第49号 2008.03.27:「綾ちゃんニュース」
<あれこれ>
今日のテーマ「綾ちゃんニュース」
<ハラハラドキドキ卒業式>
先日、綾はとうとう卒業式を迎えました。
学校は2週間ほど前から卒業式の練習を始めました。一人一人せりふもあるようなので大変です。
幸い、綾はせりふを言うタイミングも割と簡単に覚えました。そこで妻はもうそばに付かないことにしました。
2 日前の予行演習では、大きい声ではきはきとせりふを言い、歌も大きな声で歌えたようで、職員室でも「綾ちゃんはえらい」という話が持ち上がったそうです(妻の耳にはそういう情報も入ってきます)。
しかし予行演習と本番は違います。何が違うか、というと待ち時間の違いです。せりふを言えるかどうか、というよりも、果たして長い待ち時間に綾が耐えられるか。これが本番を間近に控えた私たちの一番の心配事でした。
さて卒業式当日です。私も妻も、保護者席で見ています。私はビデオカメラを構えています。
こどもたちは体育館のステージ脇から5人ずつ入ってきて、観客に一礼し、それからステージを降りて、保護者と向かい合った卒業生席に座ります。なかなか気の利いた演出だと思いました。綾も上手にお辞儀をして、席にすわりました。
次は卒業証書授与です。前にすわった子から一人ずつ立ち上がって、体育館中央に作られた、校長先生の演台に向かいます。名前を言われて立ち上がるのではなく、自分の隣の子が立ち上がって、数メートル歩いたら、自分も立ち上がるのです。
綾の番が近づいてきました。カメラの画面から覗くと、なんだかぼんやりしています。
前の子が立ち上がって歩き出しました。果たしてタイミングよく立ち上がれるでしょうか。
ああ、やっぱりぼんやりしています。隣の子とうしろの子に突っつかれて、ようやく立ち上がりました。しかし、あとは練習どおりに直角に歩き、演台の前でも、自分から両手を差し出して、しっかり証書を受け取ることができました。あとで校長先生が、「両手を出しなさい、と声をかけないといけないかと思っていたけれど、自分から手を出せて立派でしたよ」と言って下さいました。
さて、証書を受け取って、自分の席に戻ってからが、いよいよ問題です。あとは校長先生や来賓のお話の間、ただすわって待っていないといけないからです。果たして、おとなしく待っていられるでしょうか。
綾が自分の席に戻ってからも、たくさんの子が次々に証書を受け取り続けます。最後の子が証書を受け取り終わるまでに、すでに綾はかなり待ちくたびれたようです。だんだん髪を掻いたり、身体をわずかに前後に揺すったりし始めました。私は振り返って、うしろにいる妻と顔を見つめ合いました。
それから、長い長い校長先生の話が始まりました。きちんとお話を聞いていたいのですが、それどころではありません。とにかく早く終わってくれ、と祈るだけです。そのうち綾は眠くなったようで、ときどきあくびをして目をこすったりし始めました。そうかと思えば、ひざの上に置いた大きな証書はさみをいじって、落っことしそうになりました。
校長先生のお話が一段落しました。一瞬、「終わったのかな」と期待したのですが、「もう一つ、皆さんに言いたいことがあります」と、また長いお話が始まりました。
綾は今度は、なにやらブツブツ言い出したようです。ここまでは聞こえませんが、口が動いているのが分かります。そうかと思えば、時々にやにや笑っています。とうとう隣の子に注意されてしまいました。それで一瞬口を閉じますが、またしばらくするとブツブツ言い出します。私は、いつ叫びだしたり、笑い出したりするのではないか、と気が気ではありませんでした。まさに爆弾を抱えている思いです。
でも、永遠のように思われた校長先生の話もようやく終わりました。
その後もPTA会長の話や、来賓紹介、祝電披露、と「待ち」の時間が続きましたが、さいわいそれほど長くはなく、始めと終わりに「起立、礼」があるので、綾も気が紛れたようで、なんとか終わりまで持ちました。
最後に、卒業生が一斉に歌を歌ってから、一人ずつ、短いセリフを言って、6年間の学校生活を振り返るコーナーがあります。これが始まると、綾は途端に別人のように集中力を取り戻しました。どうやらこれは楽しみにしていたようです。
歌は前を向いて、大きな口を開けて歌えていました。その次はいよいよ一人ずつ短いセリフを言ってつなげていく場面です。綾はうまく自分の番がこなせるでしょうか。
あやの番は、冒頭から7番目くらい。前の男の子が、「給食はおいしいかな」と言ったら、それが合図です。綾は誰からも指示されることなく、正確なタイミングで「ちょっぴり不安もあったけど」という自分のセリフを大きな声で言うことができました。見事なイントラバーバル(音声刺激を手がかりに音声反応をすること)です。これでこそ、ABAを教えてきた甲斐があったというものです。私はとてもうれしくなりました。
その後も綾は、みんなが一斉に言うせりふを一つも逃さず、大きな声で言うことができました。時々、タイミングがわずかに早くて、綾の声が観客席まで聞こえてくるほどでした。
