第65号 2008.07.24:「ABA体験記」 

ナカハラさんによるABA奮闘記、最終回です。でもナカハラさんの奮闘はまだまだ続きそうですね。「子どもを変えるより、大人を変える方が何倍も難しい」のです。ナカハラさん、お仕事と療育の両立で大変な中、快く執筆を引受けて下さいまして、ありがとうございました。

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ABAを始めて1年5ヵ月になりますが、振り返ってみると、スタート後3ヵ月目ぐらいが一番辛かったような気がします。笹田さん(コンサルタント)が1ヵ月半でアメリカに帰ってしまうと、私は急に一人ぽっちになった気がしました。つみきの会の定例会に参加しても、日々送られてくるメールを見ても毎日不安でした。

息子にも、キャサリン・モーリスの娘を回復させたような優秀なセラピストがいたら……。早期介入という砂時計がサラサラと目の前で落ちていくのに、いてもたってもいられない気持ちでした。

しかし落ち込んでいる時間はありません。『よーし! それなら私が優秀なセラピストになればいいんだ!! 何事もやってやれないことはなーいッ!』と、闘志がメラメラ燃え上がり、バーンとちゃぶ台をひっくり返して『ママは走るから、まあくんもしっかりついていらっしゃいッ!!』と多摩川の土手を走りたくなるような心境に。

けれど、そんな風に走れば走るほどゴールは遠くなっていく。私はやっと、これが800メートル走ではなく長距離マラソンだということに気付いたのです。

保育園の園長先生にはABAを始めたことを知らせていたので、「よき理解者&協力者」になってもらいたいと、ABAで息子がこんなに変わったという報告をちょくちょくしていました。しかしTEACCHを信奉する心優しい園長先生の考えは終始一貫していて、早期介入の効果と重要性を理解してもらうことは叶わなかったように思います。

実家の父にも話しましたが、「まだ3歳なんだから大丈夫。そのうちしゃべるようになると思うよ」の一点張り。

そして本来、一番身近な理解者になってほしい「夫」はというと、当時はまだ私とはかなり温度差があり、あるABAの本をサラ~ッと読んで『何だか宗教みたいだ』と話していたぐらいです。
私が急にABA、ABAと言い始めたので、何かの新興宗教に夢中になってるとでも感じたのでしょうか。反対はしないけれど、積極的に協力しようという感じではありませんでした。

なぜ誰もわかってくれないの? そんな思いを抱えつつ、がむしゃらにセラピーをやっていた3ヵ月目、息子のコンプライアンスが崩れ、すぐに逃げ出すようになってしまいました。
おまけにちょうどその頃しつこい風邪をひき、2週間保育園を休むことに。 寝かしつけようとしても薄暗い寝室で1時間以上、ターザンと野生の動物が掛け合いをしているような奇声を発し続ける息子。私は走って逃げ出したくなりました。
この子は、どんなに物の名前を覚えても、ただ叫ぶことしかしない……。気が変になりそうでした。今思えば、息子も、私の強引なセラピーに相当ストレスがたまっていたのでしょう。

夏に笹田さんがもう一度帰国した時には夫にも何度かセッションを受けてもらい、ABAの理解を深めてもらいました。この頃になると、夫のABAに対する疑いはすっかり消えていました。

「中原さんのご主人は大変協力的だと思います。ご主人の協力が得られずに、実際はお母さんが一人で頑張っている家庭が多いんですよ」と笹田さん。 そして、「お母さんが長く続けられるように、お母さんにも強化子が、ごほうびが、必要なんですよ」と夫にアドバイスして下さいました。

実家の父にも理解してもらおうと、笹田さんのセッションの様子を見てもらったのですが、その感想はというと「何だかまあくんがかわいそうだった。ウチに連れてきて自由にさせてやりたい」というものでした。

『光とともに 1巻』や『我が子よ~』も読んでくれてたのに……と、がっかりしながら、そういえば『つみきBOOK』はまだ読んでもらってなかったな~と思い、これも読んでみてと渡すと、その後すぐに電話がかかってきました。

