第61号 2009.06.26:「発達検査」
平岩先生のお話、最終回です。今回は「発達検査」について。平岩先生、ありがとうございました。
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特に子どもの場合には、発達検査を行うことが多いわけですが、発達障がいを抱えている場合の発達検査は、簡単ではありません。検査に集中させることが難しい場合もありますし、他のことに集中して、検査になかなかのってこない場合もかなりあります。
最初にはK式や、遠城寺式の検査を行うことが多いと思いますが、できることの一番上の年齢をつなごうとしても、その前にできない部分があったりするので、ばらつきが多いことが特徴です。
デンバー式の発達スクリーニングテストでも、通過と不通過が交互に並んでいたりして、判定に苦慮することが少なくありません。
小学校に入る頃になりますと、WISC-Ⅲ、今はⅣも出ていますが、わが国ではWISC-Ⅲが一番使われています。これで全検査IQだけを見ると、しばしば低くなります。
ADHD では、検査に集中できないということもありますし、高機能自閉症では何かにこだわってしまうこともあります。一つのものにこだわってしまって、次に進まない限り、点数が非常に低くなることがよくあります。
ですから、やり方も2回に分ける、いろいろと視覚的な誘導を使いながらやるなど、工夫をしないと、なかなか正確にIQを把握することができません。
一般的には言語的IQ(VIQ)と行動的IQ(PIQ)、の差は、それほどありません。
普通にやりますと、大体10点ぐらいしか差はなくて、15点以上離れることは滅多にないのですが、発達障がいでは、しばしばそれ以上離れています。
私は、これを各分野に分けてみた場合に、10点以上があるか、それから6点以下があるか、この二つで見ています。10点以上があって、6点以下があるということは、かなりバラつきがありますので、それを見ただけで、発達障がいを疑うきっかけになりますので、IQだけでは判断しません。
私は高機能自閉症にしてもADHDにしても、なるべく小学生以上の場合にはWISC-Ⅲを実施してもらうようにしていますが、それは点数をみるというよりは、どこが弱いのかをみる、どこをうまく支えてあげればいいのかをみる手がかりとしていますので、全検査IQを見て、それで評価しようという目的で、WISC-Ⅲを勧めているわけではありません。
しかしWISC-Ⅲは教育現場でもしばしば使われます。発達障がいの子どもが、学校から知能検査を勧められて、教育センターなどで検査を受けてきます。検査の実施者が慣れていなければ、それだけでも全検査IQが低く出る可能性がありますが、もし全検査IQの結果が低ければ、それを根拠として「精神発達遅滞」ではないかと指摘し、特別支援学級などを勧める根拠にすら、する場合があります。
適切な理解や支援がなければ、発達障がいを抱える子どもは、しばしばクラスの「お荷物」です。全検査IQが低ければ、追い出される口実にもなりかねません。あってはならないことですが、現実にはそれに近いことも起きています。
(藤坂)
第60号 2009.06.21:「就学指導をめぐって」
変則が続いていますが、ミニマガつみきの最新号です。今月はゲスト会員の平岩幹男先生からいただいた原稿を掲載しています。
今回は「就学指導をめぐって」というテーマです。(以上、藤坂)
【就学指導をめぐって】
就学指導は、就学指導委員会の判定に基づいて行われます。
一般的に就学時健診が10月に行われ、二次健診や就学指導委員会の判定は多くは11月に行われ、12月には特別支援学級や特別支援学校などの就学児童数を決めて教員配置を考えなければならないので、この短期間に就学指導まで行っている市町村が多くなっています。
指導は教育委員会で行う場合と、地域の学校で行う場合があり、これは市町村によって、また障害の種類や程度によって異なります。
就学指導における問題点は、教育委員会や学校は「適正就学」という原則の下に就学指導委員会の判定結果を保護者に伝え、その判定に沿った就学を指導あるいは勧告するのですが、就学指導委員会の判定そのものに問題点がある場合があり、また時間的余裕のない中で指導を行うために、しばしば保護者との間でトラブルとなり、判定とは異なる就学先を保護者に選択される場合が少なくないことです。
1994 年のサマランカ宣言*の主旨に沿えば、希望する就学先を受け入れ、その中で適切な支援を行うことが発達障がいを抱える子どもたちにとってはもっとも重要であると思われますが、現実はそううまくゆくとは限りません。
*特別な教育ニーズを有する人びとは、そのニーズに見合った教育を行えるような子ども中心の普通学校にアクセスしなければならない。インクルーシヴ(inclusive)な方向性を持つ普通学校こそが、差別的な態度とたたかい、喜んで受け入れられる地域を創り、インクルーシヴな社会を建設し、万人のための教育を達成するための最も効果的な手段である。さらにこうした学校は、大多数の子どもたちに対して効果的な教育を提供し、効率性をあげて、結局のところ教育システム全体の経費節約をもたらすものである。
就学猶予は、就学を待ってもらい、もう尐し幼稚園などで生活習慣を身につけさせたいと考える保護者が選択する場合があります。
