第47号 2008.03.13:「ソーシャルスキル・トレーニング(SST)」

<療育のコツ、子育てのこつ>
今日のテーマ「ソーシャルスキル・トレーニング(SST)」

「ソーシャルスキル・トレーニング(Social Skill Training, SST)」というのは、社会性、つまり集団生活や人との関わり方がうまくいかない子どもや成人に対して、そのような社会スキルを教える訓練のことです。以下、SSTと呼びます。

対象は様々ですが、ここでは幼稚園から小学校程度の高機能自閉症児を念頭におきます。

SSTは基本的に、
①教示、②モデル提示、③リハーサル、④フィードバックの4つの手順からなっています。

例えば、友達とうまく会話できない高機能自閉症の子どもを例に取りましょう。
まずその子どもが友達と会話している様子を観察して、どこに問題があるかを具体的に見つけます。
その結果、彼には、
①相手が話しているときによそを向くことが多い
②相手の話を最後まで聞かずに自分のことを話し出すことが多い
③相手の話にケチをつけることが多い
という問題点があることがわかりました。

次にこの問題点を一つずつ取り上げて、それを改善するための訓練を行ないます。
例えば、②の「相手の話を最後まで聞かずに自分のことを話し出す」という問題を取り上げましょう。

まず「教示」です。本人に、具体的な例を挙げて、自分がいい話し方をしていない、ということに気付いてもらいます。

そのとき、言葉でいうだけではよく伝わらないようなら、以前にテレビでも紹介していた「コミック会話」のように、簡単な絵を描いたり、紙芝居のようなものを作って説明するといいでしょう。

まず本人の会話をちょっと誇張気味に再現して見せ、どこが悪いかを指摘させます。分からないようなら、教えてあげます。「最後まで聞いてないね」「Aくんはまだ話したかったのにね」
「じゃあ、どうしたらいいんだろう」と問いかけて、「最後まで聞く」「自分のことばかり話さない」という答えを引き出します。

しかしそれだけでは、実際の行動の改善に結びつかないことが多いのです。そこで次の手順に入ります。

次は「モデル提示」です。よい例を具体的に示すのです。
このとき、なるべくリアルな場面を再現した方がいいので、生身の人間を2人登場させます。例えばお父さんとお母さんで会話をしてみます。

まず悪い例から再現します。お父さんが「ねえねえ、聞いて」とお母さんに話しかけるのに、お母さんは最後まで聞かずに、自分の話を始めます。「これはどう?」と子どもに聞いて、「だめ」「最後まで聞かないから」と言わせます。

次にいい例を示します。お父さんが話し始めたら、お母さんは相槌を打ちながら、最後まで聞きます。子どもに「これはどう?」と聞いて、「いい」「最後まで聞いたから」と言わせます。

次の手順が「リハーサル」です。これは子どもに実際に模擬場面で正しい行動を練習させるのです。

「今度は○○くんがお父さんとお話ししてご覧。「うん、うん」って言いながら、最後までお話を聞くんだよ」
このように教示して、お父さんが子どもに話しかけて、子どもに、相槌を打ちながら最後まで話しを聞かせます。

いきなり上手にできたら、具体的にどこがどうよかったかをはっきり言って、子どもをほめてあげます。これが「フィードバック」です。

ほめるだけでは弱いようなら、トークン(シールなど)を一つあげて、それがいくつか貯まったら、子どもの喜ぶごほうびと交換するようにするといいでしょう。

上手にできなかった部分があったら、そこを指摘して、もう一度やらせまう。悪い点を指摘するのも、やはり「フィードバック」です。
言うだけではだめだろう、と思ったら、もう一度、お母さんがお父さんと会話して、モデルを示します。ここでも、よい例を見せるだけでなく、先に子どもの悪い点を再現してみせてから、よい例を見せると、余計に効果的でしょう。

再度モデルを見せてから、もう一度子どもにリハーサルさせます。そしてまたフィードバックを与えます。上手にできるまで、このサイクルを繰り返します。

模擬場面で、上手に最後まで話を聞けるようになったら、現実場面に般化を図ります。そのためには、お友だちを家に招いて、ピアトレーニングを行なったり、親やセラピストが幼稚園や小学校に付き添っていき、そこで他のお友だちと会話する機会を捉えて、練習します。大人はそばにいて、正しい行動をプロンプトし、できたら強化します。介助員が協力してくれたら、それでもいいでしょう。

藤坂

第41号 2008.01.10:「道頓堀発達相談より」

<療育のコツ、子育てのこつ>
今日のテーマ「道頓堀発達相談より」

今日は道頓堀で行なっている発達相談の日でした。この発達相談にはいつもいろんなお子さんが来るので、私もとても勉強になっています。
その今日の発達相談の経験から、皆さんにも参考になりそうなエピソードを拾ってみたいと思います。

*食い付きをよくする
3 才のTくんは音声模倣に取り組んでいます。50音のうち半分くらいは出るようになりましたが、残りがなかなか増えません。

今日は病み上がりのせいか、いつもよりさらに反応が鈍い感じでした。
強化子に使ったのはお菓子やシャボン玉で、Tくんはそれが好きなのですが、そのために一生懸命音声模倣をやろう、というほどではありません。

そこで、いつもは強化子をあらかじめ見せたりしないのですが(それと引き替えにしかやらなくなるので)、やる気を高めるために、強化子をあらかじめ見せて、気を引くことにしました(こういうのを「確立操作」というんでしたね)。しかし事前に強化子を見せても、それだけではまだ食い付きがよくありません。

そこでさらにTくんが強化子をゲットする寸前を狙うことにしました。

どういうことかというと、例えば強化子にシャボン玉を使うとしましょう。 Tくんはシャボン玉を自分で吹くのが好きです。そこでストロー?にシャボン玉液をつけてから、それを彼の口元まで持っていきます。

