とぅるママの体験

「こういう子(自閉児)はグッと伸びることはありませんので…」
今年の4月、息子2歳2ヶ月の時に医師に言われた言葉です。ちょうどABAを始め た頃のことでした。
しかしその4ヶ月半後、同じ医師から「もしかしたら今後伸びるかもしれません ね…」と言ってもらうことができました。
現在息子は2歳9ヶ月になりました。ABAを始めた頃は動作模倣もほとんどなく、 エコーにも乏しく、有意味言語は「わんわん」「まんま」だけ、音声指示も状況から 判断しているだけという状態でしたが、現在はつたないものの、2語文がいくつか出 てくるようになりました。おむつもあっさりとれ、遊びの幅も広がりました。よく会 う近所のお友達は見分けて「○○くん」と言うことができます。。入浴後寝る前には 「ほん、よんで」と日課の絵本読みをせがみます。
来年は保育園に入園する予定ですが(加配をつけてもらうつもりでいます)、まだま だ発達の遅れは大きく、課題はたくさんあります。むしろ大変なのはこれからかもし れません。でもABA中心の療育方針が定まっているので、そういった面での不安は ありません。
前述の医師の言葉から私自身気持ちに一区切りついたので、今までを振り返ってみた いと思います。

平成11年2月、息子は我が家の待望の第1子として産まれてきました。安産でし た。
赤ちゃん時代はよく泣く、手のかかる子でしたが、ゆっくりペースながら発達のポイ ントは抑えていた(微笑もあったし、人見知り・後追いもちゃんとあった)ので、個 人差なのだと思い、あまり心配はしていませんでした。
ただ、保健センターの3・4ヶ月健診で、保健婦さんが鳴らす鈴の音にあまり反応し なかったため、後まで残されたことがありました(結局、家では反応していたので、
問題なしということになりましたが)。今思うと、自閉的な症状の前兆だったのかも しれません。
息子が他の子と少し違うなと感じ始めたのは、はいはいを始めた頃だったと思いま す。
この時期は好奇心旺盛で探索行動が盛んになると聞いていたし、実際同じくらい の月齢の他の子はそうだったのですが、息子はグズグズ言っては私にベタベタ寄って くることが多く、あまり1人遊びのできない子でした。私は、興味の幅の狭い、依存 心の強い子だなあと感じていました。
また、真似やバイバイなどの芸もできませんでした。真似は10ヶ月頃に、首を傾げ るのと舌をベーッと出すのと2種類だけやっていたのを覚えていますが、1歳過ぎに はその2つさえもしなくなっていました。

当然指差しは全くしませんでしたし、言葉も全く出ませんでした。「ばっばっばっ ばっ…」といった喃語はよく出ていました。食べ物が欲しい時に「まんまんまんま ん…」とよく言っていたのが、唯一意味のある前言語のようなものでした。
当時の私は呑気で、おまけにテンションの低い母親(子供は放っておいても育つもの だと思っていた)だったので、息子の弱いところを意識して働きかけるわけでもな く、成長すればそのうち興味の幅も広がるだろう、言葉も出るだろう、とただ自発を 待つだけでした。
1歳4ヶ月近くなって、息子はようやく1人歩きを始めました。行動範囲が広がった せいか、一見興味の幅が広がったように見え、グズグズの頻度も少し減りました。
が、興味の向く方向が他の子とは少し違っていました。
側溝の金網、マンホールのふた(1つ1つチェックするように踏んでいました)、道 路の「止まれ」などの白文字(なぞるように歩いていました)、道路の色の変わり目 の部分(行ったり来たりしていました)、のれんなど上からぶら下がっているもの、 看板(必ず裏側を確認していました)…。友達のお母さんからは「面白いねー」と言 われていました。
また、この頃から自分で歩く場合には同じコースをたどることが多かったように思い ます(当時の私は、ちゃんと道順を覚えててえらいなどと思っていました…)。コー スの途中に興味を引くものがあると、行ったり来たりしたり、裏側を確認したり、い つも同じことをしていました。
おもちゃなどでの遊び方も、ひたすら口に持っていくだけという状態で、広がりがあ りませんでした。積み木も口に持っていくだけであとはポイと捨ててしまう、当時 買った絵本はかじられて端の数センチが溶けていましたし、砂場に行っても砂や石を 口に入れるだけなので危なっかしくて見ていられませんでした。
そんな状態で受けた1才半健診断は予想通りさんざんなものでした。課題は何ひとつ できず、人見知りも激しかった息子は、知らない人の前に座っていることも苦痛なよ うで、すぐに椅子から下りようとしていました。当然後まで残され、保健センターで 月1回行われている教室に誘われました。これで息子も少しは変わるかもしれないと 期待し、翌月から参加することにしました。

その教室には、1才半から入園前までの子供が20人程参加していました。言葉の遅 れやかんしゃくなど、発達上何らかの心配を抱えている子供が来ていたのですが、一 番年下であることを差し引いても、息子はその中で明らかに浮いていました。おも ちゃでほとんど遊ばずに、ただ部屋の中をウロウロと歩きまわってばかりで、それに 飽きると部屋の外に出たがって泣いていました。最初の3回は泣いてばかりいまし た。
現実をつきつけられたのと、本当に息子のためになっているのだろうかと疑問に 思う気持ちで、私自身もとてもつらい時間でした。幸い4回目からは泣かずに時間を 過ごせるようにはなったのですが、ただ集まって自由遊びをするだけの内容、月1回 という回数では、当初私が期待した何らかの効果が出るはずもなく、このままでよい のだろうかと次第に焦りを感じるようになりました。
そんな時、その教室に通っているお母さんから、発達センターで行われている教室の ことを教えてもらいました。発達上何らかの心配を抱えている子供のための教室とい う点では同じなのですが、週1回(2才児になると週2回)で、スケジュールがちゃ んと決まっていてトイレトレーニングなども教えてもらえると聞いて、早速直接セン ターに電話し、相談員との面談の予約をしました。
ちょうどその頃、保健センターの教室で1人の初対面のお母さんと話をしました。そ のお母さんには4人のお子さんがいて、そのうち2人が自閉症とのことでした。その お母さんに帰り際に突然「こんなこと言ったら気を悪くするかもしれないけど、発達 センター(の診療所)に行った方がいいと思う」と言われました。発達センターの診 療所には児童精神科があるので、そこで息子を診てもらった方がいいという意味でし た。
当時息子は1歳11ヶ月、発達の遅れは痛感していましたが、それが障害からくる ものだとは思いもしていなかったので、言葉では言い表せない程のショックを受けま した。

それから、インターネットで自閉症についてのHPを片っ端から調べました。。症状 を1つ1つ息子と照らし合わせては、「大丈夫、息子は障害などではない」「やはり 息子は自閉症かもしれない」と一喜一憂する日が続きました。そして出した結論は 「おそらく息子は自閉症スペクトルのどこかに属するだろう」というものでした。

