ミニマガつみき

東京在住のナカハラさん執筆

第62号 2008.07.03:「ABA体験記」

ミニマガつみき2008、リレー連載の4番バッターは、東京のナカハラさんです。

ナカハラさんは、つみきMLに何度か投稿して下さっているので、ご存知の方も多いと思いますが、まだABA歴二年目のごく普通のお母さんです。 でも大先輩や偉い先生のお話ばかりでなく、普通のお母さんの声も聞きたい、と思いましたので、執筆をお願いしました。4回連載予定です。お楽しみに。(編)

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こんにちわ。東京のナカハラと申します。平岩先生や諸先輩方の後に私のような者でいいのかしら……と恐縮しながら書いております。
悩み苦しみながらの毎日で、気がつけばABA歴1年5ヶ月。2歳半の時に保育園を巡回している児童心理士に広汎性発達障害と告げられた息子は4歳3ヶ月になりました。

息子は生まれた時からあまり泣かずに一人でスヤスヤとよく眠る、本当に手のかからない子でした。
生後4、5ヶ月からは、「ママ」「おいで」「ばあば」などよく聞かせていた言葉を自然と音声模倣するようになったので、言葉の表出が早い子なのかと喜んでいました。

ところが1歳半頃からそうした言葉らしきものが消えてゆき、急に子供を怖がるようになったのです。
つま先で歩いたり、外を歩くことを極端に嫌がるようになったのも同じ時期でした。

毎日近くの公園や神社にベビーカーや自転車に乗せて通ったのですが、春の花々や夏の昆虫、色とりどりの落ち葉や木の実などには一切目もくれず、ただひたすら通り過ぎる電車を見て、じっと立ちつくしているだけ。
そして広い公園の中を少しでも歩かせようとすると、必死の形相で追いかけてきたり、泣き叫んで抵抗したりしました。

家では床に座ってどこかをじっと見つめたまま動かず、名前を呼んでも振り向きません。おもちゃや絵本に興味を示さないしスキンシップも求めてこなかったため、本当に新米ママは何をしていいかわからず、毎日何時間もテレビの子供番組を見せていました。

そしてその後長い間、この時期にテレビを見せ過ぎたのが悪かったのではないか、と後悔することになるのですが、健常な子なら、そもそもそんなに長い間テレビの前でじっとしていられない、と何かで読み、ほんの少し後悔の念が軽くなったのでした。

早生まれの息子は2歳の誕生日を迎えてすぐに保育園に入園することになりました。

おそらく1歳半検診をきちんと受けていたら、療育センターを勧められていただろうと思いますが、検診2日目を私が勝手にパスしてしまったため検査に引っかかることなく保育園に入園できたのです。
そして入園4ヶ月後に「広汎性発達障害」と診断されました。

当時、自閉症の知識が全くなかった私は「広汎性発達障害」と聞いてもピンときませんでした。 ただ2歳4ヶ月の息子が「言葉の理解は6ヶ月ぐらい。総合すると知的な発達は1歳少し前」と告げられたのがショックで、『そんなはずない。この人は園での様子を保育士さんから聞いただけで、私から家庭での様子など全く聞いていないじゃない!』と内心反発していました。

しかしこの時録音しておいた児童心理士さんとの会話を冷静に聞き直してみて、次第に不安が募っていきました。

「人への興味、関心がすごく低いですね。人への興味がきっちり育っていかないと、言葉に結びついていきません。検査時に円柱刺しや積み木を作業してたんだけど、自分でできないと、やれっていう風に要求してくる。でも人に要求してるんじゃないの。手に要求してる。この手がやってくれればいいの」 と児童心理士さん。

この日以来、息子が私の手に何か要求してきた時には強引に視線を合わせするように心がけました。すると1週間もたたないうちに、息子はしっかり私の顔を見るようになったのです。

その後、区の療育センターでもDQ47と診断され(2歳7ヶ月)、翌月から月に1度の作業療法を受けることになりました。
そして、もっと何かできることはないだろうか、とインターネットで検索していた時に、誰かの療育ブログから「つみきの会」にたどり着きました(広汎性発達障害で検索しても、つみきの会にはたどり着かなかったと思います)。 ABA? 何をするのかよくわからないのに、まず入会金払わなくちゃいけないの?う~ん、怪しげ…としばらく尻込み。
しかし『わが子よ、声を聞かせて』を読み、息子は発達が遅れているだけかもしれないという甘い希望が打ち砕かれました。
そして、「これだ! これしかない! 今すぐ始めなければッ!」とABAを始める決心をしたのです。2歳10ヶ月になる直前でした。

つみきbookが届くのも待ちきれず、鼻息荒く自己流で始めた課題は、ヨーグルト、ジュース、スプーン、フォークを並べて「○○ちょうだい」とか、「リンゴ、ジュース、ヨーグルトと言わせる」、「色の名前(赤と青)の受容」といった恐ろしく無謀な内容でした。しかも休憩なしで40分。
それでも忍耐強い息子は途中で逃げ出したりせず、ベソかきながらもよくつきあってくれました。

そして1週間後には「リンゴ」とプロンプトすると「り」とか「てぃ」と真似するようになり、さらに1週間後には「あか(赤)」「あう(青)」「ジィジ(祖父)」など音声模倣するようになったのです。

ABAってスゴイ!と興奮する私は、まさかこの後半年以上も音声模倣に苦労するようになるとは思いもしませんでした。

(つづく)