体験記・会員の声

体験記

KSさんの体験

次男はこの春、中学3年生になります。中学受験をして、一番近い中高一貫校に通っています。
天文部に入って毎月の夜の合宿が楽しみで、学校の友達とテレビドラマやゲームなどの会話を楽しんだり、時々LINEで聞かれて試験範囲を教えてあげたり、まずまずのお付き合いをしているようです。
ここまで成長できたのには、忘れてはならないことがあります。

幼い頃の次男は1歳10カ月になっても言葉を話さず、健診で発達検査を受けたところ、詳しい説明は無いまま、2歳から児童発達支援センターに月3回通うことになりました。
2歳半になる頃には、一生懸命に教えた、パパ、ママ、バナナ、リンゴ、バイバイのわずか5つの単語も、もう忘れたのか、消えていました。
その頃、センターのベテラン指導員と初めて面談がありました。「発達障害の可能性が高く、一度消えた言葉はもう出て来にくいと言われています。」はっきりと聞かされた時は、嘘だ!と心で叫びながらも、 多くの子どもたちを見てきたベテランの先生が言うのだからそうなのだろう、とも思いました。
そして「言葉はカードを使う方法とか色々あるから、3歳になったらウチに毎日通うようにしましょう。幼稚園は無理…」と言われました。

そうか、普通ではないんだ。帰りの車の運転は涙で前が見えなくて危ない思いをし、仕事の忙しさがピークだった夫が事故でも起こすのではと心配で、仕事が落ち着くまでの1か月だけ黙っておこうと思いました。そうすると家で話し相手もおらず不安でいっぱいになり、普段触ってもいなかったインターネットに答えを求めたおかげで、つみきの会にめぐりあうことができました。
タイミングよく2週間後に親講習会があるとのこと、誰にも言わず6週間通うことにしました。

親講習会の1回目、行きの新幹線では、多動のためいつも通りウロウロする次男と 連結部分で過ごしたのですが、帰りの新幹線ではシートに座ることができました。
「座ってる!座ってる!座ることを覚えたんだな。これはすごい!やるしかない」

手厚い指導を元に家でセラピーを始めました。ところが、当時バセドウ病の治療を受けていた私は、 たちまち疲れてしまいました。しかも子供が4人いました。これは私には一人では無理だとすぐにわかりました。
しかし、良い方法が目の前にあるのに、あきらめるわけにはいきません。近所の友達にセラピーを手伝ってもらう事に決めたとき、初めて夫に次男の障害を告げました。

6回の講習会が終わるころには、指示に従うことなど全くなかった次男が、動作模倣がなんとか出来るようになりました。引き続き、明石発達相談で月2回(当時)、藤坂さんに貴重なアドバイスをいただきながら、午前中2時間(家事よりも前に元気なうちに)私がセラピーをして、午後の2時間はアルバイトの学生さんにセラピーをしてもらう体制を、幼稚園入園までの2年間続けました。この体制のおかげで、なまけものの私にもセラピーを続けることができました。

2週間に一度の発達相談は、私には無くてはならないものでした。次男は新しい課題をなかなか理解できなくて、分厚い壁がいくつもあって、一人でやっていては打ち破れなかったと実感しています。
発達相談でアドバイスをいただいてウキウキと帰ってセラピーに取り組むのですが、1週間ほどでまた行き詰まることも多く、しかし次の発達相談には何か少しでも出来るようになってそれをお土産にしなければ…と、後半の1週間もなんとか頑張れました。

アルバイトの学生さんは上手に次男をコントロールできました。しかし、新しい課題を教えることは難しかったので、できるようになった課題の復習、ハサミやのりを使う工作ドリルをして作ったもので遊ぶ、鉛筆の練習のために迷路のドリル、音声模倣などをしてもらいました。
家事がたまっていても午後学生さんが来てくれた時に片付ければいい、体調が多少悪くても午後休めるから、とにかく私は午前2時間セラピーやろう、と思えば気が楽で、新しい課題に集中できました。