そして、卒業式は終わりました。涙を流すどころではなく、ハラハラし通しの、しかし結構感動させられた卒業式でした。
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一年間に渡って、このミニマガつみきをほぼ毎週お届けしてきましたが、今日で、私の連載はひとまず終わりにします。
もともと毎週木曜日にお届けするはずでしたが、だんだん遅配が目立つようになり、最後は日曜の深夜になってしまいました。それでも、なんとか一年間、続けることができて、ほっとしています。読んで下さった皆さん、ありがとうございます。
すでにご案内したとおり、4月からは、一月毎に、いろんな会員さんにお願いして、4回ずつリレー連載をしてもらおうと思っています。
4 月は、ロサンジェルス在住の古参会員、飯島みゆきさんが、ご自身の療育体験や、ロスの現状について報告して下さることになっています。お楽しみに。
藤坂
第45号 2008.02.28:「綾ちゃんニュース」
<あれこれ>
今日のテーマ「綾ちゃんニュース」
<あやちゃん、発達検査を受ける>
今月はいろいろ動きがあった月でした。
2008 年2月28日発行 まず長い間ぐずぐずしていた療育手帳を、とうとう取ることにしました。これまで、特に困ることはなかったのですが、これから中学・高校と進むにつれ、いずれは必要になる、と思ったからです。
その療育手帳を取るために、先日、実に7年ぶりに発達検査を受けました。新版K式です。結果は、総合53でした。
前回の幼稚園の時は60で、今回もその程度かな、と思っていたので、ちょっとショックでした。でも小学校に入ってからは学校の勉強の補助とピアノぐらいしか教えていなかったので、仕方ないのかも知れません。
50 しかないのに、綾はよく頑張ってきたと思います。
検査をした判定員によると、視覚的な記憶と、数唱の記憶だけは年齢より優れていて、16,7才程度だったそうです。この力で、これまで弱いところを補ってきたのでしょう。
50 から70が軽度なので、B2判定だそうです。来年は障害者控除が受けられるな、と、ちょっと楽しみにしています。
<あやちゃん、さよならコンサート>
今日は小学校で「さよならコンサート」がありました。卒業式に先だって、6年生全員とその親が参加し、各クラスごとに曲を一曲ずつ演奏するのです。
綾のクラスが選んだ曲はコブクロの「蒼く優しく」で、綾は伴奏のキーボードを選びました。
12月だったか、その楽譜を見せられてびっくり。プロでないと演奏できないようなとても難しいものでした。
しかしキーボード(ピアノ)は綾のほとんど唯一の特技ですから、ぜひ成功させたい、と思い、12月から少しずつ、仕事の合間を縫って練習させてきました。
1 月の終わりまでに、右手の旋律の方はなんとか教えたのですが、左手と合わすとなるとまたこれが難関でした。一ページごとに、難関のフレーズが次々と現れます。夜、早く帰れる日に、30分かけてそのフレーズを突破して、3日後にその次のページ、という感じで、なかなか進みません。
いよいよあさってが本番、というおとといになって、やっと最後のページまで一応は仕上げました。
それでもあちこちに練習不足のフレーズが残っていて、前の日、通しで弾かせるとやはりそこでつまずきます。しかしもう上手になるまで練習する時間はありません。
むしろ大切なのは、「しくじってもそこで止まらず、最後まで遅れずに弾く」ということです。できない部分をあまりうるさく言うと、綾はその箇所にこだわってしまって、もし間違えたら本番でも弾き直そうとして、取り返しが付かなくなってしまうでしょう。
ですから、「途中で止まらないよ」と言って、最初から最後まで通しで弾く練習を2度ほどし、止まらなかったことをすごくほめてあげました。
綾もこれまでの経験で、強いこだわりを持たせさせしなければ、「間違えても気にせずに、適当に弾く」という大切な技を身につけています。
今日はいよいよ本番。私は観客に回るつもりでしたが、まだ十分仕上がっていないので、急遽、本番も綾のそばについて補助することに。
午前中、リハーサルがあったので、そのときに学校に行って、綾のそばで楽譜をめくりながら、テンポを取ってやりました。綾は最後のページで一度全体の音とずれてしまいましたが、ラスト直前で周りの音を聞いて、復帰できました。とにかく「上手だったよ」とほめてあげました。
リハーサルでは、綾のキーボードのそばに私も立って補助したのですが、後で聞くと、それでは奥のピアノの子が見えなくなるから、すわって補助して欲しい、とのこと。自分の子の援助に一生懸命で、他の子のことがまるで見えていませんでした。反省です。
さて、午後の本番。今度はキーボードの横にしゃがんで補助したので、テンポまで取ってあげられません。しかし綾はリハーサルのおかげか、実に上手に周りの音に合わせて、軽快に弾いていきます。途中で笑顔も出て、キーボードから顔を上げて、時々軽い笑い声を上げながら、実に楽しそうに弾き始めました。私もその顔を下から見上げて、幸福感に充たされました。