彼がそのストローを手に取った瞬間、私はストローから手を離さず、ストローを引っ張るTくんの行動を一瞬妨害します。その瞬間が、Tくんの「シャボン玉が吹きたい」というモチベーションが一番高まる時です。そのときにすかさず、模倣して欲しい音、例えば「た」を言うのです。

そうすると、普段は全然模倣してくれない音も、模倣してくれることがわかりました。タイミングをちょっとでもずらすと、反応は急に落ちてしまいました。

お菓子でも同じです。一応は好きなのですが、初めての音でも何とかまねしよう、という気を起こさせるほど、強くありません。

そこでTくんの口元までお菓子のかけらを持って行き、まさに食い付こうとしたその瞬間に、お菓子を持っている手でちょっと邪魔をして、音声を言います。そうすると苦手な音でもまねしてくれるのです。

お母さんもびっくりしていましたが、同じ強化子でも使い方次第でこうも違うのか、と改めて思い知らされた出来事でした。

*プロンプトを惜しまない
2才のHちゃんはセラピーを初めて2ヶ月余り。最初の一ヶ月はさほど苦労もなく、いろんなことがどんどんできるようになっていったのですが、それ以降は新しいことを覚えるのがむずかしくなり、やや停滞気味です。

例えば動作模倣で、ほっぺに触る動作と耳に触る動作が区別できません。私が自分の耳たぶをつまみながら、「こうして」というと、Hちゃんは自分のほっぺをつまんでしまうのです。
ほっぺをつまむ前にHちゃんの手を取って、プロンプトで耳たぶをつまませようと思うのですが、Hちゃんが素早くほっぺをつまんでしまうので、間に合いません。

そこで私が自分の左手の甲をHちゃんの左のほっぺにあてがうようにしてガードし、Hちゃんが自分のほっぺに触れないようにしました。その上で私は「こうして」と言いながら、自分の右耳を右の指でつまみました。そして直後に右手でHちゃんの左手を取って、Hちゃんの左耳をつまませました。 (
ちなみにHちゃんは左利きです。右利きなら上の手続は左右逆になります) Hちゃんのほっぺを手で覆うのは、誤反応をブロックする一種のプロンプトです。

ここまで周到にプロンプトすると、Hちゃんも自分の耳たぶをつまめるようになってきました。しかしここからがまた大切です。
できたのだから、と考えてすぐにプロンプトをやめてしまうと、またほっぺをつまんでしまいます。実際、ご両親はそれまで、プロンプトを早めにやめてしまっていたそうです。

そこでくどいくらい何度もフルプロンプトで正解させて、それから少しずつプロンプトを減らしていきました。最初はHちゃんのほっぺの半分だけ手で覆い、その状態を数試行続けます。その次の試行はほっぺを4分の1だけ覆います。

このようにプロンプトを慎重にフェーディングしていくと、プロンプトなしでも安定して耳たぶをつまめるようになりました。

このように耳たぶをつまむ行為をしっかり固めておいてから、それと区別させたい動作、つまりほっぺに触る、という行動をやはりプロンプトして教え、そこからその二つの動作のランダムローテーションにかかるのです。

とてもまどろっこしいのですが、このようにしつこいほど何度も、フルプロンプトで正解させて、正解の行動を身体で覚えさせるのがこつだ、と親御さんには説明しました。

以上です。

藤坂

第37号 2007.12.13:「大人のセルフマネッジメント」

<療育のコツ、子育てのこつ>
今日のテーマ「大人のセルフマネッジメント」

いつもこのメルマガでは子どもにABAをどう用いるか、というお話ばかりをしていますが、ABAは何も子どもだけを対象とするわけではありません。最近、ABAで盛んに研究されているのは、自分で自分の行動を変えるためのABA、いわゆる「セルフマネッジメント(自己管理)」です。

私たちは日頃、わが子にABA療育を施しているわけですが、家庭療育というのはとてもしんどい作業で、しかも誰かが監督してくれるわけではありません。ですから、つい根気が続かなくてさぼってしまったり、やめてしまったりしがちです。

そういうとき、このセルフマネッジメントが役に立つかも知れません。セルフマネッジメントとは、目先の安楽のために、遠くの目標を犠牲にしてしまわないための工夫なのです。

ではどんなことをするかというと、例えばこんなことです。

1.無理のない小さな目標を立てて、毎日、それを実行できたかどうか、の記録をつけます。そしてその記録をいつも目にするところに貼っておきます。
まず文房具屋さんに行って、小さなシールを買ってきましょう。次に例えば毎日45分間、セラピーをする、という目標を立てます。そして毎日、目標を実行できたら、居間のカレンダーのその日の欄に、シールを一枚貼るのです。
カレンダーは目立つところに置いていないと行けません。毎日貼っていくうちに、だんだんシールが増えるのが楽しくなります。セラピーをさぼってしまって空欄ができると、くやしくなります。ささやかな工夫ですが、意外と効果があるものです。
そのうち45分1回では物足りなくなったら、目標を引き上げて、1日45分×2回を目指してもいいでしょう。その場合、2回できた日はシールを二枚貼ります。2 枚貼れた日はうれしくて、また余裕のある日は2回やろう、という気が起きてくるはずです。

まだ余力がある人は、他にも簡単な記録をつけて、それをグラフにして目立つところに貼っておくといいでしょう。

例えば動作模倣や音声指示、物の名前付けなどのレパートリーを数えて、1週間ごとにグラフに数値を書き込んでいきます。
この場合、割と順調に増えているものをグラフにするといいです。そうすると目に見えてカーブが上がっていくので、楽しみになります。
あまり増えないものをグラフにすると、返って落ち込んでしまうのでやめましょう。

2.次に自分にごほうびをあげるようにしましょう。例えば一週間にシールが5つ以上貼れたら、週末に好物のシュークリームを買って、自分で食べることにします。この場合もあまり遠大な目標を立てないようにすることが大切です。

3.次に周囲の環境も整えます。セラピーに反対だったり、無関心な人たちとばかり交わっていると、どうしてもモチベーションが上がらず、逆に下がる一方です。ですからそういう人たちとの交わりはなるべく避けて、ABAに積極的な人たちと付き合うようにしましょう。