学校教育法第18条では就学猶予について、「17条第1項又は第2項の規定によって、保護者が就学させなければならない子(以下それぞれ「学齢児童」又は「学齢生徒」という。)で、病弱、発育不完全その他やむを得ない事由のため、就学困難と認められる者の保護者に対しては、市町村の教育委員会は、文部科学大臣の定めるところにより、同条第1項又は第2項の義務を猶予又は免除することができる」と定めています。
発達障がいの場合には「病弱、発育不完全」には該当しないので、「その他やむを得ない事由」に該当するかが問題となります。私の経験からは、保護者と協議してから教育委員会と交渉し、就学猶予を得たこともありますが、苦労しました。
特別支援学級に行くのか、それとも通常学級に行くのか、悩んでいるお母さんたちに、私がいつもお話をするのは、6歳の時点で、20年後にこの子がグループホームではなくて、一般の社会でみんなと同じように暮らしている、と信じられるならば、やはり通常学級で学んでいくべきだろうということです。困難は存在しますが、社会資源も活用して、何とか一生懸命やりましょう、とお話をしています。
この子が将来、普通の社会で生活をすることは無理だろう、と考えるのであれは、特別支援学級、特別支援学校を選択すべきであろう、と考えています。
特別支援学級に行くのは、近所の手前、おじいさんに文句を言われるなど、いろいろ考える方もおられますが、見栄やプライドで決めるものではないことは明らかです。
特別支援学級で集団生活に慣れてから通常学級に移ることが望ましいと感じられることもありますが、就学が判定に基づいて行われる以上、就学指導委員会で通常学級に適するとの判定がなければ、それは困難です。
発達障害を抱える子どもたちの抱える問題点は、日常生活すべてを通して出ているわけではなく、場面によって出現することを考えれば、先述のサマランカ宣言の理念に沿うことが望ましいと思われます。
建前の上では出来ることになっていても、実際には、必要に応じて通常学級と特別支援学級の間を行き来できるようなシステムにはなっていないように感じています。小学校3年生以上になれば、学力という壁も大きくなります。
(つづく)
藤坂
第59号 2008.06.16:こちらから
またまた公開セミナー準備のあおりで、遅配が続きますが、ミニマガつみきの最新号です。今月はゲスト会員で小児神経科医の平岩幹男先生の文章を紹介させて頂いています。
(前回のお話のつづきです。前回は、知的障害者の通園施設が自閉症児に対してあきらめのスタンスを取っている、というお話で終わっていました)
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しかし応用行動分析(ABA)※をしたり、あるいはTEACCH※を行なったりすることによって、お子さんの特性によっても違いますけれども、子どもたちが大きく変わってゆく可能性もあります。コミュニケーション能力や、日常生活能力に、想像もできなかったような目覚しい改善を見せる場合もあるということです。これは集団での療育ではなかなか見られません。
※ABA:Applied Behavior Analysis 行動療法の一つで、望ましい行動を強化し、望ましくない行動を抑制することによって言語のみならず発達の促進を図る方法。わが国ではつみきの会http://www.tsumiki.org/が全国的に講座や事業を展開しています。
※TEACCH は Treatment and Education of Autistic and related Communication handicapped CHildren の略で、基本的には自閉症に対する考え方であり、治療法でもあります。TEACCH の概念やプログラムは故Eric Schopler 先生がアメリカのノースカロライナ で集大成されたものであり、高機能自閉症だけではなく、すべての自閉症の方を対象としたプログラムです。TEACCH では当事者自身の社会への理解を高めてゆくために構造化を提唱しています。
少し横道にそれますが、ABAとTEACCHの違いを簡単に説明します。
たとえば脳血管障害で足が麻痺したとします。車椅子を作り、スロープを作り、バリアフリー化する。家庭も社会もです。これが例えてみればTEACCHです。
一方、また歩けるようにとにかく必死でリハビリテーションをする。これがABAです。
TEACCH は本人も努力することはありますが、それだけではなくシステムとして構造化するわけですから、周囲の協力が必要です(構造化のうち、視覚構造化だけが力説されすぎていますが)。
一方ABAは、たとえてみればリハビリテーションですから、自力で歩くことを目指してそれこそ大変な努力をするわけです。社会のシステムが変わらなくても、構造化がなくても、周囲の努力と支援で可能ですが、決して楽ではありませんし、多大な時間と労力が必要です。
確かに2歳の自閉症の子どもを集団に慣らしていくことも必要ではありますが、個別の療育とどう組み合わせるのか、そして治療法のない多くの精神発達遅滞に対して、介入できる可能性のある自閉症をこうした知的障害児通所施設でどう扱うか、という問題については課題が残っていると考えられます。
繰り返しますが、発達障がいの中の自閉症は、療育によって改善する可能性があります。障がいの部分が先立ってしまえば、この子の特性を、才能を見つけようとするスタンスはなくなります。
多くの療育の施設で働いている方たちが、障がいに対しての関心も仕事に対しての熱意も十分にあるのに、この点の認識は十分とは言えないかもしれません。
たとえば3歳で言葉を話すことができない自閉症児は少なくないと思われますが、ずっと話すことが出来ない精神発達遅滞であると、本当に考えていいのでしょうか。