音声模倣は私も先導してやりました。あいうえお五十音を一つずつ増やしていき、だいたい言えるようになったら「構音訓練のためのドリルブック(協同医書出版)」の2音の単語を練習し、2音が言えるようになったら3音、3音の単語が済んだら4音と増やしていきました。
セラピー前に練習する単語を20ほどノートに書いておき、セラピーではスムーズに言えて練習する必要のない単語には◯、もう少し練習したい単語には△、数回練習しても今は言えそうにない単語は 深追いせず×をつけてやめる、という作業をしました。
そして次のセラピーには△×の単語と新しい単語を合わせて20ほどノートに書いておき…を繰り返していくうちに、構音ドリルブックはひと通り言えるようになり、音声模倣は終了しました。
学生さんにお願いするにあたって、ドリルや具体的な課題を用意しておく方がやりやすいだろうと思っての事ですが、私にもやりやすかったです。

次男の単語が自分からたくさん出始めるのも時間がかかりました。身のまわりの物を写真に撮って、 「テレビ」とか「つみき」とか、最初はゆっくりのペースで何か月もかかって一つの言葉を教え、 それから様子を見ながら一つずつ増やしていって、すぐ忘れるので毎日全部復習させながら、やがて、一日一つのペースで覚えることが出来るようになり、次男の場合はですが、写真が200枚になった頃、 自発で単語が出始めました。

形容詞や動詞も、あれこれと試行錯誤し、やっと概念がわかるまで何か月もかかりました。しかし幸いにも一つを理解したら一気に種類を増やすことができました。次男も言葉がわかるのが嬉しいのか、弾むように飛び跳ねながら答えていたのを懐かしく思い出します。

次男は、ABAが無ければ話せていないと思います。
なんだか書いていて、ABAを始めようとされている方が「大変そう」と不安になられるのではと心配になりました。でも、大変だけど、考えられたステップで少しずつ進めていくので、あきらめなければ きっと出来るようになると思います。
そして、教えたことは生活の中で使えるようになり、また、セラピーで教えなくても学べるようになっていくので、だんだん楽になります。

1年間デスクに集中した後、3歳6カ月の時、週2回、市の未就園児教室(市内3か所を掛け持ちしました)と、ヤマハ音楽教室を利用して集団の練習を始めました。動作模倣と音声指示のスキルでなんとか参加を許されていた程度だったと思います。

ABAを始めて2年後、近所の公立幼稚園にお願いしてなんとか入園できました。5月の運動会が終わる頃まで毎日付き添いましたが、繰り返しプロンプトしてルーティンができるようになったのと、 私の体力的な問題で付き添いは終了しました。その後、叱られると逆切れして問題行動を起こしていたので、2年目の年長さんでは加配の指導員がつきました。

小学校への入学も大規模小学校の情緒支援学級の判定でしたが、最後まで粘って、入学後問題があれば支援学級に変わる条件付きで地域の小さな小学校の通常級に入学しました。よい環境で級友に恵まれて、そこで6年間楽しく過ごすことができました。

中学生になった今でも、長文読解や体育や読書会など苦手なことも多く、学校で嫌な思いをすることも時々あるのですが、落ち着いた毎日を送っています。ほがらかに話し、自分から気がついて進んで手伝える優しい子です。

このメッセージが、今がんばられているご家族に少しでも何かの参考になれば幸いです。そして、つみきの会のおかげで我が家は救われました。つみきの会を立ち上げて精力的に活動を続けていらっしゃる藤坂さんと、つみきの会を支えてこられた皆様には、感謝の言葉も見つかりません。本当にありがとうございました。ABAで劇的に改善したお子さんは沢山いらっしゃると思います。これからも一人でも多くの子どもたちが希望を持って成長して欲しいです。また、経済的な理由であきらめる事が無いよう、支え合う社会であってほしいと心から願っています。