ど の親御さんもそうだと思いますが、息子に障害があるということを受け入れるのはと てもつらいことでした。息子の寝顔を見ながら、申し訳なくて「ごめんね、ごめん ね」と言いながら何日も泣きました。
少し落ち着いてから、主人に息子のことを話しました。主人もやはり最初は信じられ ないようでしたが、私の深刻な様子(体調も崩していました)と、プリントアウトし たHPの束を読んで、理解してくれたようでした。仕事が忙しく、普段はねぎらいの 言葉などかけてくれない人ですが、「1人で抱え込まなくていいから」「仕事より家 族の方が大事なのは当然」と言ってくれました。無骨な言葉ですが、当時の私には唯 一の救いといえるものでした。

それから私が考えたのは、息子に障害があるのは仕方がないことだけれども、少しで も伸ばせるところは伸ばして、息子自身がが生活しやすいようにしてあげたい、とい うことでした。療育の方針を見付けたいと思いました。それにはまず医師に診てもら うことが必要だと考えました。その時は、医師が療育の方向を示してくれるものだと 思っていました。
息子が2歳の誕生日を迎えた今年2月、発達センターの相談員との面談の際に、教室 への申し込みと同時に児童精神科の受診の予約をしました。何と9ヶ月待ちとのこと でした。小児神経科だと2ヶ月半後に診てもらえるということだったので、併せて予 約をしました。
2ヶ月半後の診察を待っているのももどかしく感じていた私は、その間にもいくつか の病院で診察を受けました。しかし、時間をかけて行ったにもかかわらず、思ったよ うな結果は得られませんでした。告知の問題からでしょうか、医師は初診でははっき りしたことは何も言ってくれません。療育についても、子供に対する接し方を簡単に 説明してくれるだけです。

次第に私は、療育の方針は親が自分で子供に合った、納得できるものを見付けなけれ ばならないことに気付き始めました。再度インターネットで、今度は療育について調 べ始めました。そんな中出会ったのがつみきの会のHPでした。

早期集中介入のペー ジを読んで「これだ!」と思いました。ABAにたどりつく前に太田ステージについ て書かれているHPを読み、本も購入したのですが、動作模倣が課題として挙げられ ていても動作模倣ができない子供にどのようにして動作模倣を教えたらよいかまでは わからず、行き詰まりを感じていたところだったのです。言葉を獲得するためのプロ セスも、私には一番わかりやすく感じたというのもありました。

しばらくしてから、自宅で1対1のレッスンを始めました。息子は2歳2ヶ月になっ ていました。1日2~3時間、週15~20時間が精一杯で、週40時間などとても無理な 状況でしたが、できるだけのことはやってみようという思いで始めました。
もともとこだわりやかんしゃくがあまりなく、母子密着型の子だったので、椅子に 座ったり目を合わせたりといったレッスンの導入自体は割とスムーズにいきました。
ただ、動作模倣にはかなりてこずりました。一般的に自閉児は聴覚認知が弱いといい ますが、息子は赤ちゃんの頃から歌が好きだったり(泣いていても童謡を歌ってあげ ると泣き止みました)、手遊び歌が好きだったり(真似はできなかったので、私の両 手の親指をつかんで一緒にやるという形でしたが)したせいか、音の刺激もあった方 が理解しやすいようでした。アドバイスもあって、まず音声指示を交えた動作模倣か ら入り、その動作をマスターした後で純粋な音声指示と動作模倣とに分解するという 方法をとって、何とか動作模倣も少しずつできるようになりました。

もともとレッスンの時間数が少ない上に、私が2人目を妊娠し、つわりの最中はさら にレッスンの時間が減ってしまったため、レッスンの進み具合もとてもゆっくりなも のでしたが、それでも着実に息子の認知力がついていくのが分かりました。音声模倣 と名前付けのレッスンが進むに従って、徐々に単語が出てくるようになりました。発 音も回数を重ねるごとに段々よくなっていくのが分かります。私の話しかけに対する 反応もよくなってきました。
自発を待っていた1歳代の頃には全く見られなかった変 化でした。そして何よりの収穫は、言葉をコミュニケーションの手段として使うこと を身に付けたことだと思っています。もちろんまだまだ本当につたなく、パターンで しか覚えられない状態ですが、知っている物を見かけると私の方を向いてその名前を 言ってみたり、要求などを知っている数少ない言葉で一生懸命伝えようとしている姿 を見ると、ABAを始めてよかったと心から思います。
主人はレッスンには参加していませんが、休みの日に私が息子に接している様子や レッスンの様子をさりげなく観察しているようで、自分なりのやり方で息子に色々教 えてくれているようです。欲を言えばレッスンを分担してできればいいなとは思うの ですが、違うやり方も息子にとっては般化になるだろうということで、主人に任せて います。

ABAのレッスンを始めて間もなく、発達センターの小児神経科を受診しました。自閉児をたくさん診ているというその医師は、私が息子が障害があることを既に受け入 れていることを理解してくれて、初診でしたが「自閉症の可能性が高い」とはっきり 言ってくれました(冒頭の言葉は、この医師の言葉です)。
まだ全体的に幼い印象が 強いということで、OT(作業療法)の訓練を週に1回受けることになりました。感 覚統合を中心として受け入れられる感覚を増やすこと(息子には感覚防衛とまではい かないのですが、馴染みの感覚だけでパターンを作ってしまう傾向がありました) と、両親以外の人(OTの先生)とやりとりができるようになることが目的でした。
訓練中は、基本的には先生と息子だけでやりとりをし、私は部屋の隅で見ているとい う形です。両親以外の人間には触わられるのも嫌がる状態だった息子は、最初はよく 泣いて私の所に逃げてきました。遊べる遊具も本当に限られていました。半年経った 現在は、先生がとても忍耐強く接してくれたおかげで、時間中私の所へ逃げ込んでく ることもほとんどなくなり、受け入れられる感覚も大分増え、連続した動作もできる ようになりました。
先生のことも大好きな様子です。

ABAとOTの他に療育として始めたことについても書いておきたいと思います。
まず、前述の発達センターの教室に2月から週1回、4月からは2歳児クラスに上 がったので週2回通い始めました。この教室の時も最初の3回くらいは泣いてばかり いましたが、スケジュールが決まっていることや通う回数が多いこともあって、割と 早く慣れることができました。この教室では、トランポリンなどの感覚統合の遊具も あることから、感覚統合を意識した働きかけを意識したり、ABAのレッスンで行っ たことの般化、逆にレッスンの課題を見付けたり、教室で興味を持ったおもちゃや遊
びを家でも取り入れて遊びの幅を広げること、そして数多くの人と接することによっ て社会性をつけることを目的としています。以前は他の子には興味がない様子でした が、今では友達と一緒に遊具で遊ぶことを楽しめるようになりました。