受験勉強の時も、勉強に無関心な友達グループに入っていると、勉強しなくなりますよね。そういうときは勉強熱心なグループに入って、一緒に図書館に行ったりします。それと一緒です。

例えば通園施設で指導的な人がABAに批判的だったり、周りの親が療育に無関心だったりすると、家庭療育をしていても周りから強化されず、逆に批判的なことを言われるので、セラピーが続かなくなってしまいます。それなら思い切って通園施設をやめてしまいましょう。

その代わり、アルバイトの学生や友人などにセラピストとして来てもらい、一緒に協力してセラピーをやっていく体制を整えます。定例会にもなるべく労を惜しまず参加するようにします。夜はつみきの会のメーリングリストを熱心に読みます。定例会で友達を作って、DMのやりとりをするのもいいでしょう。 実家のご両親がABAに反対の場合は、なるべく実家に足を向けません。夫が理解があるのなら、夫とだけ話すようにします。夫が理解がないのなら、口をきいてやりません。

4.最後に、自分を追い込む、という方法があります。例えば周囲に思いっきりABA療育宣言をします。「私は毎日3時間、週20時間のABAを1年間続ける。そして子どもをよくしてみせる!」と誰彼なくいいふらすのです。そうすると、後には引けなくなって、モチベーションが増すこと請け合いです。

自分を追い込む究極の方法として、ABAには「行動契約」というものがあります。いかにもアメリカらしい方法ですが、何かを成し遂げようとするとき、誰かと書面で契約を交わし、できなかったときのペナルティを盛り込むのです。

例えば、つみきの会と皆さんが契約を交わし、皆さんがつみきの会に100万円を預けます。皆さんが毎日平均2時間、週合計14時間のセラピーを一年間続けることができたら、100万円は皆さんのところに戻ってきます。しかし誓いを守れなければ、その100万円はつみきの会に寄付されることにします。

そうすれば、皆さんは100万円を失いたくないですから、石にかじりついてでも週14時間を確保しようとするでしょう。だめだったらだめだったで、つみきの会に貢献できる、というわけです。
問題は、皆さんが本当に週14時間やったのかどうか、確認する手段がない、ということですが。

どうですか。どなたかやってみませんか。

藤坂

第33号 2007.11.08:「薪のくべ方」

<療育のコツ、子育てのこつ>
今日のテーマ「薪のくべ方」

一つ一つの課題を教えることより、もっと大切なことは、いつも課題に集中して、学ぼうという気構えを子どもに保たせることです。
そんなこと、2,3才の自閉症児にできるのかって?いや、ちゃんとできるんです。

一つはいつもお話ししているコンプライアンス、つまり「ちゃんとすわって」「お手々ちゃんと」「こっち見て」といった基本的な学習姿勢を保たせるための指示にちゃんと答えられること、また分かる指示だったら、逆らわずに言うことを聞ける、ということが大切ですが、それだけでは十分ではありません。

いくら手をおひざにおいてしっかりこっちを見ていても、実はぼおっとしている、ということはありうるんです。そんなときは、すでにできる指示なら通りますけど、新しい、難しいことを学ばせることはできません。

ではどうしたらいいか、というと、常に適度に難しい、新しい課題を与えて、それを乗り越えさせる、そして乗り越えたことに良質の強化子を伴わせる、ということが大切です。

例えば、動作模倣、音声指示、物の名前は一通りできたから、というので、それは復習だけに留めて、色や形、大小や位置など、中級の概念課題ばかりをやっている親御さんが時々いらっしゃいます。ところがどれもなかなかできないので、お子さんはどんどん学習意欲が低下していって、問題行動が頻発するようになっています。

これは火が消えかけたストーブに、いきなり大きな薪を何本もほうりこむようなもので、そのままではせっかくの火、つまり学習意欲が消えてしまいます。

このような中級の難しい課題をクリアさせるコツは、動作模倣、音声指示、物の名前などの基礎課題を、一通りやってそれでおしまいにするのではなく、つねにそれらに新しいレパートリーを追加していって、それを習得するチャンスを、いつも子どもに与え続けることです。

私はこれを「課題を横に広げる」と言っています。

例えば、お子さんが、物の名前を100くらい覚えたとします。でもそこでやめておくのではなくて、毎日、1つくらいずつ、常に新しい名前を教えていきます。もちろん無用なものを教える必要はありませんから、生活に役立ちそうな、身の回りのものの名前を優先的に教えます。それでも考えてみれば、あっという間に数百に達するはずです。

すでに100くらい覚えているのですから、名詞を新たに覚えることは、お子さんにとってそんなに難しいことではないでしょう。ちゃんと大人の指示と目の前の教材に注意を払っていれば、すぐに習得できるはずです。しかしぼおっとして他のことを考えていたのでは、そんな簡単な課題でも覚えられません。

つまりそんなに難しくない代わりに、ただの復習課題ほど簡単なわけでもない、という、ほどほどの難易度の課題をいつも導入し続けます。そして復習課題に正解しても、あまり大した強化子は与えない代わりに、それらの新しいレパートリーを習得したときは、思いっきりほめて、いい強化子を与えます。
そうすれば、お子さんはいつも適度な緊張感を保って、新しい課題を習得することに前向きになるはずです。

さっきのストーブのたとえで行くと、最初は燃えやすい新聞紙と木っ端切れで火を作りますね。次はもう尐し持ちのよい、小さな薪をくべます。そうすると火力がだんだん強くなっていきます。
火力が強くなってきたら、そろそろもう尐し大きな薪をくべます。するともっと火力が大きくなります。そうなったら、もう太い薪を丸ごと入れても大丈夫です。そのストーブは旺盛な火力で、その薪をぺろりと消化してくれるでしょう。