本番は最後までテンポを外すことなく、上手に弾き終わりました。2ヶ月間の練習が無駄にならずに済んで、本当によかったです。
<中学校のこと>
綾は来年度、近所の公立中学に進学します。小学校と同様、親の付き添いで普通学級に進むことを希望しています。
学校には去年の夏にその旨、申し入れて、秋に校長先生に直接面談しました。 返事は1月頃もらえる、とのことだったので、ずっと待っていたのですが、2月に入っても一向に返事がありません。こちらから電話をすると、かえって先方が断りやすくなりそうで、かけずにいました。
特殊学級の申請はしなかったので、綾は普通学級と言うことになっています。しかし普通学級で綾が一人でやっていけないのは明白です。しかも小学校で親の付き添いが有効かつ問題もなかったことも明らかなので、このまま行けば、自然に親の付き添いを認めざるを得ないはず、下手に動くとかえって不利になる、というのが私の読みでした。
今日、ようやく中学校に問い合わせの電話をしたところ、案の定、忙しくて来年のことは先延ばしにしていたようで、教頭先生が具合悪そうに受話器に出られましたが、「基本的にそちらのご意向に添う方向では考えています」とのこと。現時点ではその返事で十分でしょう。
「きっとお忙しいんだろう、と思っていました。別にお返事は急ぎませんから」と言って、受話器を置きました。
本当は最後の詰めが終わるまで、ここに交渉過程を公開したくなかったのですが(ここに公表したことが先方や教育委員会の耳にはいると、我々に不利に働く可能性があるので)、「綾ちゃん、中学どうされますか」とあちこちで聞いて下さるので、お知らせすることにしました。
特に明石とその周辺の皆様、ここに書いたことを、地元学校関係者の耳に入れないようにくれぐれもお願いします。
藤坂
第43号 2008.01.24:「罰であふれた世界から強化でいっぱいの世界へ」
<あれこれ>
今週のテーマ「罰であふれた世界から強化でいっぱいの世界へ」
21 日付朝日新聞(関西版、夕刊)に大阪府柏原市の知的障害者施設での虐待の記事が載っていました。ご覧になった方もいらっしゃると思います。
この施設では職員が恒常的に入所者に以下のような暴力を振るっていたようです。
・遅れがちな入所者を仰向けに倒し、いすの脚を腹部に押しつける
・空腹で落ち着かない入所者の腹部を職員がアッパーカットの要領で殴打する
・かまってもらおうと叩いてきた入所者の背中へ膝蹴りする
・他の入所者を叩いた罰として頬が晴れ上がるほど何度も平手打ちする
・罰として角材を足に挟んで正座させる また以下のような侮辱行為も行なわれていました。
・「○○さん、家に帰られへんねんで」「もう絶交や」などとからかい、入所者が「いや、帰る」「仲良くして」と必死にすがる様子をおもしろがった
最近、このような知的障害者への虐待行為が、入所施設や養護学校などで行なわれている実態がしばしば報道されます。おそらく報道されるのは氷山の一角なのでしょう。
背景には、「言うことを聞かせるには罰するしかない」「甘くすればなめられてしまう」という発想があるようです。これは少なくとも日本社会では、障害者の世界に限ったことではなく、広く健常者の世界(学校、クラブ、会社など)にも蔓延していると思います。
こういう現状に対して、私たちつみきの会ができることはないでしょうか。
私たちがABAから学んだことは、子どもたちは罰によってではなく、強化によってもよい方向に導くことができるし、むしろその方がよいことが多いのだ、と言うことです。
つみきの会は、現在、主として早期家庭療育に取り組んでいますが、私たちの子どもはどんどん大きくなっていきます。
これから私たちは、地域ごとに連絡を取り合って、地域の特殊学級、養護学校、知的障害者施設などにABAの導入を働きかけていきませんか。そしてこれらの閉ざされた社会を、罰であふれた世界から、強化でいっぱいの世界に変えていきませんか。
私たち親は、子どもを預かってもらっている、という負い目から、ついつい、これら学校、施設に対して意見を言わないまま我慢してしまいます。しかし私たちの子どもは、自分では権利を主張することができません。私たち家族しか、彼らの権利を守ってあげる者はいないのです。
そう考えれば、私たちは勇気を出して、学校や施設に対して、もっとうるさく意見を言わなければ行けません。意見を言うだけではなく、実際にちゃんとやっているのか、親が交代で監視するシステムも必要だと思います。親が常に出入りしている施設では、そんなにひどいことはできないのではないでしょうか。
PS.この一週間風邪を引いてしまい、掲載が遅れました。すみません。
藤坂
第39号 2007.12.27:「綾ちゃんニュース」
<あれこれ>
今日のテーマ「綾ちゃんニュース」
「綾ちゃん」というのは、わが家の小6の娘です。軽度から中度の知的障害を伴う自閉症です。最近の綾のトピックをご紹介します。
<綾ちゃんUSJに行く>