5月からは音楽教室(2歳児対象)とスイミングにも通い始めました。
音楽教室は、息子が音楽好きだということと、子供が10人前後の小人数のクラスで、ある程度環境が構造化されていることから選びました(その前にリトミックにも 少し通ったことがあるのですが、公民館内の体育館という広い場所で、人数もかなり 多くて息子は注意散漫になってしまい、あまり効果がありませんでした。注意力をつ けるにはやはり最初は小人数で環境が構造化されている方がよいと思います)。
好き な音楽を通してできることを増やすこと、健常児の中に入れて刺激を与える(私自身 も健常児がどの程度色々なことができるのか知りたかった)というのが目的です。
最 初押さえつけてみんなと同じことをさせるのは大変でしたが(周りはとてもこわい母 親だと思っていたことでしょう…)、スケジュールを理解した今は驚くほど楽になり ました。簡単な楽器の演奏(タンバリン、たいこ、カスタネットなど)もできるよう になり、家でも楽しんでやっています。
スイミングは感覚統合にもよいということと、体力をつけるのが目的でした。

今は親 子で入るクラス(主人が入れています)なので準備体操や水の中での体操の時間が長 いのですが、すぐにプールが大好きになった息子は、スイミングでの体操を家で真似 したりするようになりました。意外なところで動作模倣の練習になりました。
その他、日常生活で特に意識して取り組んだのは、歩くことと絵本の読み聞かせでし た。
発達センターの教室に通い始めた頃、活動として散歩がよく組まれていたのですが、 息子はすぐ抱っこをせがんでなかなか自分で歩こうとしなかったし、手をつなぐのも あまり好きではありませんでした。
家でも同じ調子だったので、このままでは体力が つかないと思い、ある掲示板で相談して、外では一切抱っこして歩かないようにしま
した。最初の数日間は抱っこをせがんで泣いていましたが、思ったよりあっさり歩く ようになり、同時に手をつなぐのも嫌がらなくなりました。
現在も外で抱っこをせが んできた時はその場で立ち止まって抱っこをしてあげますが、抱っこをして移動しな いようにしています。

最近息子は体力がついてきたのが目に見えてわかるのですが、 歩く量が増えたことの効果も大きかったと考えています。
絵本については、2歳過ぎまで全く関心がなかったのですが(前述のように、1歳代 に買った絵本はかじるだけのものでした)、ある1冊の本に息子自身ハマったのを きっかけに、 絵本を見てくれるようになりました。
まだ簡単な1~2歳向きの絵本が ほとんどで、ストーリー性の強いものはよくわからないようなのですが、お気に入り の絵本は着実に増えています。お気に入りの絵本は始終読んでくれとせがむので正直 面倒な気持ちもありますが、できるだけ根気強く相手をするようにしています。
ABAのレッスンで覚えた物や動作の般化にもなると思っています。毎日入浴後寝る前に は絵本読みの時間と決めて、3冊程の絵本を読むようにしています。
また、休日にはできるだけ外出し、息子に色々な経験をさせるよう心がけています。
感覚統合によい遊具の沢山ある児童センターや、沢山の種類の遊具があって動物もい る大きな公園に遠出したり、電車を使って出かけてみたりして、息子に色々な経験を させるようにしています。公園の遊具などは息子には出来なかったり、興味を示さな いものも多かったのですが、スモールステップで少しずつでもできるように根気強く 働きかけました。その成果か、遊べる遊具の種類がグンと増えました。また遊び方 も、他の子がやっているのに刺激を受けて自分もやってみる、といったことも増えて きたように思います。

以上のようにABAの他にも療育として意識して行っていることもいくつかあるので すが、やはり息子にとってABAは療育の中心だと考えています。ABAをやってい なければ他の療育の効果もそれほど上がらなかったのではないかと思っています。
息子は最近少しずつですが、レッスン以外の日常生活の中で教えたことを覚えて使 う、といったことも増えてきました。これもABAのレッスンで学ぶことの基本がで きたからではないかと思っています。
しかし、伸びたとはいってもまだまだ息子は発達の遅れがかなり大きいのが現状で す。
今後も私自身勉強を続けて、ABA中心の療育を根気強く行っていきたいと思い ます。

キスケの母の体験

わが家の一人息子、「キスケ」の赤ちゃん時代は何もかもが順調でした。

生後1週間で、夜は4時間ぐらいまとめてねんね。

生後1ヶ月半を過ぎる頃には、何と大人とほぼ同じ8時間睡眠!

夜の10時ごろから朝までぐっすり眠ってくれました。

あやすとよく笑い、離乳食もパクパク食べ、体も丈夫で1歳7ヶ月で突発性発疹になるまで、一度も熱を出した事が有りませんでした。

赤ちゃんの頃のビデオを見てみると、 生後9ヶ月頃、「〇〇ちゃん(名前)」 と呼ぶと、くるっと振りかえりニコッと笑顔。

「ば・っ」とあやすとキャッキャッと声をたてて笑っていました。

キスケが他の子と違ってきたのは1歳のお誕生日頃のことでした。

まだ笑顔は残っていましたし、お父さんが呼ぶとそちらをむいていました。

でも他の子と比べると、あきらかに「人より物の方に興味がある」のです。

リモコンが大好きで、よく裏返していました。電話の子機も好きで、テーブルの上でグルグルグルグル回していました。

そして、1歳2ヶ月の頃のビデオ。

呼んでも呼んでも振り向かない。

公園では遊具を無視してベンチの前を行ったり来たりを繰り返す。目が合わない。手もつながない・・・・。

誰から見ても完全に自閉症です。

ただその頃は、近所に同じ位の年の子が少なく、また初めての子供という事もあり、「ちょっと遅れているだけ」と楽観的に構えていました。

「いつになったらバイバイしてくれるんかな?」なんて、夫と笑いながら話していました。

本格的にあせり出したのは1歳半検診の時です。 言葉が出ている子も多く、指差しも上手です。

息子と同じ様に走り回ってる子も何人かいましたが、彼の走り方はその子達とは全く違い、異常でした。

ホワイトボードの周りを50周ぐらい、まわり続けるのです。

案の定、最後まで残されてMRIと脳波の検査を勧められました。

それからの私は、パソコンで「自閉症」について調べまくりました。

見事にキスケの症状と一致しています。

夫や母に「自閉症かも・・・」と言うと、「まだ1歳半やのに決めつけるな」 「あんたの育て方が悪い」とあっさり切り捨てられてしまいました。

今思えば一番辛く苦しい時期だったかもしれません。

そして、2回目の脳波の結果を聞きに行った日についに宣告されました。 2歳5ヶ月の頃でした。

分かってはいたものの、やはり「自閉症です」と言われた事は大変ショックでした。

昼間息子と2人っきりでいると気がおかしくなりそうで、「もう、こんな子いらない!」と本気で考える事もありました。

そして2ヶ月が過ぎた頃、つみきの会のセミナーに参加し、行動療法に出会う事ができました。

自分達にできるかどうか分からないけど、ぜひやってみたい!と思うようになりました。

2歳7ヶ月頃の事です。

それまで、息子が出来ていた事、 「バイバイ(手を振る)」「いただきます(手を合わせる)」それと、名前を呼ばれたら手を挙げる・・・の3つだけで、しかもよっぽど気が向いた時にしかやってくれませんでした。