子どもの場合も、最初はごく簡単な、すぐにクリアできる課題からスタートします。これはいわば新聞紙と木っ端切れに当たります。
それらに成功したら、すぐに強化子を与えます。そうやって学習意欲に最初の火をともすことに成功したら、次はもう尐し難しい課題、マッチングとか動作模倣、音声指示など、を与えます。これは木っ端切れよりもう尐し太めの薪に当たります。
うまくこれらに火がついたら、同じサイズの小さい薪を絶やさないようにして、火力の維持を図ります。つまり「課題を横に広げていく」のです。 そうすると次第に火、つまり学習意欲と学習能力がもっと強さを増していきます。それが中級課題に入るタイミングです。

中級課題に入っても、新しい課題を手当たり次第に導入するのではなく、難易度を見比べながら、比較的わが子が取っつきやすい課題から尐しずつ導入しましょう。うっかり大きすぎる薪をくべてしまうと、うまく燃えなくて、一気に火力が下がってしまいますからね。

そういえば最近は、薪のストーブなんて使ったことのない人が多いんでしょうね。たとえが古すぎたでしょうか。

藤坂

第29号 2007.10.11:「よけいなヒントを与えない」

<療育のコツ、子育てのこつ>
今日のテーマ「よけいなヒントを与えない」

ABAセラピーで、何か2つ以上の指示や概念の区別を教えようとするとき、重々気をつけなければいけないのが、顔の表情や仕草で、子どもに無意識のうちにヒントを出さないようにしなければいけない、ということです。

私も経験があるのですが、例えば色の名前を教えているのだけど、1週間やってもなかなかランダムローテーションに成功しない、今日は何とか成功させたい、というとき、ついそれが表情に出てしまいます。子どもが正解をさわろうとすると口がついほころんで「にまっ」という顔となり、不正解をさわろうとすると、「あっ」という顔になってしまうのです。

子どもは、いろんなことが分からないくせに、なぜかそういうことにはすごく敏感で、大人の表情から答えを探ろうとします。親の口元がゆるむと、「あ、これは合ってるな」というわけで、そのままさわってしまうし、険しい顔をすると、「これはちがうんだな」と思って、もう一方にスイッチします。

こちらがすぐにそれに気付けばいいのですが、自分がヒントを出しているときに、何週間もときには何ヶ月もそれに気付かないことがあります。そういうときは本当に悲劇です。
親はやっと難しいハードルをクリアした、と思って喜んでいるのに、それが幻だったとわかって、どん底に落とされます。子どもは子どもで、いい解決策を見つけた、と思っていたのに、それを否定されて、混乱してしまいます。

他にも、教える側がついヒントを出してしまう例は、たくさん挙げることができます。

①2つ以上の教材を選択させるとき、つい正解の方をちらっと見てしまう
②音声指示のとき、頭を触らせたいときに、つい子どもの頭の方を見てしまう。拍手のときは、下を見てしまう。
③マッチングの時、重ねさせたい方の物の近くで、そのものを渡してしまう。
④子どもが間違えそうになったとき、つい腕がぴくっと動いてしまう
⑤子どもが正解しそうになったとき、つい身体がうなづくように前に傾いてしまう。

皆さんも覚えがないでしょうか。 私の妻は、口の動きを読まれてしまったことがあります。確か、人の名前を教える課題で、妻が自分の胸を指さして「だれ?」と聞いたら、「ママ」、娘の胸を指さして「だれ?」と聞いたら、「あや」と答える、という課題でした。 妻がこの課題をしばらく教えていて、「できたよ!」とすごく誇らしげに報告に来ました。私はまだこの課題は娘には早すぎると思っていたので、半信半疑な気持ちで、見に行きました。

すると、妻は自分の胸を指さしたとき、「だれ?」と言ってから、ちょうど「ママ」と言いかけるように口をつむっていました。逆に娘を指さすときは、「あや」と言いかけるように口をあけていました。
妻はそれに全く気付いていませんでしたが、娘はそれを見て、答えを選んでいたのです。その証拠に、妻に口を隠すようにアドバイスすると、途端に娘はめちゃくちゃに答えるようになりました。
この時の妻の落胆ぶりを見るのはとてもとてもつらかったです。

こういう失敗を防ぐためには、とにかくポーカーフェイスをつらぬくことです。指示を出すときは、教材の方を見ないようにして、子どもの額の中心を見るようにします。子どもがどちらかの教材にさわるまでは、身じろぎもしてはいけません。子どもが間違えそうになっていて、どんなにそれをやめさせたいと思っても、です。
その代わり、子どもが正しい方にさわったら、直ちに心からほめてあげます。一方、子どもが間違えた方にさわったら、静かに「ちがう」というか、全く黙ったままで、しばらく間を空けます。次の試行では、指示を出すと同時にプロンプトして、正解させます。

自分がヒントを出しているかも知れない、と思ったときは、目を伏せて指示を出したり、口を隠して指示を出したりしてみるといいです。それでも正解したら、子どもさんは本当に分かっている、と考えていいでしょう。

誰か他の人に見てもらったり、代わりに指示を出してもらうことも大切です。自分1人でやっていると、自分がどんなヒントを出しているか、なかなかわからないものです。家族の誰かでいいですから、客観的な目で見てもらうといいでしょう。ただし、夫婦でこれをやると、ついけんかの種になってしまうものですが・・・。

藤坂

第25号 2007.09.13:「大人が主導権を握る」

<療育のコツ、子育てのこつ>
今日のテーマ「大人が主導権を握る」

この点に関しては、ABAの中にも大きく分けて二つの考えがあります。

一つは「現代派」で、彼らは早いうちから子どもの自主性を尊重して、大人が一方的に主導権を握るのではなく、子どもにも時々主導権を握らせることで、子どものやる気を引き出した方がよい、と考えています。

もう一つがロヴァース博士に代表される「古典派」で、こちらは始めのうち、大人が絶対的な主導権を握ることを重視します。大人主導のセラピーで子どもがある程度伸びてきてから、初めて徐々に子どもの自主性を認めていきます。