個々に療育をすれば話せるようになる子どもたちは、決して少なくないかもしれません。
子どもにとって療育が可能な時期と時間は限られています。私の経験上、7歳までに表出言語として言葉が出てこなかった子どもが、あとで自由に話すようになった経験は、ありません。
私自身のこれまでの反省も含めてではありますが、行政としては自閉症の子どもを知的障害児通所施設に通わせればそれでよいという対応の時代は過ぎたように思います。
自閉症には、それなりの家族の努力も必要にはなりますが、知的障害児通所施設だけではなく、個別対応も含めた専門的療育や包括療育についても考えてみる必要があります。
ここにいる3歳の自閉症の子が本当にずっとしゃべることが出来ない、普通の生活が出来ないということを、誰が決められるのでしょうか。可能性を信じて個別療育に賭けてみることも、すべてがうまくいくわけではないとは思いますが、一つの選択肢かもしれません。
また集団での療育についても、障がいを抱えた子どもたちだけを対象にするのではなく、健常児も含めた包括教育の場を設定し、そこで個別の療育と併用しながら育ててゆくという方法もあるかもしれません。これについては私もお手伝いしながら、実現に向けて努力しようと考えています。
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以上です。次回をお楽しみに。
藤坂
第58号 2008.06.10:こちらから
ミニマガつみきの発行が滞っていて、すみません。先週は決算、予算の作成作業で追われていて、手が回りませんでした。
今月のミニマガつみき執筆担当は、先日の小児神経学会でもお世話になった、ゲスト会員の平岩幹男先生です。
平岩先生は小児神経専門医で、帝京大学医学部、戸田市立健康管理センターなどを歴任された後、現在は退職されてOffice21kitatodaを開設される傍ら、東京大学大学院非常勤講師も務めておられます。
平岩先生には、今回、このミニマガのために、未発表原稿を快く提供してくださいました。これらは、まもなく本として出版される予定のものですので、外部に出さないようにご注意下さい。
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障がい児の療育は、手間と費用がかかり、採算性が低いことから、わが国ではそのほとんどが公的施設として地方自治体などによって運営されてきました。 これらの施設の職員の方たちは、非常に熱心な方たちが多く、寝食も忘れて仕事に打ち込んでおられるような方も少なくはありません。しかし最近、大きな問題がでてきています。
今までの療育は、精神発達遅滞、運動発達遅滞など、発達の大きな領域に対する全体の遅れ、発達遅滞が中心でした。実際には自閉症を始めとする発達障がいの子どもたちも、基本的には発達遅滞に対する通所施設に通って療育が行なわれてきました。
発達障がいを抱える子どもたちのうち、自閉症についてはADHDや学習障害と大きく異なる点があります。
それは言葉の発達に遅れが明らかではない高機能自閉症の子どもたちを除いて、多くの自閉症の子どもたちが言葉の遅れから発見されているという問題です。
言葉の発達の遅れは、視聴覚の障害、児童虐待や環境性の障がいなどの一部を除けば、わが国では長い間、精神発達遅滞とほぼ同じであると考えられてきました。したがって言葉の発達の遅れがある場合の通所での療育は児童福祉法に定められた知的障害児通所施設で行なうことになります。児童福祉法第43条の規定は以下の通りです。
第四十三条 知的障害児通園施設は、知的障害のある児童を日々保護者の下から通わせて、これを保護するとともに、独立自活に必要な知識技能を与えることを目的とする施設とする。
しかし発達障がいとしての自閉症は、障害者自立支援法に含まれる知的障がいとは必ずしも同じではありません。常時障がいを示しているとは限らず、いろいろな障がいを見せる時もあれば、そうでない部分もあります。
ですから自閉症を含む発達障がいについての療育は、本質的に精神発達遅滞の療育とは違うはずなのですが、精神発達遅滞への療育の中の一貫として行われていることが現実であり、異なるかもしれないという疑問すら抱かれていない場合もあります。
全国には数多くの知的障害児通所施設があります。そこでは精神発達遅滞、知的障がいへの経験は極めて豊富です。
精神発達遅滞が良くなることは、普通は考えられませんので、施設での障がいの受容のスタンスは、諦めのスタンス、この子が普通の学校に行くのを諦めるというスタンスになりがちです。そうであるとすれば、最低限これだけはできるようにしておいたほうがいいという、日常生活習慣の獲得が中心になってくるわけです。
自閉症への早期介入や個別対応についてよく知っており、早期介入や個別対応までできる施設は決して多くはないように感じています。
たとえば、2歳で自閉症と診断されたお子さんがいます。そうするとなるべく早期療育を始めようということで、療育施設に入れようという流れを行政はとりがちです。
行政としては療育を開始すれば、それが自閉症の専門施設であってもなくても、言葉が話せないという現実からは知的障がいとして扱うことができるので、責任を果たしたと考えます。
療育施設では、知的障がいと同様に治らない、劇的には改善しないという前提ですから、将来に向けた生活習慣の獲得が目標になり、コミュニケーションをとるために努力する、そのために個別対応をする、個別療育と併用する、そのようなことにはなかなか踏み切れません。
(つづく)