1歳頃よく言っていた「まんま」という言葉も完全に消え、それどころか嬉しい時によく叫んでいたキャ・ッという奇声さえも出なくなっていました。

声を出すのは泣く時だけ、というヒドイ状態でした。

キスケは食いしん坊なので、お菓子を見せるとすぐに椅子に座ってくれました。

その点は楽だったのですが、物覚えの悪さには苦しみました。

・・・いや、苦しんでいる最中です・・・。

ある日、ちょっとした事件がおきました。

「こんにちは」と指示をだし、キスケがお辞儀をする、というのを教えていたのですが、すぐに手をだし「バイバイ」をしてしまいます 。

そこで、私がその手をひざまでおろし、その後、頭を押さえてお辞儀をさせました。

それを何度か繰り返すうち、自分で頭を下げるようになったのです。

「こんにちは」が出来た!!と嬉しくなりました。

でもその時、そばで見ていた夫が「ちょっと待って」と言い、交代する事になりました。

夫が「バイバイ」と言うと、キスケは手を振りました。 そして、夫がその手を膝まで下ろすと、なんとお辞儀をしたのです。

そうなんです。彼は「こんにちは」という言葉に反応したのではなく、 「手を膝まで下ろされる」事を合図に頭を下げる。

そういう風に覚えてしまっていたのです。

自閉症の恐ろしさを改めて感じ、背筋がゾッとした出来事でした。

(その後、この奇妙な動作はしばらく消えませんでした) 私は家事が苦手で何をやってもトロく、なかなか療育に時間をまわす事が出来ませんでした。

でも、何もしないよりは少しでもやったほうがマシと思い、1日30分~1時間程度の訓練を細々と続けてきました。

ただこの5ヶ月の間に4回も高熱をだして、その度に中断せざるを得なかったので、(知恵熱か?という噂も・・・(^_^;))平均するともっと少ない時間だったかもしれません。

そして現在、キスケは3歳1ヶ月になりました。

今の息子は以前とは別人の様です。目がよく合うようになりました。

外で、勢い余って逃走を始めてしまっても、名前を呼ぶと戻ってきます。

「お手々つなご」と言うと、嬉しそうに小さな手を差し出してくれます。

両親そろっている休日は、片親だけでは物足りず、「母ちゃんもつないで」とばかりにもう片方の手を差し出してきます。

親と話している相手は例え初対面でも、゛安心出来る人″と思っているようで、その人とも手をつなぎたがります。

(時々抱きついたりして、「やり過ぎ・・・」と思うこともありますが)

大好きな、じじばばに久しぶりに会うと、嬉し恥ずかし・・・といった様子で、 はにかみながら隠れてみたりして、「こんな複雑な表情をするキスケは初めて」とびっくりされるようになりました。

教えていないのに復活した言葉、「まんま」。そして新しく出てきた「イヤイヤ」。

両手を差し出して笑顔で「あっほ!(注:抱っこ)」。そして「オ・ハ・ヨ」。

行動療法を始めて5ヶ月あまり・・・、 他の(ABAをされている)お子さん達とくらべると随分と成長が遅く、ガッカリさせられる事も多いのですが、それでも始める前の何にも出来なかった頃と比べればものすごい成長です。

頑張っている息子の姿を励みにして、これからも地道に続けて行きたいと思っています。

ケロちゃんの体験

1.乳児期のケロちゃん

我が家のひとり息子ケロちゃんは、妊娠中・分娩時ともきわめて順調に誕生しました。乳児期は「母乳嫌い」という問題はあったものの(実は私自身が母乳嫌いだったらしいので、遺伝だとすぐにあきらめました)、寝返りも、はいはいも、一人歩きもどの子より早くて、内心は自慢の息子でした。病気も11ヶ月で信州に旅行に行ったときに初めて風邪をひいたくらいでとても丈夫な子で、よく泣き、よく笑い、よくミルクを飲み、近所の人からも「育てやすいいい子だね~」とうらやましがられていました。

ケロちゃんは、ちょっと変わった子供でしたが、私はそれを息子の個性だと思っていました。「変わったところ」とは、例えばお菓子に興味を示さないとか、ミルクが大好きなのに絶対に自分では哺乳瓶を持たない、とかいったところでした。一人遊びも上手でしたが、決して人を受け付けないというわけではなく、「お母さん大好きっ子」でしたし、祖父母にもなついていましたし、お友達ともそれなりに遊んでいるようでした。

私がケロちゃんについて心配するようになったのは、1歳を過ぎた頃からでした。それまで何でも成長が早かったため、当然発語も早いものだと思っていました。発語の時期は親と似る場合が多いようですが、私自身は10ヶ月ですでに赤・青・黄色が区別できていました。ケロちゃんは3ヶ月くらいから「ぶー」「あー」と言った発声をしていましたので、1歳前にはいつ言葉がでるかと、毎日彼があぶあぶ言う度に真剣に聞き取ろうと耳を傾けました。

しかし、お友達が「まんま」「ママ」「わんわん」と話し出しても、ケロちゃんは一向に意味のある音声を発しませんでした。私は手近な育児書を読み漁り、「発語には独歩以上に個人差がある」という文章に慰められていました。しかしその一方で、ケロちゃんは「指差し」をせず「クレーン(自分の要求に対し大人の手を持っていくこと)」があり、それが自閉症の症状であることを私は知っていました。でも、それ以外でケロちゃんが自閉症の症状を示すことはありませんでした。目も合い、よく笑い、表情豊かでミニカーを並べたりすることもなく、見立て遊びもしていました。そしてどちらかというと、LD児の乳児期の様子に合致するような気がしました。

2.診断

ケロちゃんの言葉の遅れとクレーンが気になりつつも心配を打ち消していた私は、1歳半検診で保健婦に「クレーンがあるんですがこの子は自閉症なのでしょうか」と尋ねました。「いいえ、違いますよ、お母さん。心配しすぎですよ」という答えを期待して。でも返ってきたのは「そうのような、そうでないような…」という曖昧な言葉でした。そして障害児のための療育施設を紹介され、「この子はまだ1歳半ですから…」と逃げるように帰ってきました。