私はロヴァース博士の本を読んでABAを学んだので、古典派の考えに馴染んでいます。またいろんなお子さんの指導を経験して、やはり多くの場合、この「初期において大人が絶対の主導権を握る」ということが、とても大切だ、と感じています。

例えば、いろんな家庭を訪問すると、セラピー中、お母さん(あるいはセラピスト)がいいと言っていないのに勝手に席を立つお子さんがたくさんいます。

もちろん療育の最初期にはそれでいいのですが、ある程度軌道に乗ってくると、効率が大切になってくるので、少なくとも数分間は席にすわらせたままでセラピーを続けることが必要になってきます。
また席を立たせて自由にさせる、ということも大切な強化子なので、有効に使った方がいいのです。

ですからセラピー中に席を立とうとしたら、押しとどめていったん席に戻させて、少なくともあと1,2試行続けて、プロンプトしてでも正反応を引き出してから、そのごほうびとして立たせるべきだと思います。

「いつ休憩にするかは、お母さんが決める」のです。

そうすることによって、子どもは大人のことをもっと尊敬するようになります。大人の許可を得ようとして、もっと真剣にセラピーに取り組むようになります。その真剣さが、とても大切なのです。

その代わり、いつまでも席に座らせておくのではなく、上手にできたときはパッと立たせてあげることが大切です。着席時間は2,3才のうちはだいたい5分を目安にして、10分も20分も座らせたままにしておくべきではありません。

その他の強化子の与え方も同じことです。ご家庭を訪問したり、定例会で個別指導をすると、まだ指示に答えていないうちから、次の強化子はこれがほしい、と言わんばかりにお目当ての強化子の方に手を伸ばして、ろくに教材を見ていない子どもがいます。

そのときに、つい釣られて子どもの指さす強化子の方に手を伸ばしたりすると、子どものリクエスト行動をどんどん強化してしまい、だんだんセラピーどころではなくなってしまいます。

そうならないように、子どもが強化子の方を指さしたり、「ワーワー」と声を上げても、一切無視するようにします。そしてこちらがあらかじめ選んでおいた強化子を与えます。

つまり「いつ、どんなごほうびをあげるかは、お母さんが決める」のです。

ただ、子どもの意向を全く無視しろ、と言っているのではありません。子どもが何をほしがっているかを確かめるため、指示を出す前に二つか三つの強化子の中から、どれがいいか選ばせる、というのも、やる気を引き出すにはいい方法です。
しかしこれをいつもやっていると、強化子を見せないと課題をしない子になってしまう危険があります。やはり基本的には強化子は「後出し」であるべきでしょう。

大人が与えようとする強化子が気に入らないで、欲しい強化子の方を指さす行動も、まずは無視して、指示を出し、子どもが正解したら、あらかじめ決めておいた別の強化子を与えます。
子どもがそれを受けとろうとしない場合は、何も与えずにほめるだけにします。

そして、あと1,2試行行なってから、初めて子どもがほしがっていた強化子を与えるのです。

このように大人が主導権を握って、子どもに「服従」を強いるのは、子どもの尊厳を傷つけることだ、と思われる方もいるでしょう。

でもその子どもの能力を引き出して、伸ばしていってあげるためには、どうしても必要なステップなのです。その結果、子どもがいろんなことをどんどん学んでいってくれるようになったら、少しずつ子どもに自由を認めてあげられるようになります。それまでの辛抱です。

藤坂

第21号 2007.08.09:「記録の取り方」

<療育のコツ、子育てのこつ>
今日のテーマ「記録の取り方」

ABAに記録はつきものです。ABAの研究者はしばしば「記録フェチ」と言ってもいいくらい、記録を愛好し、記録にこだわります。

ABAの研究者が記録にこだわるのは、子どもの行動について客観的な記録を取って、介入(療育)の前後でそれを比較することによって初めて、その介入に効果があった(なかった)、と言えるからで、ABAが科学的な療育法、と言われる所以です。

そうやって客観的なデータを取ることで、初めてABAは「うまくいってるつもり」「役に立ってるつもり」の従来の心理療法から脱却し、「効き目のある療法」になることができたのです。ですから彼らが記録を取ることは、とても大切なことなのです。

しかし親であり、セラピストである私たちは、科学者ではありませんから、何もそんなに記録にこだわる必要はありません。
私たちにも記録は必要なのですが、「まず記録ありき」になってしまわないように、「わが子のセラピーに役立つ限度での記録」を心がける必要があります。そうでないと、記録の山に埋もれて、肝心のセラピーにエネルギーを割けなくなってしまうからです。

では私たちにどんな記録が必要なのでしょう。

これは、1人でセラピーをやっているか、複数で協力してセラピーをやっているか、によって変わってきます。1人でやっている場合には、覚え書き程度のもので十分ですが、多人数でやっているときは、それだけしっかりした記録を取る必要があります。

片親あるいは両親だけでセラピーをやっている場合は、そんなに詳しい記録は必要ありませんが、それでも最低限、一冊のノートを用意し、そこにその日やったプログラムとその結果を書き留めておきましょう。

できたら、前の晩か当日の朝に、その日やるつもりのプログラムを書いておき、セラピーの時に、実際にやったプログラムだけ、チェックするようにするといいと思います。前もって、どんなプログラムをするか、計画を立てておかないと、どうしても行き当たりばったりになってしまうからです。

それから、子どもが今出来ていることは、特に最初のうちはちゃんとリストにしておきます。例えば動作模倣や音声指示、音声模倣のレパートリーのことです。記憶に頼っているだけだと、毎日きちんと復習できないし、果たして進歩しているのかどうか、もはっきりしないですから。
時々、ご家庭にお邪魔すると、動作模倣や音声指示のリストすら用意しておられない方がいて、そういう人にはすぐに書いてもらうようにしています。

米国のABAエージェンシーでは、ディスクリートトライアルの1試行ごとの記録を重視するところが多いのですが、私たちが家庭でセラピーをする際、いつも1試行ごとの記録を取る必要はないと思います。