先週末に台湾から妻の母、姉、姉の息子つまり甥(成人)、4才になる姪の娘(姉の孫娘)がわが家に遊びに来ています。急に「行く」と言われて、私も予定をびっしり入れていたので困ったのですが、さすがに一週間ほおって置くわけにも行かず、24日は明石の発達相談をお休みさせて頂いて、親戚孝行をさせていただきました。
24 日に連れて行ったのは大阪のUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)です。近くにありながら、これまで行ったことはありませんでした(私はお金のかからない娯楽が好きなタイプです)。しかしゲストのリクエストなので、やむを得ません。急遽、ネットで予約を取り、7人乗りのレンタカーを借りて出発です。もちろん綾と妻も一緒に行きました。
寒風の吹きすさぶ中、どのイベントも60分から90分待ちでしたが、クリスマス特製ケース入りの山ほどのキャラメルコーンのおかげで、綾は待ち時間を持ちこたえることができました。
入ったのは、シュレック、ETアドベンチャー、ジュラシックパーク・ザ・ライド、バックドラフトです。
ETは、モノレールのような乗り物(一度に12人くらいが乗って、一人一人自転車にまたがるような感じになっている)に乗って、ETの世界を旅します。 私にはちゃちな子供だましのセットに思えたのですが、綾は意外に気に入ったようで(考えてみれば、子どもなのですから、「子供だまし」がうれしくて当たり前です)、家に帰ってから、「またユニバーサル行きたい。星の旅に行きたい」と言い出しました。
「星の旅」というのは、映画の中でETと少年たちが夜空を自転車でこぎ渡るシーンがあって、それを模して夜空のセットの中をモノレールが通るところがあったのです。でも「星の旅」という表現は立派で、びっくりしました(妻があらかじめインプットしたのかも知れませんが)。
続いてジュラシックパーク。これはボートに乗って森の中の水路をゆっくりと動き、左右にいろんな恐竜が出てきます。最後は壊れた発電所の中に入っていき、真っ暗な中からいきなり急降下して外に出て行くのですが、この最後の落下が超こわかったです。
綾は最初から恐竜が怖かったようで(綾は猫も犬も怖いのです)、私の手を握りしめていましたが、発電所の中に入るとますます怖くなったようで、私も何度も綾の手を握りなおして、「大丈夫、パパがいるからね」と安心させてやりました。
でも最後の大落下のところは、私自身、このまま綾と天国に行くのではないか、と思ったくらい怖かったです。この落下の瞬間は写真が撮ってあって、出口で販売しているのですが、むしろ私の方が綾に身を寄せるようにして目をつむっていました。綾も目をぎゅっとつむって、歯を思い切り食いしばり、恐怖300%、という顔をしていました。
そのせいでしょう。帰ってから「また星の旅行きたい」と言ったあとで、「森は行かない」と言いました。「森に何がいるの?」と聞くと「恐竜」と行ったので、ジュラシックパークのことだと思います。
ジュラシックパークで怖い思いをしたにもかかわらず、USJはすっかり気に入ったようで、翌日になると、カレンダーをめくりながら、「5月3日憲法記念日・・・。」と言い出しました(6年生になると憲法のことも習うので、憲法記念日も意味はわからないながら、文字としては読めるのです)。
「ははあ」と思いながら、「何?」と聞くと、案の定「USJユニバーサルジャパンに行きたい」とのこと。あわてて「5月3日は行きません」ときっぱりと否定しました。綾のリクエストに一々応えていたら、お金がいくらあっても足りません。
藤坂
第35号 2007.11.22:「若き父親へ」
若き父親へ
いまあなたの家庭は、我が子の障害という未曾有の危機に直面している。この危機に際して、あなたは我が子を救うため、一世一代の戦いを挑まなければならない。
幸い道はある。まだ踏み固められていない険しい道ではあるが、それだけあなたがその能力を発揮できる余地は大きいだろう。
あなたには仕事があるだろうから、現実の療育はほとんど妻の役目となるだろう。あなたに求められているのは、現実を冷静に見据え、情報を収集し、要所要所で的確な判断を下すことである。
あなたの妻は悲しみと不安に震え、慰めを必要としている。あなたは男らしい冷静さとやさしさで、しっかりと妻を支え、励ましてやらなければならない。
あなたが戦いに勝利することができるかどうか、それは誰にもわからない。しかしあなたに求められているのは、戦いに勝つことだけではない。勝つにせよ、負けるにせよ、戦いの前にひるむことなく、常に戦いの先頭に立ち、最後まで他の者を励まし続けること。それこそが、あなたの家族があなたに望んでいることなのだ。
いまのあなたは、我が子の回復だけを願っていることだろう。しかしあなたにはまだわからないだろうが、回復しなかったからと言って、この戦いは必ずしも敗北ではないのである。指示に従えること、言葉を引き出すこと、身の回りのことが一つでも多く出来るようになること、それらは皆、後から振り返れば、立派に戦うに値することなのだ。
戦いを回避して、悔いを残してはならない。失うことを恐れるな。わが家のために戦う静かなる勇士となれ!