その後もケロちゃんは、まるで中国語のように聞こえる長い台詞をしゃべって、ひとりで笑ったりはしていましたが、なかなか言葉はでませんでした。そうしてようやく2歳3、4ヶ月のとき「ぶっぶー」が言えるようになったのです。「やっとしゃべった!」その感激はひとしおでした。それから2歳半までの間に指差しをするようになり、「わんわん」「かんかんかん(踏み切り)」が言えるようになり、やはり言葉が遅いのはこの子のペースなんだ、と安心し始めていました。

そんなとき、保健所から「心理判定士」による育児相談を受けてはどうか、という電話がかかってきました。私は本当は行きたくはなかったけれど、療育施設を断った経緯があったので今回も断る勇気はなく、まあいいや、行くだけ行っておけば、という気持ちでした。そこで心理判定士から下された判決は「この子には自閉傾向があり、一刻も早く療育をはじめたほうがよい」というものでした。

私はケロちゃんの自閉症は疑ってはいましたが、現実に他人からそう言われると受け入れがたいものでした。「間違いに違いない」と思いました。もちろん療育施設に入れる気もさらさらありませんでした。ところが自分と夫の母にそのことを話すと(自閉傾向というのはさすがに言えませんでした)、二人とも異口同音に「ぜひ療育に行くように」と勧めるのです。私はすっかり気を悪くしました。「言葉は個人差があるから気にしないように」と言ってくれるものだとばかり思っていたのです。しかし子育ての経験のある母達は、やはりケロちゃんが「どっか違う」というのを肌で感じていたようです。そして、「少しでも早く手を打つべきだ」と思っていたのです。

仕方なく私は療育施設の見学に行き、4月から入園することになりました。ケロちゃんが2歳10ヶ月のときです。

療育施設から療育の方針を立てるために、ある病院で診断を受けるように、と指示されました。夫は医療関係の仕事についているため、診てもらう先生によって患者のその後の人生が大きく変わるというのをよく知っていました。だから、色々な病院を回ってベストの先生を探すべきだという考えでした。私達はケロちゃんの問題は「言葉の遅れ」だけだと思っていました。それでさる病院にある「小児言語科」を受診することにしました。

「小児言語科」では、病名は診断できないとのことでした。そしてケロちゃんがしゃべらないのは「言葉の意味が分かっていないから」、かといって無理にしゃべらせようとはしないこと、とアドバイスされました。

療育施設で指定された病院では、発達検査をして診断が下されました。ケロちゃんはDQ66、「精神発達遅滞」と診断されたのです。私は耳を疑いました。「自閉症」や「LD」ならまだしも、「精神発達遅滞」だなんて。「この子は普通の学校に行けないのですか?」と噛み付く私に、先生は「おそらく幼稚園では追いつくでしょう。小学校低学年は何とかなるでしょうが、これだけ言葉が遅れているとなると中学年以降論理的思考が必要とされてくると無理でしょうね」と言われました。

何というショックでしょう。私はよく50km、事故もせずに運転して帰れたと思います。「絶対うそだ」という気持ちと「でもきっと先生の言うことは当たってる」という気持ち。私は今後どうしていったらよいのか分からないまま、どん底に落ちていました。

夫はうちひしがれている私を見てか、自分自身が先生の診断を聞いたわけではないからか、私より冷静でした。とにかく彼の意見は「もっと他の先生にも見てもらおう」ということでした。そこで小児言語科にかかった病院の「青年児童精神科」の予約をとりました。でも予約がとれたのは3ヶ月も先で、しかも診断には3回の診察・3ヶ月もかかるのでした。

それから夫はネットで情報を集めるように私に言いました。ところが「自閉症」と違って「精神発達遅滞」はネットの情報も出版されている本も本当に少なかったのです。私はこれといって対策もとれないまま、とにかくケロちゃんの生活リズムを整えること、外遊びを通じて言葉を教えること、発達検査でできない項目だった「三輪車に乗ること」だけを実施しました。

3.ケロちゃんの成長・そして障害の受容

「精神発達遅滞」の診断が下されたのはケロちゃんが2歳10ヶ月の終わりごろです。その前後からケロちゃんの発達は著しくなってきました。1日に2~3単語覚えるのはざらだし、2歳11ヶ月ではついに2語文がでたのです!2歳6ヶ月のとき単語が3つ言えただけだったことを思うと驚きの進歩です。3歳のお誕生日には単語は150を超え、その後しばらくして3輪車もこげるようになりました。

療育施設では、他の子供たちは朝しばらくだけお母さんと一緒で後は母子分離だったのですが、ケロちゃんは私が一緒でも1時間くらい泣き叫んでいたのでずっと母子で療育を受けていました(週1回)。2ヶ月半がすぎたころ、やっと落ち着いてきたので、私も母子分離してもらい、他のお母さん達と交流できるようになりました。

ケロちゃんのクラスは当然「自閉症」もしくは「自閉傾向」をもった子供ばかりです。同じような悩みをもつお母さん達と話しているうちに、だんだん私の気持ちも落ち着いてきました。日々成長するケロちゃんを見ていると、やはり「この子に障害はない、もうすぐ普通になる」と思いたかったのですが、「ああ、でもきっと障害があるんだろうなあ」と受容する気持ちにもなってきました。

そのころ私は、1日のほとんどをケロちゃんと遊んだり教えたりすることに費やしていましたが、「どうするのが彼の成長にとってベストなのか」ということが分からないのが悩みでした。そこで自閉症の子供さんを持つお母さんから、本を何冊も借りて読んだのですが、結局分かったことは「自閉症は大変なんだ、ケロちゃんが自閉症じゃなくてよかった」ということだけでした。しかし、本に書いてある自閉症の診断基準に全てではないもののケロちゃんが合致しているような気がしてならなかったのでした。

4.つみきの会、ABAとの出会い

私が青年児童精神科にケロちゃんを初受診させたのは、3歳2ヶ月のころです。発達検査を受けたのが3歳3ヶ月で、私はケロちゃんがもっとできると思っていたのに、それほどでもなくて大変がっかりしました。

同じ頃、私は療育仲間のお母さんたちに「もっといい病院」「もっといい療育」を目指してリサーチをかけました。そこであるお母さんから「つみきの会」を教えてもらいました。早速資料をみせてもらって、自分でもHPにアクセスしてみました。そこには今まで見たことも無い魅力的な文字が舞っていたではありませんか。「自閉症は治る!」会員の方の体験を読めば読むほどすばらしいものに思えました。ただネックは、「ケロちゃんは自閉症ではないこと」と「あまりにも時間的負担の大きいこと」。でもモノは試しです。自分ができる範囲でやればいいや、と軽い気持ちで入会希望のメールを出しました。「うちの子は精神発達遅滞で自閉症ではありません。それでもやる価値があれば入会したいです」と。すぐに代表の藤坂さんから返信がありました。「ABAはどんな子供にでも、たとえば健常児にでもつかえる教育法です。ぜひいいとこ取りをしてお使い下さい」と。