「ジイジにできることがあったら何でもするから! 週1回2時間でも、まあくんに教えに行こうか?」

つみきBOOK、スゴイです! そこで父にもABAのやり方を覚えてもらおうとしたのですが、「まずコンプライアンスをやりましょう」と笹田さんに言われると、「私は言葉を教えたいんですよ」と不満気。身内にセラピーをやってもらうのは難しいです。

けれど、父はそれから毎週末、電車を乗り継ぎ1時間半かけて通って来てくれるようになりました。セラピーは出来ませんが、室内遊びをしたり散歩も連れて行ってくれるので大変助かっています。
そして、私が1週間の出来事(愚痴?)をため息まじりに話すのを辛抱強く聞き、かつ 「直子(私)がやってきたことは正しいと思うよ。よく頑張ってる。全面的に応援するよ」といつも言ってくれるのです。
笹田さんのアドバイスによるものかな~と思うのですが、随分励まされました。

夫もまた定例会に参加するようになってからすごく変わり、セラピーにも協力的してくれるようになりました。ただ困ったのは、「オレ流」を貫こうとすることです。子供が混乱するからと話すと、不機嫌になってやる気をなくしてしまうし。私もついつい夫を見る目は厳しくなって、息子にかけるような優しい言葉がかけられないでいます。夫婦間でABAを実践できたら家庭は平和なのに……と思いつつ。ところで、この夏、笹田さんが短期帰国することになり、保育園のシャドーをお願いすることにしました。

それで今日、保育園に話したのですが、
●当日保育士は話を聞く余裕はない。
●写真は撮らないこと。
●こうした方がいいと言われても、園としては対応できないこともある。
などの諸条件で、見学を許可します。と言われました。

そんなに身構えないで、何かいい方法があったら教えて下さいね~と言ってくれたらどんなに嬉しいでしょう。絶対にあり得ないことですが……。息子の通う保育園ではABAは全く理解してもらえていませんが、早期介入の大切さを思うと、乳幼児に関わる保育園や幼稚園、療育機関の人たちにこそ広く知ってもらいたいです。
そのためには、一人 一人の頑張りはもちろんですが、つみきの会の認知度を上げていくことも大切だと思います。藤坂さん、ぜひ頑張って下さいね!!

(おわり)

第64号 2008.07.17:「ABA体験記」

遅くなりました。ナカハラさんのABA体験レポート、第三弾です。お風邪を引かれていたそうです。ナカハラさん、体調がお悪いなか、長文のレポートありがとうございました。(編)

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息子は言葉が出始めるとものすごくおしゃべりになりました。朝目が覚めた瞬間から、眠りに落ちるまで一人でしゃべり続けます。しかしその内容は、絵本の一部やDVD、テレビ、歌などでした。

最近ではテレビのニュースやCM、番組のナレーションを聞きながら同時通訳者のように話そうとしています。しまじろうのアニメも何回か見ると、数人分のセリフを丸暗記。子供向けソフトからは、「とっても体は大きいけどネコの仲間だよ。きれい好きで泳ぐのがうまいんだ(トラの説明)」など暗記して、誰かれかまわず話して聞かせます。ただ、発音がはっきりしない上に、本人が内容を理解しないで話している事が問題です。

また、手を耳に当てて受話器を持っている真似をして「ママ、もしもし」と話してみせたり、帰宅時に「ただいま!」と元気よく言うのも実は、電話会社のCMやアニメのワンシーンを一人で再現しているだけだったりして、すべてが借りモノという気がします。

「ママ、こっち来て。早く来て」「眠い。ママ、ボクと一緒に寝よう」といったマンドや、「ねえねえ、ママ見て。ボク、パパの真似してるよ!」など、教えたセリフはすぐに覚えるけれど、そのセリフを他のシーンで応用することはありません。そのセリフを覚えた状況でだけ記憶の箱が開くといった感じです。