藤坂龍司
第31号 2007.10.25:「綾ちゃんニュース特集」
<あれこれ>
今日のテーマ「綾ちゃんニュース特集」
私の娘、綾(小6)の近況をお伝えする「綾ちゃんニュース」10月号です。
<綾ちゃん、南禅寺でお茶をたしなむ>
今日、綾は学校の校外学習で、京都に行きました。妻は珍しくついていきませんでした。
妻はバスでの同行が認められないのと、クラスメイトの一部に油断できない子たちがいるので、「休ませる」と前から言っていました。
しかし直前になって担任のO先生から、「自分がずっとそばで見るから」と熱意のある説得を受け、「先生がそこまでおっしゃるなら」と、急に行かせる気になったのです。
行くことになってからは、妻よりも私の方が心配し始めました。
昔よりはしっかりしてきましたが、綾はまだいろんなことがわかりません。最近は、元気が余ってきたのか、外出中に興奮して急に走り出すことも増えてきました。ドライブインで、静止するまもなく急に走り出して車に轢かれたらどうするのでしょう。あるいは大きなお寺の境内で迷子になってしまったら・・・。
考えていると心配が膨らんできて、一度は妻に、「新幹線で京都に行って向こうで合流したら」と提案したのですが、妻はもう先生に任せる決心をしていたので、私も思い直しました。
当日の朝、綾は元気で出かけました。私はコンサルティングで終日留守にしていたのですが、急を知らせる電話がかかってきやしないか、とそれだけが心配でした。しかし妻の話によると夕方定刻より少し早く、無事バスで帰ってきたそうです。
京都では南禅寺と金閣寺に行きました。妻が先生やクラスメイトで聞いた話では、綾は金閣寺で、泣いてしまったそうです。原因はよくわかりません。何かがつらかったのでしょう。
それから南禅寺では先生が席をはずしている隙に、畳に寝そべってしまったそうです。低学年の頃なら、クラスの誰かが声をかけて座らせてくれたでしょうが、高学年になるとみんな冷たくなってしまって、声をかけてくれる子もいなかったようです。結局、先生が戻ってきて、座らせたらしいです。
きっとその他にもいろいろあったのでしょうが、どうせ先生は都合の悪いことは教えてくれないでしょう。まあ無事で帰ってきただけ、よしとするしかありません。
綾が帰ってきてから、妻は綾とこんな会話を交わしたそうです。
妻「南禅寺で何を飲んだの?」
綾「あたたかいお茶」
妻「何色だった?」
綾「みどり」
妻「どうやって飲んだの?」
こう聞くと、綾は急に床に正座をして、手を合わせ見せ、「おいのりして飲んだ」と答えたそうです。
それを聞いて、「そんな報告ができるなんて、綾も賢くなったんだな」と感心しました。O先生のお話では、綾はお茶を飲んだ瞬間、すごい顔をしたそうです。きっと苦くてびっくりしたのでしょうね。
以上、今月の綾ちゃんニュースでした。
藤坂
第27号 2007.09.27:「綾ちゃんニュース特集」
<あれこれ>
今日のテーマ「綾ちゃんニュース特集」
今日はしばらくお休みしていた、「綾ちゃんニュース」をまとめてお送りします。
「綾ちゃん」とは、小学6年生になった私の娘です。母親の付き添いで、普通学級に通っています。興奮すると「キーッ」と奇声を上げながらはね回ったりする低機能児ですが、一方で割り算をこなしたり、ピアノを弾いたりする部分高機能児でもあります。
<綾ちゃん、中学校にあいさつに行く>
先日、綾は私と妻と一緒に、来年進学する予定の近所の公立中学校にあいさつに行きました。
中学校をどうするか、いろいろ考えていたのですが、どうも小学校6年間、特殊学級の様子を横目で見ていて、中学もとても期待できそうにない(当たったらうれしいが、はずれたら逃げ場がない)と思ったのと、どうせ途中でつまづくだろうと思っていた算数が、いつの間にか小学校6年生まで大きなつまづきもなしにきたのが自信になって、中学校もこのまま普通学級でお世話になりたい、と思うようになりました。
といっても、相変わらず付き添いなしではとても無理なので、親の付き添いを引き続きお願いするために、中学校に出向いたのです。
校長先生と教頭先生に事情を説明して、「検討した上で返事をする」と約束して頂きましたが、どうなるかわかりません。
綾ちゃんは、教頭先生に声をかけられると一応返事をしていましたが、後は黙々と落書き帳に落書きをしてばかりいて、社会性のなさをしっかりと暴露していました。
<綾ちゃん、倒立に成功する>
東京定例会のあった22日(土)は、綾ちゃんの運動会でもありました。
私はうっかりしていて定例会の予定を入れていたので、小学校最後の運動会に出られない羽目になり、妻の不興を買いました。
運動会は、去年ダメだった組体操の倒立に、今年成功できるか、が最大の焦点でした。
特訓の甲斐あって、自宅ではできるようになっていたのですが(倒立と言っても、相方が手で支えるやつです)、9月に入ってからの学校の練習ではなかなか成功せず、私は半ばあきらめておりました。
なんせ、本番では1回目に成功しなかったら、その場にしゃがまなければならず、再チャレンジは認められていないのです。綾ちゃんは、2,3回やれば成功するのですが、初回は必ず失敗していました。
