でした。

冬休み明けすぐにこの日のために準備してきた資料を携え、娘を連れ、緊張の面もちで園に打合せに向かいました。 園では副園長先生と、娘の担任となる先生が待っていました。うまく説明できるのか、思いが伝わるのか、緊張しながらも夢中に説明しました。説明したのは以下の内容です。

・自閉症とは何か
・自閉症の特徴の詳細
・娘の状態
・今までの療育法
・ABAの基礎的な説明
・介添え(シャドー)に入る意味
・誓約事項

思い切ってABAの事も打ち明けました。特に、シャドーに入る意味は強調しました。当時の一文です。 「幼稚園にお世話になる目的は、お手本となる健常児達の中で生活することによって、集団のなかでの行動に必要なスキルを会得し、不足している社会性を伸ばすことです。

しかしながら、娘の現状の状態では、健常児のように、先生のお話を聞き、お友達と自分から進んで遊ぶというような能力が足りませんし、なかなか自然には身に付いてはくれません。

そのためにはわが子の状態を観察し、適切な行動をうながし、不適切な行動を排除するための介添え(シャドー)が必要なのです。(本来は親以外の専門的な知識を持った人間が理想なのです。)
また、不得意な活動を見極め、効果的にフォローアップするためにも、必要と考えています。」

一通り説明が終わった時、全職員に持参した資料を見せて良いかとの質問がありました。後から考えるとおそらくプライベートなことを周知することに対しての質問だったのかもしれないのですが、先生方が同じ認識と対処をしてくれる事を期待し、了解しました。

説明の甲斐あって(?)、私達の要望は園に受け入れてもらえました。
その後、プレイルームに案内され、楽しそうに遊ぶ娘の姿を見て、緊張が解けたのと、先生方の暖かい励ましの言葉に、夫婦して目頭が熱くなりました。 このようないきさつを経て、年少三学期からのシャドー付の通園が始まりました。まずは環境に慣れるために、週に一回の登園から始めました。正式な入園までの短い期間ですが、年長まで続く長いシャドー付き通園の始まりでした。

(つづく) 次回をお楽しみに。(編)