その一方、自発で出る言葉となると非常にシンプルで、「歩く 電車乗る」(外出先で。家に帰りたいの意)や、「パソコン 新幹線見る トラック 夜」(ノートパソコンで夜間トラックが新幹線を輸送しているシーンを見たいの意)などとなります。

「要するに、自分で文章をつくることが、ジョージにはとてもむずかしかったのだ。会話表現集にたよる外国人と同じだ。頭の中に暗記した文をためこんでおき、その場面にもっともふさわしいと思われるものをとりだす。」(『自閉症ボーイズ ジョージ&サム』より)

この本を読んだ時、あ~~そうなのか……と思いました。結局、あらゆる状況を想定して、数多くのセリフを暗記させていくしかないのでしょうか……。

とはいうものの、1年前の今頃はまだ単音模倣で苦労していたのですから、それを思えば信じられないぐらいの進化です。一歩前進するために2歩も3歩も下がらなければならない日々につい忘れてしまいがちですが、日々の努力は着実に息子の脳を活性化させています。

ここ最近の変化としては、この春頃課題で教えた「見て」が般化され、1日家にいる時など、1分に1回は「ママ、見て!」と注目マンドを言うようになりました。

それと、私がずっと言い続けてきた「愛してるよ」の言葉を、息子がよく言うようになりました。自転車の前カゴにチョコンと座っていた頃、息子の頭にチューしながら「愛してるよ」。私の下手なセラピーで泣かせてしまった時にも「(ごめんね~)愛してるよ」、寝る前にも「今日も1日頑張って偉かったね。愛してるよ」と1日何回も言い続けてきたのですが、ある日、保育園の先生が「お母さん、今日まあくんが私に愛してるよ」って言ったんですけど。

それが最初でした。近頃はずっと寝る前の挨拶程度だったのですが、つい先日、私がプンプン怒りながら台所に立っていた時のこと。下からじっと心配そうに私の顔を見つめて「ママ、愛してるよ」。この時ばかりは頬がゆるんで「もう怒ってないよ~」と言ってしまいました。

保育園での2年数ヶ月で、息子の子供への強い苦手意識は次第におさまっていきました。

現在は、子供は苦手だけれどみんなと楽しい雰囲気を共有するのは好き、という感じのようです。この春からピアトレを意識して、私が介入してなるべく他の子と関わりを持たそうとしているのですが、そこでお友達の顔を全く見ていないことに気付いて愕然としました。2年も一緒に過ごしているのに、名前を覚えていないことも気がかりでした。

そこで、春の父母会の時に自閉症のことをカミングアウトして、「お友達の顔をちゃんと見て挨拶できるように練習したいので、写真を撮らせてください」とお願いしました。その時、疲れがたまっていたせいか、不覚にも涙声で訴えるという情けない状態に。

あ~、みっともなかった、記憶から消してしまいたいとその日はかなり落ち込んだのですが、それが憐れを誘ったのか励ましてくれるお母さんもいて、次の日から子供達が「まあくん、おはよう!」「まあくん、バイバイ!」と積極的に挨拶してくれるようになったのです。ところが息子はかえって緊張してしまい、ひきつった顔をして今まで以上に蚊の鳴くような声に。そんなに他の子と関わることは辛いの……? と悲しくなりました。

でも続けるものですね。それから1ヵ月ぐらいすると、お友達の顔を見て挨拶できるようになってきたのです。その間、写真で名前を覚えさせるのはもちろん、朝、園庭で子供達が遊んでいる時に私も一緒になってお友達の名前を呼びながらボール蹴りをしたり、遊具で遊んだりしました。するとほんの少しですが、息子がお友達と関わるシーンが出てきたのです。