私も、最初はどのプログラムも1試行ごとに記録していましたが、そのうち、課題も増えてきて、煩わしくなってきたので、やめました。その代わり、ランダムローテーションで、「10試行中9試行以上」の基準をクリアできるかどうか、確かめるときだけ、1試行ごとの記録を取るようにしました。途中で崩れて、プロンプトだらけになってしまったら、記録を打ち切ります。

ランダムローテーションで記録を取るのは、「できたつもり」にならないためです。10試行中9試行以上、というのは最初はなかなか達成できませんが、本当に子どもがその課題を理解して、しかも注意力が維持されると、ちゃんと達成できるものです。自らに厳しい基準を課すことによって、自分のセラピーの技量も、子どもの状態も、向上させることができました。

1 試行ごとの記録の仕方は、「つみきBOOK」に書きましたが、プロンプトなしの正反応は+、プロンプト付きの正反応は+p、誤反応や無反応は-、と記録します。これはお好みですから、○、△、×でもかまいません。

数人のセラピストを雇って本格的に長時間のセラピーを行う場合には、もっとしっかりした記録を取る必要があります。記録ノートも、系統だったものにする必要があるでしょう。

例えば、記録ノートの最初のページは、セラピストの「出勤簿」にします。その日の日付、時間帯、担当者の名前を書く欄を設けます。その右に、簡単なコメント欄を設けるといいかもしれません。

次のページには、現在進行中の課題の一覧を載せます。その右に日付欄を用意し、その日、する予定の課題に○をつけておきます。それをセラピストが見て、実際にやった課題にチェックを入れていくのです。そうすれば、その日の計画がどの程度実行できたかが、一目瞭然でわかります。一日に複数のセラピストが担当する場合には、チェックマークの代わりに、自分のイニシャルを書き込みます。

その次に、これまでやった課題をジャンルごとにまとめておきます。その右には日付欄を用意し、復習した日にチェックを入れておくといいでしょう。習得済みの課題でも、時々復習しないと、子どもは忘れてしまうものですから。

その次に、進行中の各課題について、細目を記入するページを設けます。ここには、冒頭のページに課題の名称、プログラムの細目、教え方、を書いておきます。次のページからは、各細目ごとに、1試行ごとの記録用紙を挟んでおくか、もっと簡単にしようと思ったら、その日の「初回反応」だけを記録してもらうようにします。

こう書くと割と簡単なようですが、実際にこういう本格的な記録ノートを作ろうとすると、なかなかどの課題にもぴったりする記録方法、というのはなくて、四苦八苦することになります。
最初から意気込んで、詳しい記録シートを作っても、結局、日々のセラピーに追われて、記録を見ている暇さえない、と言うことになりがちですので、最初は無理せず、最小限の記録からスタートしましょう。

<綾ちゃんニュース>
今週も綾ちゃんは、お父さんとお母さんの愛情を一心に受けて、幸せ一杯です。

今週のニュースは、「綾ちゃん、枕を足で蹴る」です。

綾ちゃんとお父さん(つまり私)、お母さんは、いつも畳の部屋で、布団を三枚並べて寝ています。綾ちゃんはその時の枕の並べ方にこだわりがあって、全部で5つもあるわが家の枕を全部決まった順番に並べてから寝ます。

綾ちゃんが枕を並べるまでは、お母さんが枕をいつもてんでバラバラに置いています。最近まで、綾ちゃんはそれを一つ一つ両手でていねいに持ち上げて、置き直していました。

ところが最近、綾ちゃんのやり方が変わったことに気がつきました。

すべての枕を両手で持ち上げてていねいに並べ替えるのではなく、まずは邪魔な枕を乱暴に足で蹴って場所を確保し、それからその場所に置くべき枕を両手で取り上げて、所定の位置に置くようになったのです。

それがどうしてニュースかというと、綾ちゃんはそれまで足をそんな風に器用に使ったことはなかったのです。何をするにしても、いつも手を使っていました。それを、手の代わりに足を使うなんて、何て画期的なんだろう、と私は思ったのでした。

とてもお行儀が悪いけど、また一つ、賢くなったんだね、と、心の中で綾ちゃんをほめてあげたのです。

以上、今週のトリビアな綾ちゃんニュースでした。

藤坂

第18号 2007.07.12:「セラピストの探し方」

<療育のコツ、子育てのこつ>
今日のテーマ「セラピストの探し方」

ABAはやりたいけど、自分でする自信はない。誰か上手なセラピストが来てくれたら、と思っておられる方は多いと思います。

私も、最初はそうでした。初めてキャサリン・モーリス「わが子よ、声を聞かせて」を読んで、自分たちもやろう、と思ったとき、まず考えたのは、日本にもブリジットのようなセラピストがどこかにいるんじゃないか、そういう人に来てもらって、子どもをよくしてもらえたら...、ということでした。

今となっては、それは半分以上、幻想だった、ということが分かっています。日本では大学でABAを学んで、ホームセラピーの経験もある上手なセラピスト、というのは、まだ非常に希な存在です。大学院で本格的にABAを学んでいる院生ですら、それほどセラピーが上手なわけではありません。日本では、大学院でディスクリートトライアルの実習をするところは少ないからです。

ですから、救世主のような名人セラピストがどこかにいる、と思わない方がいいのですが、それでも、熱心なセラピストが定期的に来てくれれば、親にとって、心強いことは確かです。

ではそういうセラピストはどこで探したらいいのでしょうか。

まずここ数年、東京周辺と、大阪・神戸周辺に限りますが、セラピストを派遣してくれる専門の会社ないし組織がいくつか現れてきました。
関東ならオーティズム・パートナーシップ、関西ならキッズ・パワー、BEC,プロンプトなどです。
オーティズム・パートナーシップ(AP)は非常に高額ですが、カリフォルニアに本拠のある、本格的なABAエージェンシーです。
キッズパワーは、元もとつみきの会でセラピストをされていた江口さんが立ち上げた「国産」のABAエージェンシー第一号です。
BECはアメリカ帰りのセラピスト、上村さんが運営されているエージェンシーです。キッズパワーとBECは、いずれも本拠を神戸に置いています。