私はすぐさま入会し、ABAのマニュアルを読みました。その初期のマニュアルは、ケロちゃんがもうできることも多かったけれど、非常によくできたもので私は感心しました。2日かけてマニュアルを読み、早速次の日からセラピーを始めてみました。

一番初期に取り組むべき課題は「椅子に座る」「目合わせをする」でした。これらはケロちゃんは全く問題なくクリアーしていました。発語も彼の場合すでに3語文を話せるようになってはいましたが、発音が不明瞭だったため、単音の音声模倣と拍手とか万歳といった動作模倣をさせてみました。これが意外にもすんなりいって、驚きでした。ケロちゃんは以前医師から模倣がうまいとは言われていたのですが、こんなに機嫌よくしてくれるとは思わなかったのです。最初の日のセラピーは1時間くらいしたでしょうか。

これに気をよくした私は、次の日もはりきってセラピーをしようとしました。そうするとケロちゃんは泣いて椅子に座ることを拒みました。きっと前日うまくいったからといって無理をさせすぎたのでしょう。「お勉強いやなの~」と叫ばれ、途方にくれてしまいました。

やはり抵抗する子供に無理にセラピーをすることは、親のほうにもかなりのストレスがたまります。どうするか、と悩んで、ごほうびにお菓子を使うことにしました。最初のセラピーでは誉め言葉だけにしたのを、今度は上手にできたらお菓子のかけらをあげることにしたのです。これはうまくいきました。ケロちゃんは普段ほとんどお菓子をもらっていない子だったので、お菓子ほしさに何とか頑張るようになったのです。

驚いたのは、3歳4ヶ月で受けた発達検査で、先生がどう説明してもできなかったつみきの「橋」が、ABAを始めてちょっと経つと模倣力がついたのでしょう、「こうして」と親が作ってみせるとすぐに真似して作ったことです。そのときは「これだ」と思いました。

ABAを始めたばかりのころ、私はもう1件別の病院にケロちゃんを連れて行きました。そこで言われた言葉は「この子は典型的な高機能自閉症でしょう」でした。私は驚いて「自閉症は絶対ないって言われたのですが」と言うと、「うん、正確には広汎性発達障害ですね」とのことでした。驚きましたが、同時に納得もできました。やっぱり、みたいな。その少し後で2つ目の病院の青年児童精神科でも「広汎性発達障害ですね。知的な遅れは追いつくかどうか、今は分かりません」と言われました。そして最初に受診して精神発達遅滞と言われた病院でも、広汎性発達障害と診断名が変わりました。

ABAを始めて2ヶ月後、ケロちゃんが3歳6ヶ月のとき再び発達検査を受けました。DQは82に上がっていました。底辺ではありますが、正常値の範囲内です。ABAをやってよかったなあ、としみじみ思いました。もちろん発達検査の数値にとらわれることはいけないかもしれません。でも、数値が上がるというのはこの上ない親にとっての強化子だと思うのです。

ABAを始めて今で5ヶ月余りがすぎました。ケロちゃんは3歳9ヶ月になりました。3歳前からぐんぐん伸びてきていたケロちゃんですが、この5ヶ月の伸びはすごかったと思います。この間彼ができるようになったことは

・ひらがな・数字を読む(これは自閉症児の得意分野ですね)
・お絵かきが上手になる
・パズルができる
・積み木で色々なものが作れる
・やり取りの会話ができる
・数が数えられる
・オムツがとれる

などなどです。普通の子供だったらほおっておいてもできることだし、ケロちゃんだって遠くない将来できていたでしょうが、こんなにすぐにできるようになったのはABAのおかげです。そしてひとつのことができるようになると、脳が活性化するのでしょうか、ほかのこともできるようになったりするのです。すると自分でも自信がついてくるようです。

 要求語だけでなく、普通のやりとりの会話、「ねえねえ、お母さん、見て見て~」「ケロちゃん、これがしたかったもん」「雨降ってる、いやあねえ~」「あのね、お母さん」なんて言ってくれるのは本当にうれしいです。上手にお話ができるのはごく親しい人に対してだけですが。会話が自然な形になってくるまでには、時間がかかりました。そしてこれは直接セラピーのなかで教えたわけではありませんが、生活の中でABA的に接し、どう言うべきかを示したり、また彼自身の能力があがってきたのでしょう、自然に覚えたりして、最近では同じ年頃の子供よりはちょっと幼いけれどかなりキャッチアップしてきたと思います。

 最後にABAをやってきてよかったと思うことはもうひとつ、「やるべきことがある」ということです。普通「自閉症です」「発達遅滞です」と医師から診断されても、今後どう教育すべきか、何をすればこの子は伸びるのかという指示がないことが多いと思います。私もそうでしたし、周りにもそういう人が多いと思います。「様子をみましょう」これが多いですよね。でも、親としては何かしたいと思うのです。専門家から見ると親はすぐにあせってしまって子供に負担をかけると思うのか、教育法については指導してもらえません。それがABAを始めたことによって「進むべき方向性」が見え、「治る可能性」が示される。これは親として一番すばらしいことだと思います。ABAが日本でも多くの方々に広がることを願ってやみません。そして自閉症以外の障害を持つ子供たちにも。

 私のセラピーは、はっきりいってABAではないと思います。けっこうひどいと自覚しています。しかも時間だって週に7時間くらいです。それでもケロちゃんがこんなに伸びてくれたことに感謝しています。もちろんまだまだ問題山積みですが。それと私にABAを教えてくれた方たち、躓く度にアドバイスし励ましてくれた会員の方たちにこの場を借りて御礼申し上げたいと思います。

飛田さんの体験

お世話になります。飛田と申します
私のABA体験記を書かせて頂きます。

1.つみきの会に出会って

娘(現在5歳)が、自閉症の診断を受けたのは、娘が3歳6ヶ月の時でした。
それと、同じ時期に友人のTさんから、「つみきの会」のことを聞きました。
つみきの会のホームページをみて、主人と「これはやる価値あるかも!?」と、つみきブックを見ながらABAをやり始めました。

しかし初めはABAをきちんと理解しておらず、時間がある時にセラピーをする程度でした。
つみきの会と出会って半年後、初めて福岡定例会に参加しました。
藤坂さんの個別指導を直接見て、主人も私も衝撃を受けました。

親御さんが何度やっても出来なかった課題を、親御さんから藤坂さんに代わった途端、
子供さんが次々と課題が出来るようになりました。参加した家族全員のお子さんがそうでした。

私は、今まで適当にセラピーをしていたことを深く反省しました。
そして、セラピストとして、親がどこまでABAを理解し実践出来るかが、子供の成長を決めるのだ、と思いました。