実は長い間ママとパパを正しく言えなかったこともあり、お友達の名前が覚えられないのも脳機能障害が原因なのか…と不安だったのですが、『脳科学と発達障害』(中央法規)によると、「自閉症の子供や大人は紡錘回の機能に障害があって顔認知が下手なのではなく、むしろ顔への関心が別の理由で低かったために紡錘回の機能をうまく育てられなかったと考えるほうが筋が通っている……」とのこと。

そしてこのことを証明するように、息子はお友達の顔が見られるようになると、ちゃんと名前も覚え、「○○くん、バイバイ!」と挨拶できるようになってきたのです。

やっとピアトレのスタートラインに立てたかな~といった心境です。

(つづく)

第63号 2008.07.10:「ABA体験記」

ナカハラさんのABA体験レポート第二弾です。今回は口形模倣リストの付録付き!です。

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私はABAを始めるのと同時に、たまたまこの時期、1ヶ月半ほど日本に帰国する予定でいたアメリカ在住のABAコンサルタントに連絡を取ることができました。KSP教育コンサルタントの笹田果里さんといって、BCBA(米国行動分析認定士)の資格を持つ若く優秀な女性です。

最初の日、彼女が窓ガラスをビビビと震わすほど大きな高く澄んだ声で「すぅっご~いッ!!」「そうだね~ッ!!」と息子を強化した時は、私も主人もびっくりして目が点になってしまったのですが、息子はというと満更でもない様子。

そして息子が間違えそうになると、すかさずプロンプトして抑揚のない静かな声でさらりと「そうだねー、頑張ってるね」。
そうか、声のトーンにこれほど差をつけないと正否がはっきり伝わらないのか、と気づかされたのでした。

息子が、彼女が持ってきた光って回って音がするおもちゃに夢中になったのを見て、息子の好みも知りました。

「とにかく強化子は重要です。できればおもちゃは3日に1個用意して下さい。7個用意すれば1週間毎日違う物を使えて、飽きずに長く使えますよ」と言われた私は、暇を見つけてはおもちゃ屋を巡りをして、息子が気に入りそうな小物を集めるようになりました。

「ほめること、体を使った遊び、おもちゃ、お菓子…強化になれば何でもいいんですが、それらがホントに強化子になっているかどうかを、見てちゃんとわかることが、いいセラピストの基準です」と笹田さん。
数々の失敗を重ねてきた今、しみじみこの言葉の深さを噛みしめています。

振り返ってみると、セラピーが停滞していた時期や息子が保育園で金切り声を上げて叫んでいた時期は、いい強化子が見つけられずにいた時期と重なります。

ちなみに強化子は、おもちゃ→お菓子・果物→携帯電話のゲームやしまじろうサイト→教育テレビの子供番組を録画したもの(テレビで見せる)と変遷して、現在はノートパソコンのインターネットで見るJRなどのCM(動画)やキッズサイトのミニゲーム、幼児向けソフト「ちびっこくらぶ」が威力を発揮しています(携帯電話はあまりお勧めしません)。

さて、こうして力強い味方とともに早期療育の海に船出した私ですが、日々、息子の実力を目の当たりにして愕然とするばかりでした。

手先が不器用で特大の2ピースのパズルもはめられない。クレヨンを握らせれば我関せずで、「身体だけ置いておきますから、どうぞご自由に」といった風情。
いくら耳元で「ココ見て!」と呼びかけても視線は遠くを見たまま。つみきの模倣にも長い間つまづきました。

そして短音模倣。特にサ行、ナ行、マ行、ヤ行、ラ行、そしてオコソトノ……ヲ、ツが言えませんでした。これでは話せる訳がありません。

そんな時、笹田さんが、「ま」の音を出させるには、唇をピタッと閉じて「ん~~」と言わせてから「あ」と短く言わせる。これをうまく続けると「ま」と聞こえるようになるのをやって見せてくれました。

つみきBOOKにもちゃんと書いてあることなのですが、百聞は一見にしかず。なるほど、音声模倣もテクニックがあるのだと実感した私は、『わが子よ~』に登場するロビンのような、「スピーチ(肉体的に明瞭な音声を発すること)と言語能力(情報や思考の伝達)に問題がある人をサポートする専門家」を探そうとしました。