リレーはどうせ今年も遅いだろうし、今年は余り期待できないなあ、と思って、当日、あまり後ろ髪を引かれることもなく東京定例会に出かけたのですが、夜、帰宅してみると、妻が「倒立、成功したよ」と言うではありませんか。なんと、本番は一発で成功したらしいのです。
「ああ、それならぜひ見たかった」と思っても後の祭りです。
しかし妻にビデオ撮影を託していたので、せめてビデオで、と思ったのですが、テープを回してみると、肝心の倒立のところが映っていません。機器の扱いに慣れない妻は、撮っていたつもりで、ボタンを押し忘れていたのです。あ~あ。綾ちゃんの晴れ姿を見そびれてしまったのでした。
<綾ちゃん、速度の問題を解く>
今日は算数のテストがありました。速度のところです。「速度=道のり÷時間」「時間=道のり÷時間」「道のり=速度×時間」 この3つの公式のどれかを文章題に当てはめて、答えを出さなければいけません。
妻によると、授業では3つも式を教えられて、混乱している子どもが多かったそうですが、妻の方針で綾ちゃんは、一つの公式だけを覚えました。「速度=道のり÷時間」です。この式の変形の仕方を教えておけば、残り二つの式は簡単に出せるから、だそうです。
おかげで綾ちゃんは混乱することもなく、どの文章題もなんとか解けた、とのことです。わが妻ながら、さすがのコーチぶり。頭が下がりました。
以上、綾ちゃんニュース特集でした。
第23号 2007.08.23:「TEACCHとABA」
<あれこれ>
今日のテーマ「TEACCHとABA」
今日はTEACCHを取り上げてみます。
TEACCH(ティーチ)は自閉症児の療育・支援方法として、わが国では大変ポピュラーなものです。特にTEACCHの強い地域では、「TEACCHにあらずんば、人にあらず」と言わんばかりの勢い(押しつけがましさ?)があります。そんなところでは、わがつみきの会の会員は、まるで昔のキリスト教国におけるユダヤ教徒のような、肩身の狭い思いをしているようです。
TEACCHは米国ノースキャロライナ州立大学のショプラー博士(故人)という方が始められたもので、同州では州規模で取り組まれている、自閉症児者のための一生涯にわたる支援プログラムです。
TEACCHの特徴は、自閉症を克服の対象として捉えるのではなく、自閉症の特性を基本的に不変なものと見なして、その特性にあった支援を工夫する、というところにあります。
ロヴァース型ABAが、自閉症児を健常者の社会になんとか適合させようとするのに対して、TEACCHは、逆に健常者が自閉症者に歩み寄ろう、という根本姿勢を持っています。これは最近の障害者福祉の思想にマッチしているので、TEACCHがわが国の教育・福祉の領域で受けがいい大きな原因になっています。またロヴァース法がなかなか日本の教育・福祉界に広まらない一つの理由でもあります。
(ちなみに、ABA全体でいうと、TEACCHと同じ考えに立つ研究者もたくさんいるので、ABA全体の特徴、というわけではありません)
私の考えは、というと、TEACCHの思想が優れていることはわかるのですが、行き過ぎもよくない、と思っています。
例えば目の不自由な人に対して、もし外科手術で視覚を回復させることが出来れば、当然そうしますよね(本人、あるいは幼児の場合は代理となる親が望めば、ですが)。そのことと、現に視覚障害を持っている人に対して、健常者が歩み寄って、彼らにとって住みやすい環境を工夫することとは、全く矛盾しません。
自閉症児も全く同じだと思います。言葉の障害、社会性の障害、こだわりなどの自閉症児の特性は、彼らを健常者の社会で生きにくいものにしています。ABA早期療育によってそれらが過度の負担なく克服、軽減できるのなら、そして本人の意思を代理する親がそれを望むのであれば、そうしてあげるべきでしょう。
そのことと、児童期ないしそれ以降に、それらの障害特性の克服・軽減が困難であることが明白になったり、本人がそれを自分の個性として認めて欲しい、と望んだ場合に、健常者が歩み寄って、彼らにとって生きやすい環境を工夫することとは、矛盾しないと思うのです。
今のことと関連しますが、TEACCHは自閉症を不治の障害と捉えています。まあ、常識的には、知的障害や発達障害は、永続的なものでしょうから、基本的な考えとしては健全だと思います。
しかしTEACCHの場合は、それが行きすぎているように思えることがあります。
例えば内山登紀夫さんが昔「シャーロット便り」というリポートで紹介していましたが、内山さんがノースキャロライナ州に留学していたとき、指導を受けたTEACCHセンターのお医者さんは、ロヴァース法について、「回復した子供たちは誤診だったのだ」と断言したそうです。
彼の論理によれば、「自閉症は治らない。それなのにロヴァースの週40時間の介入で19人中9人は自閉症の診断がはずれるほどに回復した。だとすれば、彼らはそもそも自閉症ではなかったのだ」というのです。