その定例会から約半年後、娘が4歳5ヶ月の時、運良く藤坂さんにコンサルして頂けることになりました。

初めの3ヶ月はコンプライアンスばかりで、課題という課題は、ほとんど出来ませんでした。それほど、娘の癇癪はひどく、藤坂さんに噛み付いたこともありました。
そんな娘でしたが、癇癪も消去でき、その後は素直にセラピーに協力してくれるようになりました。

2.トイレのこだわり

ここで、ABAを始めてから、克服できた事を紹介します。

娘は4歳半の時点でオムツがとれていませんでした。
おしっこをする感覚はわかると思うのですが、おしっこはオムツの中でするものと理解しているようでした。
決してトイレではオシッコをしませんでした。
ウンチも同様でした。

また、娘は公共のトイレに恐怖心をもっており、公共のトイレに入る事が出来ませんでした。
私がトイレに行きたくても娘がパニックになるので、二人で外出する時は、私はトイレに行くことが出来ませんでした。

初めに、公共のトイレの恐怖心克服についてお話します。
出来るだけ、どんなに泣いても迷惑にならないような利用者の少ないトイレを選んで入ります。(障害者用トイレを使っていました)
そして、ひたすら泣き止むのを待ちます。その時、「大丈夫よ」や「よしよし」といった声かけはしません。

ひたすら、何事も起こってないように、普通に泣き止むのを待ちます。
その時、他傷行為をしても無視します。
娘の場合は初日15分~20分で泣き止みました。

泣きやんだら「お利口だね!!!」と褒めて強化し、すぐにトイレから出ます。
褒美にお菓子などもあげても良いそうです。
これを2~3日続けると、どんどん泣く時間が短くなり、あっという間にトイレに入れるようになりました。
公共のトイレに入れるようになった事は、その後の生活を格段に楽にしました。

次にトイレでオシッコをする事を教える方法についてお話します。
娘の場合、オムツにオシッコをする事がこだわりになっていたので、かなり苦労しました。
つみきブックにも書いてありますが、最初はオマルを使いました。
そろそろオシッコかな?というタイミングでオマルに座らせます。
サイダーやファンタなど好きなジュースをたくさん飲ませて、ひたすらオシッコをするのを待ちます。
途中テレビやビデオも見せました。
娘はオムツ以外にオシッコをする事が恐怖になっていたので、オシッコを我慢して、初めは2~3時間オマルに座りっぱなしでした。

そして、オシッコをすると、「ギャー!!」とパニックになっていました。
そんな娘でしたが、1週間も続けていると、オマルですんなりオシッコが出来るようになりました。
それから、トイレでオシッコをする方法に変えました。オマルからトイレへの移行はまったく抵抗なく、すぐに出来るようになりました。

最初の1週間に、娘のこだわりに負けなかった事で、乗り越えることが出来ました。
この2つの大きなこだわりを壊してからは、娘のこだわりで苦労することはなくなりました。

3.癇癪、他傷行為の消去

娘はABAを始める前はかんしゃく、他傷行為の大変ひどい子でした。
また、始めてからもしばらくは、ひどいかんしゃくを頻繁に起こしていました。

藤坂さんにコンサルに来て頂いて、初めに取り組んだのは、このかんしゃく、他傷行為の消去でした。

「足ちゃんと」「手はおひざ」などのコンプライアンス系課題をさせ、出来たら褒めて強化し、席を立たせました。

かんしゃくを起こしても無視して、課題を指示します。
はじめのうちは、1秒でも出来れば、すぐにオッケーとして褒めて席を立たせていました。(お菓子などもあげました)

これを繰り返しているうちに、だんだんと指示に従う方が得と思うらしく、嫌な事に対して、かんしゃくを起こして逃れようとすることはなくなりました。

他傷行為については、かんしゃくを起こした時に、周りにいる人を引っ掻いたり、髪の毛を引っ張ったりしてしました。

他傷行為をしても、まったく反応せず、何事も起こっていないように接しました。
そうする事で他傷行為も消去することが出来ました。

かんしゃくの消去が出来てからは、新しい課題が出ても素直に応じるようになりました。
あのすごいかんしゃくは何だったのか!???と思うほど、扱いやすい子になりました。

4.おわりに

現在娘は5歳8ヶ月です。
今の課題は、就学に向けての読み書き計算や、物事を文章で説明する練習や助詞、ごっこ遊びなど・・・・。

他にも色々ありますが、一年前は、オムツも取れていなかった娘がこんな事をしているなんて、セラピーを始めた頃は 考えてもみませんでした!!

ABAで学んだ事は、基本を深く理解することです。
強化、消去、プロンプト、スモールステップ・・・

つみきBOOKには、さらりと書いてありますが、これが大切なんだと、つくづく思います。
強化といっても、単に、お菓子をあげれば良いという訳ではなく、子供に注目しながら、
今は何が有効か??常に考えながら、ワンパターンにならないように 子供のやる気を引き出す・・・。とても奥深いものだと思います。

プロンプトにしても、加減が難しいですよね・・・。やはり、子供の状況を見ながら適切なタイミングで行う必要があります。
スモールステップも本当に重要で、何か課題でうまく行かない時は、このスモールステップが出来ていないことが多いです。

セラピーがうまくいかない時は、課題をもっと分解してやってみる、それでもうまくいかない時はさらに分解してみる、という発想が、様々な事を教えていく上で、本当に大切なんだ!と教えて頂きました。

1年ちょっと経って、ようやく 子供の状況を客観的に見れるようになってきました。
セラピーがうまくいかない時は90%以上、教える側に原因があると思います。
自分の状況は客観的になかなか見れないものです。

つみきの会の皆様には、ぜひ定例会に参加して頂きたいです!!
藤坂さんのセラピーを直接見ると、ABAの価値がもっと分かると思います!!
また、同じ障害を持つ親御さん同士、仲間がいると思うと、励みになります!!
まだまだ、未熟な私ですが、今後ともよろしくお願いします。

いーさんの体験

我が家の次男は自閉スペクトラム症です。1歳7カ月の時に診断されました。
診断前の1歳6カ月でつみきの会に入会し、セラピーを始めました。
現在は小学2年生、地域の小学校の普通級に通っています。診断前後から、振り返ってみたいと思います。

事の始まりは1ヶ月半健診の問診票。質問事項に、一つも〇がつきません。能天気な私は、その時初めて、「あれ?どうしてだろう?」と疑問を持ちました。そういえば、指差しも、言葉も出ていない。3つ上のお兄ちゃんがいて、赤ちゃんは勝手に成長するだろうと、兄ばかりを優先していた私は、次男のことを大人しくて手のかからない子と感じていて、発達の遅れに全く気づいていませんでした。