知識のない私がやるより専門家に教えてもらう方がいいに決まっています。しかしこの時、言語聴覚士といわれる人で早期療育に理解のある人を見つけることはできませんでした。
半年後に、ある大学病院の口腔リハビリテーション科で言語聴覚士が発音に関する悩みの相談・治療をしていると知り受診してみましたが、案の定、治療をする年齢ではないと全く相手にされませんでした。

結局、舌や口の周りの筋肉の使い方がわからないのではないかということで、笹田さんが作成してくれた口形模倣リストとつみきBOOKの課題をほぼ毎日続けました。そうして7ヶ月が過ぎた頃、やっと最後まで手こずった「ト」が言えるようになったのです。

さらにその頃から、すべての言葉を一音一音区切って発音することも(「バイバイ」が「バ・イ・バ・イ」になる)しなくなっていきました。そして「チューリップ」や「カエルの唄」を覚えて歌うようになり、雨の日には「雨だ」とつぶやくまでになったのです。

最初の「なんちゃってABA」を始めた日から数えて9ヶ月後の発達検査で、息子はDQ80になっていました。

DQ が上がり、待ちに待った言葉が出るようになってきた! と喜んだのもつかの間、私の心は日ごとに曇っていきました。
なぜなら言葉を発するようになって改めて、やっぱり息子は健常児とは違うのだ、と思い知らされたからです。 (つづく)

付録
< 口形模倣リスト >
1.口を大きく開ける
2.指で舌を触る
3.指で歯を触る
4.投げキッス
5.上唇を噛む
6.下唇を噛む
7.両頬をふくらませる
8.両頬を吸う
9.スマイル
10.インディアンの真似(あ~と言いながら口を触ったり離したりする)
11.咳をする
12.あくびの真似
13.舌で口の中から片方の頬をさす
14.舌を出したり入れたりする(ベロベロ~レロレロ~)
15.下唇を突き出す
16.両唇を突き出す
17.フーッと吹く(→風車を回す)
18.舌で口の右端を触る
19.舌で口の左端を触る
20.唇をブルブルさせる
21.口笛を吹く
22.舌打ちする
23.舌で音を鳴らす
24.舌で上の歯を触る
25.舌で下の歯を触る
26.うつむく(首を曲げる)
27.シー(静かにしてのポーズ)

第62号 2008.07.03:「ABA体験記」

ミニマガつみき2008、リレー連載の4番バッターは、東京のナカハラさんです。

ナカハラさんは、つみきMLに何度か投稿して下さっているので、ご存知の方も多いと思いますが、まだABA歴二年目のごく普通のお母さんです。 でも大先輩や偉い先生のお話ばかりでなく、普通のお母さんの声も聞きたい、と思いましたので、執筆をお願いしました。4回連載予定です。お楽しみに。(編)

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こんにちわ。東京のナカハラと申します。平岩先生や諸先輩方の後に私のような者でいいのかしら……と恐縮しながら書いております。
悩み苦しみながらの毎日で、気がつけばABA歴1年5ヶ月。2歳半の時に保育園を巡回している児童心理士に広汎性発達障害と告げられた息子は4歳3ヶ月になりました。

息子は生まれた時からあまり泣かずに一人でスヤスヤとよく眠る、本当に手のかからない子でした。
生後4、5ヶ月からは、「ママ」「おいで」「ばあば」などよく聞かせていた言葉を自然と音声模倣するようになったので、言葉の表出が早い子なのかと喜んでいました。

ところが1歳半頃からそうした言葉らしきものが消えてゆき、急に子供を怖がるようになったのです。
つま先で歩いたり、外を歩くことを極端に嫌がるようになったのも同じ時期でした。