しかしロヴァース博士の87年論文では、被験児全員が独立の専門機関によって自閉症と診断された、と明記されています。「自閉症は治らない」という前提を絶対視する余り、れっきとした学術論文の記述を明確な根拠もなく否定するのは、本末転倒と言うべきではないでしょうか。
TEACCHのもう一つの特徴は、視覚的コミュニケーションを強調することです。TEACCHによれば、自閉症児の多くは聴覚刺激の処理が苦手で、視覚刺激の処理に優れています。ですから、彼らにコミュニケーションを教えるときは、音声言語より、絵カードなどによる視覚的コミュニケーションの方がよい、というのです。
「本当の」TEACCHでは、音声言語が比較的得意そうな子どもにまで視覚コミュニケーションを押しつけたりはしないそうですが、日本の療育現場では、TEACCHを「中途半端に?」学んだ人たちが、しばしば「自閉症児にはとにかく絵カード」という硬直的な対応を取っているようです。
その結果、子供たちから、音声言語獲得のチャンスを奪っているとすれば、大きな問題です。なぜなら、コミュニケーション手段として、音声言語に勝るものはないからです。
私は、幼児期にはロヴァース式の音声模倣訓練やマンドトレーニングによって、できるだけ音声言語獲得を目指すべきだと思っています。理解言語の面でも、できるだけ言葉の指示の理解、つまり音声指示を教えるべきだと思います。 これらのトレーニングを行なっても、言語理解や発語が見られない場合に、やむをえずサインや絵カードなどの視覚的コミュニケーションを用いるべきだと思うのです。(ただしABAには、最初からサインや絵カードを使った要求を教え、そこから徐々に音声言語を引き出していくアプローチもあり、それを否定するわけではありません)
最後に、TEACCHは構造化を重視します。自閉症児は環境の変化に弱いので、一つの活動に一つの場所、と固定しておくことで、複数の活動に安心してスムーズに取り組める、というのです。
確かにそうだろうな、と思うのですが、どんな援助も、徐々にフェーディングしていかなければなりません。混沌とした現実社会に適応していくためには、例えば一つの机で、お勉強もし、工作もし、給食も食べる、ということに慣れる必要があります。
TEACCHの問題点は、しばしばこれらの環境援助(プロンプト)が、恒常化し、固定化されてしまう、ということです。これも本当のTEACCHは違うのかも知れませんが。
TEACCHの問題点ばかりを挙げましたが、TEACCHには優れたところもたくさんあります。ABAはTEACCHの優れた点を取り入れていくべきでしょう。両者を組み合わせば、もっと優れた支援プログラムが出来るだろう、と思います。
藤坂
第16号 2007.06.28:「親は療育者になれるか」
<あれこれ>
今日のテーマ「親は治療者になれるか」
親をABAの治療者(セラピスト)として訓練し、わが子の療育にあたってもらおう、という試みは、歴史が古く、すでに1960年代から行われています。つみきBOOK で紹介したロヴァース博士の1973年論文はその代表的な研究です。
70 年代から80年代前半にかけて米国で発表された研究で、親をディスクリートトライアル(不連続試行)法による本格的な個別療育のセラピストとして訓練することは十分可能だ、ということが明らかにされました。しかも専門家だけが治療を担当するのと比べて、親も積極的に治療に参加した方が、治療の結果が日常生活に般化されやすく、治療効果も維持されやすい、ということがわかったのです。
日本でも70年代には、梅津耕作先生らが、親にディスクリート・トライアル(以下、DT法と略します)を指導していました。しかし80年代になると、DT法は効果はあるが、膨大な手間がかかる割に日常生活に般化しない、という、私に言わせれば誤解が広まり、たくさんの研究者がDT法を半ば放棄して、フリーオペラント法などの手法に移っていったのです。それとともにDT法を親に指導する、という試みも廃れていきました。
ところが90年代に入ると、87年にロヴァース博士が発表した早期集中行動介入(EIBI)の成果がようやく日本にも伝わり始め、上智大学(現なかよしキッズステーション)の中野先生たちのグループがDT法の親指導に改めて取り組み始めます。
さらに2000年代に入ると、このつみきの会が生まれて、DT型の家庭療育に取組む親が一気に増えました。
私はこの会を始めてから、たくさんの親御さんにDT法をご指導してきました。その過程で、専門家に負けないほど立派にディスクリートトライアルを行なうことの出来る親御さんをたくさん見てきました(もっとも今の日本には、DT法がきちんとできる専門家は少ないようですが)。
もちろんすべての親が上手になれるわけではなく、上手下手には個人差があります。でも、私の持論では、自動車免許の教習くらいの真剣さで学べば、大部分の親はDT法を十分にマスターできると思います。