プロンプトは、兵庫教育大の井上先生のゼミの卒業生が作っている組織で、関西~岡山のいくつかの地域で、隔週1回程度、大学院卒業生がセラピーに来てくれる、というサービスを提供しています。

こういうエージェンシーの利点は、セラピストが一応の訓練を受けていること、背後に指導者がいるので、プログラムも立案してもらえること、でしょう。
ただ、セラピストの質を一定に保つのは難しいので、どのエージェンシーに頼んでも、やはり当たりはずれは覚悟しなければ行けません。また金額が高いこと、人気があるところほど、ウェイティングリストが長いこと、も欠点と言えるでしょう。

さて、こういう専門エージェンシーを度外視すると、つみきの会の会員さんたちは、様々な方法でセラピストを見つけておられます。

まず、近隣の大学に当たってみる、という方法があります。大学生は、講義やクラブが忙しいのが難点ですが、若くて(大抵は)かしこいので、ABAについて事前に何の知識がなくても、急速に学習して、いいセラピストになってくれることが多いです。
見つけ方は様々です。教育学部があれば、そこの障害児教育担当の先生に相談して、紹介してもらう、という手もあります。直接出かけていって、募集のチラシを貼らせてもらう、という方法もあります。ボランティアサークルを通じて依頼する人もいます。
最近は、個人のアルバイトを大学がなかなか斡旋してくれなくなりましたが、そう言うことをしてくれる大学もありますので、その場合は、「言葉の遅れている子どもの遊び相手募集」とか言って、来てもらうといいと思います。いきなりABAとかセラピスト、という言葉を出すと、まず断られます。

変わったところでは、家庭教師派遣会社に相談して、来てくれた学生家庭教師にABAを勉強してもらった、という人もいます。

次に、手近なところで、家族、親戚、知人に頼む、という手があります。私の知っている例では、お母さんと、ご主人の妹さんがセラピーをされているケース、お母さんと、お母さんの幼なじみの友人がセラピーをしているケース、などがあります。

他には、ヘルパーさんにセラピストをしてもらっているケースを2件知っています。近くに大学がない場合は、現実的な選択かも知れません。

藤坂

第14号 2007.06.14:
「比較の中で教える」

<療育のコツ・子育てのこつ>
今日のテーマ「比較の中で教える」

自閉症の子どもに何かを教えようとすると、しばしば健常児とは比較にならないほどの困難に直面します。

それには、協力心のなさ、注意散漫、などいくつか理由があるのですが、もう一つの理由に、物(対象)と名前との1対1の結びつきが、なかなか理解できない、という自閉症児の(?)特性があるように思います。

物の本によると、健常のお子さんの場合、日常生活の中でコップを見せて「コップで飲むよ」と言ったり、帽子を見せて「帽子かぶるよ」と何気なくいうだけで、コップの名前は「コップ」、帽子の名前は「ぼうし」というんだ、と覚えてくれるらしいです。つまり帽子を見せて「ぼうし」と言ってやると、「あ、これは「ぼうし」という名前なんだ」と簡単に理解するわけです。

私は健常児を育てたことがないので、そういう経験をしたことがないのですが、なんかあこがれます。そんなに簡単に物の名前を覚えてくれたら、どんなにか楽でしょう。

しかし私の娘の場合は、そうは行きませんでした。

娘に初めて物の名前を教えようとしたときのことです。まず「ボール」を教えようと思って、子どもにボールを見せ、何度も何度も「ボール」と言って聞かせました。それから「ボール取ってきて」と言ってボールを取って来させたりもして、とにかく「ボール」という言葉を印象づけようとしました。

やがて子どもは、いくつかの物を並べておいても「ボール取ってきて」というと間違いなくボールを取ってこれるようになりました。私たちは(特に妻は)、もう「ボール」という名前がわかっただろう、と思いました。

しかしそれは大きな間違いでした。と言うのは、次に「缶(カン)」という名前を教えようと思って、ボールとカンを並べて、「カン取ってきて」というと、子どもはボールを取ってきてしまったからです。つまり子どもが理解したのは、「とにかくこの、いつも自分のそばにいる大きな二つの存在(私と妻のことです)が何か叫んだら、あの赤い丸い物体を取ればいいんだな」ということだけだったのです。その丸い物体と、「ボール」という言葉を結びつけたわけではなかったのでした。

このように自閉症児に言葉を教えてみると、いくら物を見せて、その物の名前を言っても全然覚えてくれなかったり、逆にお母さんを見せて「ママ」と教えると、誰でも「ママ」になってしまったり、ということをよく経験します。

自閉症児の教育に1960年代から取り組んだロヴァース博士たちも、同じ問題に直面したようです。ロヴァース博士の著書「自閉児の言語」や「ザ・ミーブック」を読むと、初期の苦労がかいま見えます。
しかし彼らの(そして彼らのさらに先駆者たちの)すばらしいところは、私たちと違って、その困難を克服する手段を発見したことです。

それは、彼らに、常に比較の中で教える、ということです。

例えばテーブルの上にボールだけを置いて、「ボール」「ボール」と何度言って聞かせ、その度に子どもにボールをさわらせても、それだけでは子どもは、その物の名前が「ボール」だ、ということを理解しません。

そこで、テーブルの上にボールと、例えばカンを置き、「ボール」と大人が言ったときは、カンではなくボールにさわらせ、逆に「カン」と言ったときには、缶にさわらせるようにします。これをランダムな順番で繰り返し、10試行中8ないし9試行以上正解できて初めて、ボールと「ボール」、缶と「カン」が、物とその名前として結びついた、と言えるのです。つまり「ランダムローテーション」ですね。
ボールとカンで、これが出来るようになったら、今度は他の物とボールとでも同じ手続を繰り返します。比較対照する物が多ければ多いほど、それだけ「ボール」という概念が正確なものになっていきます。ボールとカンだけでやめてしまうと、ミカンだってリンゴだって、丸い物はみなボールと思いこんでしまいかねないですよね。