毎日近くの公園や神社にベビーカーや自転車に乗せて通ったのですが、春の花々や夏の昆虫、色とりどりの落ち葉や木の実などには一切目もくれず、ただひたすら通り過ぎる電車を見て、じっと立ちつくしているだけ。
そして広い公園の中を少しでも歩かせようとすると、必死の形相で追いかけてきたり、泣き叫んで抵抗したりしました。

家では床に座ってどこかをじっと見つめたまま動かず、名前を呼んでも振り向きません。おもちゃや絵本に興味を示さないしスキンシップも求めてこなかったため、本当に新米ママは何をしていいかわからず、毎日何時間もテレビの子供番組を見せていました。

そしてその後長い間、この時期にテレビを見せ過ぎたのが悪かったのではないか、と後悔することになるのですが、健常な子なら、そもそもそんなに長い間テレビの前でじっとしていられない、と何かで読み、ほんの少し後悔の念が軽くなったのでした。

早生まれの息子は2歳の誕生日を迎えてすぐに保育園に入園することになりました。

おそらく1歳半検診をきちんと受けていたら、療育センターを勧められていただろうと思いますが、検診2日目を私が勝手にパスしてしまったため検査に引っかかることなく保育園に入園できたのです。
そして入園4ヶ月後に「広汎性発達障害」と診断されました。

当時、自閉症の知識が全くなかった私は「広汎性発達障害」と聞いてもピンときませんでした。 ただ2歳4ヶ月の息子が「言葉の理解は6ヶ月ぐらい。総合すると知的な発達は1歳少し前」と告げられたのがショックで、『そんなはずない。この人は園での様子を保育士さんから聞いただけで、私から家庭での様子など全く聞いていないじゃない!』と内心反発していました。

しかしこの時録音しておいた児童心理士さんとの会話を冷静に聞き直してみて、次第に不安が募っていきました。

「人への興味、関心がすごく低いですね。人への興味がきっちり育っていかないと、言葉に結びついていきません。検査時に円柱刺しや積み木を作業してたんだけど、自分でできないと、やれっていう風に要求してくる。でも人に要求してるんじゃないの。手に要求してる。この手がやってくれればいいの」 と児童心理士さん。

この日以来、息子が私の手に何か要求してきた時には強引に視線を合わせするように心がけました。すると1週間もたたないうちに、息子はしっかり私の顔を見るようになったのです。

その後、区の療育センターでもDQ47と診断され(2歳7ヶ月)、翌月から月に1度の作業療法を受けることになりました。
そして、もっと何かできることはないだろうか、とインターネットで検索していた時に、誰かの療育ブログから「つみきの会」にたどり着きました(広汎性発達障害で検索しても、つみきの会にはたどり着かなかったと思います)。 ABA? 何をするのかよくわからないのに、まず入会金払わなくちゃいけないの?う~ん、怪しげ…としばらく尻込み。
しかし『わが子よ、声を聞かせて』を読み、息子は発達が遅れているだけかもしれないという甘い希望が打ち砕かれました。
そして、「これだ! これしかない! 今すぐ始めなければッ!」とABAを始める決心をしたのです。2歳10ヶ月になる直前でした。

つみきbookが届くのも待ちきれず、鼻息荒く自己流で始めた課題は、ヨーグルト、ジュース、スプーン、フォークを並べて「○○ちょうだい」とか、「リンゴ、ジュース、ヨーグルトと言わせる」、「色の名前(赤と青)の受容」といった恐ろしく無謀な内容でした。しかも休憩なしで40分。
それでも忍耐強い息子は途中で逃げ出したりせず、ベソかきながらもよくつきあってくれました。

そして1週間後には「リンゴ」とプロンプトすると「り」とか「てぃ」と真似するようになり、さらに1週間後には「あか(赤)」「あう(青)」「ジィジ(祖父)」など音声模倣するようになったのです。

ABAってスゴイ!と興奮する私は、まさかこの後半年以上も音声模倣に苦労するようになるとは思いもしませんでした。

(つづく)