ただ、親が一人で、あるいは配偶者や学生セラピストの手を借りて、中心となって本格的な家庭療育を行なうには、たんにDT法をマスターするだけでは足りません。毎日、こつこつ続けられるだけの精神力が必要だし、わが子にあったプログラムを立案修正する知的能力も必要になります。誰もがその両方を兼ね備えているわけではありません。
一つの解決策は、週に何度か、あるいは毎日、経験のあるセラピストさんに来てもらって、セラピーをしてもらうことです。そうすれば、確かに経済力が続く限りは続けられるでしょう。 しかしこの場合の落とし穴は、セラピストさんが来てくれることで気がゆるんでしまい、つい自分ではセラピーをやらなくなってしまう、ということです。親が部分的にでもセラピーを担当しなければ、セラピーで獲得したスキルを日常生活に般化させ、長期的に維持することはむずかしくなります。ですから、セラピストに来てもらう場合には、セラピストに任せっきりにせずに、自分も少しの時間でもいいですから、セラピーを続けるようにしましょう。
もう一つの方法は、専門家の定期的な指導を受けることです。親中心の家庭療育に理解のある専門家は日本では非常に少ないのですが(だから私のようなものがそのまねごとをしています)、理解のある専門家が、定期的に適格なアドバイスをくれて、プログラムも提案してくれれば、多くの親が、たとえ単独でも、長期間、家庭療育を続けていけると思います。 ただいずれにしても、1日数時間のセラピーを、たった一人で毎日続けていると、いつかは限界が来ます。私の印象では、人によっても違いますが、半年からせいぜい3年が限界かな、と思います(私は半年組でした)。
しかしそれでいいのです。早期介入は1,2年集中的に行なえば、かなりの結果を出せます。あとはペースをゆるめて、集団生活への適合に力点を移し、家庭での療育はぐっと時間を減らせばいいと思います。
セラピーに疲れて、くじけそうになっている皆さん、どうかもう一度、気合いを入れ直して、頑張って下さい。セラピーはしんどいですが、わが子に新しいことを教えることが出来たときの喜びは格別です。少なくとも後になって、もっとあのとき頑張ってやればよかった、と後悔しなくて済みます。
たった一人でセラピーを行なうことに不安を感じている皆さん、どうか自信を持って下さい。専門家も、近年はますます治療者としての親の役割を見直しつつあります。自信がなくても、親がやるしかないのが現状です。いくら名人の先生でも、月に1回子どもを見るだけでは、何にもできません。毎日子どもの身近にいることの出来る親が、下手でもこつこつと毎日続けた方が、よほど治療効果が上がるのです。
藤坂
第12号 2007.05.24:「会員の移り変わり」
<あれこれ>
今週のテーマ「会員の移り変わり」
ちょうど年度更新の時期なので、会員の入れ替わりや会員数の変化について話題にしてみたいと思います。
つみきの会の主力は、正会員で、その大部分は親(保護者)です。その正会員が、この3月末には898人いました。
しかしこの5月に更新手続をした正会員は、610人でした(まだ駆け込みの申込が続いているので、もう少し増えると思いますが)。したがって、300人弱の方が、退会されたことになります。
一方、今年度、4月、5月ですでに60人以上の正会員が入会されています。今年度末までに、新年度の入会者はおそらく300人前後に達するでしょう。
このようにつみきの会は入れ替わりの激しい会です。これは、つみきの会がABA早期家庭療育に取り組む親と療育関係者の会、という性格を持つ以上、ある程度やむを得ないことだ、と思っています。
毎年、たくさんの方が、ABA療育を家庭で実行してみよう、と意気込んで入会されます。しかしABA療育というのは結構難しく、毎日継続するには、かなりの精神力が必要です。いろんな原因から、挫折してしまう方が多いのです。
退会されるのは、挫折だけが原因とは限りません。もともと情報を得るだけが目的の方もいるでしょうし、その結果、別の療育法を選択される方もいるでしょう。
また2,3年家庭療育に励んで、ある程度の成果を挙げた後、子どもが就学を迎えるのを契機に退会される方もいます。
ここ数年の傾向を見ると、毎年度、約300人前後の方が正会員として入会され、一年後の更新の際に、100人ほどが退会されます。残り200人のうち、その次の年に残るのは120人程度です。さらにその次の年度更新の際に残るのが80人・・・と、年を追うごとに、退会のペースは鈍ってきます。
つみきの会で一番古い会員さんは、会が発足した2000年度に入会された方々で、現在13人いらっしゃいます。私もその一人です。今年度は全員が更新されました。次いで古いのが、2001年度の会員さんで、こちらは38人中29人が更新されました。
このくらい古くなると、筋金入りの古参党員、といった感じで、つみきの会に深い愛着を持っておられる方が多いのだと思います。
つみきの会の「早期集中ABAに取り組む会」という性格を崩さないようにしながら、このように長く残って下さっている会員さんにも、残留のメリットがあり続けるようにしたい。そのためにはどうしたらいいか、ということを、よく考えます。このメールマガジンも、そのための試みの一つなのです。
藤坂