私たち、つまり私と妻は、苦労してこのことを理解し、娘に合った教え方を身につけました。そうして初めて、娘は本当の意味で言葉を学び始めたのです。ロヴァース博士(とその先輩、同僚、後輩の行動分析学研究者たち)には、ただ感謝するしかありません。

やがて娘は、そんなに厳密なランダムローテーションをしなくても、いろんな物の名前を覚えてくれるようになっていきましたが、その後もずっと、娘に何かを教えるときは、必ず比較対象を用意することが、私たちの習い性になりました。

例えばABAを始めて1年以上経ったとき、ふと、カーテンの名前をまだ教えていなかった、と気がついたとします。その頃にはもう娘はその物の名前を数回言うだけで、結構覚えてくれるようになっていましたから、さっそく窓の側に娘を呼び寄せて、カーテンを見せて、「カーテン」「カーテン」と二度くらい言ってやります。それから「これなあに?」と聞くと「カーテン」と答えてくれます。

しかしそれだけではまだ安心できません。思わぬ物を「カーテン」だと思いこむ可能性があるからです。例えばカーテンの向こうにあるアルミサッシの窓を「カーテン」だと思っているかも知れません。

そこで、すぐにカーテンを開いてアルミサッシを指さし、「これは?」と聞いて、すぐに「窓」と答えを言ってやります。「そうだね。窓はどれ?」と聞くと、子どもはガラス窓を指さします。「じゃあ、カーテンは?」と聞いて、今度はすぐにカーテンの方を指さしてやります。カーテンと窓が区別できたことが分かったら、少し間を置いて、今度はカーテンと窓と壁が区別できているかどうか、確かめます。

こうすることで、カーテンの概念を正確に教えてあげることが出来ます。

子どもに何かを教えるとき、このように最低1つか2つの、子どもがその物と混同しそうな何か別の物と、常に比較対比させながら教える習慣をつけると、子どもが小学校に入ってからも役立つと思います。

例えば引き算を教えるときは、常に足し算との比較で教えます。そうでないと、私たちの子どもは、すぐに足し算でも引いてしまうようになります。かけ算、割り算も同じで、新しい計算を教えたら、すぐにそれまでの計算と対比させて、それと区別させます。そうしないと、私たちの子どもは健常の子の何倍も混同しやすいのです。

藤坂

第10号 2007.05.10:
「課題をとことん簡単にする」

<療育のコツ・子育てのこつ>
今日のテーマ「課題をとことん簡単にする」

先月は療育・子育てのコツとして、「ほめる(強化する)」ということを取り上げましたね。

セラピーを成功させるもう一つのこつは、課題をできるだけ簡単なものからスタートさせる、ということです。しかもふんだんに援助(プロンプト)して、とにかく成功からスタートさせます。これは就学期の教育や、家庭での機会利用型指導でも変わりません。

いきなり難しいハードルを課して、スタートからつまずかせてしまうと、子どもはそれだけでセラピーが嫌になってしまいます。ですから「せっかち」は禁物なのです。

ではどのくらい簡単にするか、というと、例えば、小さい子どもに、ボールを狙ったところに投げる、ということを教えるとしましょう。
私だったら、まずビニールプールを部屋の中に広げて、子どもをそのすぐそばに立たせて、子どもの手に持ちやすい大きさのボールを握らせて、「投げて」と言うと思います。そして手を取ってプールの方向にボールを放らせます。

それだけ的が広ければ、ただボールから手を離しただけでも、的、つまりプールの中に入ってしまうでしょう。そうすれば、子どもを成功させることができます。成功させることができれば、強化することができます。強化することができれば、子どもを学習させることができるのです。

おまけに、プールの中に色とりどりのボールが貯まっていけば、子どもにとっても楽しいですよね。たくさん貯まれば、ボールプールみたいに遊ぶこともできて、一石二鳥です。

そうやって、さんざん成功体験を積ませてから、徐々に課題を難しくしていきます。この場合は、子どもの立つ位置を、少しずつボールプールから遠ざけていけばいいのです。

ただし一気に遠くしすぎると、急に成功率も下がってしまい、子どもが嫌になります。ですから、5~8割は成功する程度にしておいて、成功したらきちんと強化し、失敗したら、強化を与えないようにします。そうすれば、子どものやる気はそこそこ維持されていき、学習が進んでいくでしょう。

前の段階より一段と遠くしたときは、子どもの手を取ってやり、投げるときのスイングを大きくするよう、プロンプトしましょう。プロンプトは徐々にフェーディングしていきます。

今のは、もし私が教えたら、ということです。実際には、私の娘には妻が別の方法で、ボールの投げ方(上投げ)を教えました。

どうしたか、というと、わが家にはトイザらスで買った、マジックテープが巻いてある小さなボールと、それを投げたらくっつくようにできている、同じく表面がマジックテープのようになっている丸い的がありました。

妻は居間のタンスにその的をぶら下げて、まず娘の綾をそのすぐ前(手を伸ばせば届く距離)に立たせ、ボールを持たせて、それを的にくっつけさせました。これなら失敗するはずがありませんね。
そうやって、何度も成功させてから、徐々に綾の立つ位置を遠ざけていったのです。この方法で、綾はいつの間にか、少し離れたところからでも、的を目がけて投げることができるようになりました。

投げることばかりを取り上げましたが、このほかにもいろんな課題で、「とことん簡単なものから徐々に難しいものへ」という「法則」は当てはまると思います。
どうか、難しい課題でお子さんを試さないで。難しい課題をやさしくかみ砕いて、お子さんがどうやっても成功せざるを得ないように持って行くのが、私たち親や教師の務めだと思って下さい。

藤坂