迎えた1ヶ月半健診。当日、次男は寝ていて、保健師さんと問診票を確認するだけ。〇がないことに、私「何か、おかしいのでしょうか?」との問いに、「んー、どうでしょう。半年ぐらい様子をみましょうか。」と保健師さん。半年後に電話くれる約束を貰って帰宅しました。(え?そんな簡単に半年も様子見でいいの?)(私の心の声)

数日後、予防接種のため小児科に向かう車の中で、夫に「まだ言葉が出てないって、何かおかしいのかなあ?」と言うと、「…今日、相談してみたら?」と。小児科の医師に指差しや言葉が出ていないことを伝えると、「自閉症とかあるけど…わからないね。」と。(え?医者なのに?じゃあどこでわかるの?)(私の心の声)

帰りの車の中で、夫と会話。私「自閉症とか言われたけど、どうなのかな?」夫「…色々調べたけど、多分、そうだと思う。実は、ちょっと前に気づいてた。」と。(え?気づいてた?何で言ってくれないの?)(私の心の声)
どうやら、夫は母親から指摘されていたようでした。夫も、次男の手のかからなさに違和感がありながら、母親に指摘されて初めて気がついて、ネットで調べたそうです。
私がショックを受けると思い、なかなか言い出せなかったと。(知らなかったのは私だけ?そりゃショックだけど、そんな大事なこと言わないなんて、バカじゃない?)(私の心の声)

その日から、私もネットで検索。自閉症の症状を見ると、次男に当てはまることばかり。次男って自閉症なんだ、と納得。なぜか、すんなり受け入れた私。でも、二日くらいは泣いたんですけどね。

そういえば、保健師さんは半年も様子を見ると言っていた。半年も何もせずなんて、ヤバイ。保健師さんに電話をかける。「自閉症だと思うんですが、どうしたらいいですか?」言葉に出すと涙が止まらなくなった。保健センターでは発達検査の予約がいっぱいで、検査が先になるそう。早く検査できるところを教えてくれて、予約してくれた。(なんだ。できる所があるんだ。私が電話してなかったらほったらかしてたの?)(私の心の声)でも、保健師さんは優しく話を聞いてくれ、迅速に発達検査の予約をしてくれたので、今ではとても感謝しています。

さあ、発達検査まで少し時間がある。何をしよう。次男は名前を呼んでも振り返らない。絵本の読み聞かせも興味なく、すり抜けて逃げていく。コミュニケーションが取れない。どうしたらいいのかわからない。

そんな時に夫が「こんなところ、見つけたんだけど…」と、ネットで調べたつみきの会を教えてくれた。「早期療育」この言葉を知ったのもこの時。早く始めるのがいいんだ。「少しでも良くなる可能性があるなら、なんでもやる。」そう夫婦で決めて、自閉症の診断前だったけど、入会し、DVDとテキスト(つみきBOOK)を取り寄せ、自宅の一室をセラピールームにして、夫婦で見様見真似のセラピーを開始しました。次男1歳6カ月の頃です。

今まで、こちらの呼びかけに無反応だった次男が、お菓子(強化子)ほしさにイスに座る。それだけで驚きました。まずはおわんに積み木を入れることから………。入れれない。(え?こんなことできないの?)(私の心の声)動作模倣も、全くできない。(うそー。なんで?)同じもの同士のマッチングもできない。(一緒にするだけなのに、なんで?)

こんなに色々なことを理解していなかったのかと、驚きと絶望の連続。同時に、このままでは大変と、危機感を覚え、セラピーの日々が始まりました。
今まで次男にどう接したらいいのか、教えたらいいのかがわからなかったのが、つみきBOOKを見て、この子にも教えることができる方法があるんだと、とても心の支えになりました。

この頃、予約してもらった発達検査を受け、1歳7カ月で医師に「まだ1歳7カ月で診断できるかっていうところだけど、診断できますね。自閉スペクトラム症です。」と。(先生、はっきり言うねー。わかっていたよ、こちらも診断受けるつもりで来ているよ。本当なんだね、ありがとう)(私の心の声)
覚悟していたけれど、改めて医師の口から診断名を聞くと、心にドーンと重たく響きました。(本当は受け入れられないの。)でも、早期に診断してくれた医師に、とても感謝しています。そして、その医師はABAセラピーも応援してくれました。「今からセラピーしてると、よくなるよ。ただ、家でセラピーをしていると、孤立しがちだから、専門家(セラピストさん)に来てもらった方がいいよ。」と。これでセラピーする覚悟も決まりました。
つみきの会のDVDとテキストで、見よう見まねでセラピーをしていましたが、なかなかうまくいかず、NOTIAのセラピスト勉強会のデモに参加しました。そこで初めて藤坂さんに会いました。(うわさ通り?目が鋭い。でも、とても優しそうな人だ)(私の心の声)
セラピストさん達もとても真剣で優しく、褒めてくれる(お祭りみたい。こちらまで嬉しくなる)。そうか、褒めて強化するってこういう風にするんだ、と勉強になりました。しかも、今まで親のセラピーでは、手を挙げる動作模倣ができなかったのですが、藤坂さんの手にかかると、あれよあれよと、できるではありませんか。次男の手と藤坂さんの手を合わせたところから、少しずつ手を挙げていき、最後は自分のみで手を挙げてる状態に。(すごい、そんな方法あるの?)(私の心の声)魔法にかかったみたいでした。
藤坂さんに「音声模倣に入る前に、動作模倣、マッチング、音声指示をしっかりやるように」と言われ、2歳になるまで繰り返し練習しました。
次男は幼く、癇癪もあり、セラピー中に眠くなったりして、長時間はセラピーができませんでした。兄が幼稚園に行っている間の午前中にセラピーをしました。セラピー以外の時間はリビングで指差しの練習をしました。数少ない、興味をもった物を手の届かない所に置き、指差しさせてから取ってあげる、を繰り返しました。発声も極端に少なかったので、食事中、一口ごとに発声させてから食べさせていました。

癇癪や自傷行為(頭を床に打ち付ける)もありましたが、消去につとめました。その時は長く、不安に感じましたが、今ではなくなったので、消去してよかったと思います。

デスクでのセラピーのみではなく、1歳9カ月頃から、市の集団療育にも行ってみました。体操やお遊戯、絵本の読み聞かせなどありましたが、次男はできることが少なく、理解も興味もなく、参加できません。参加させようとすると、癇癪を起こしたり。職員さんは無理に参加させなくていい、というスタンスでしたが、私は癇癪にはひるむことなく、プロンプトして参加させていました。
何か相談しても「そうですかー」としか言わない職員さん。(話聞いてくれるだけ?何か提案ないの?)(私の心の声)次男はまだ、集団では学べない、と感じました。

夫婦でセラピーを続け、どの課題も苦労しましたが、2歳過ぎて少しずつ言葉が出てくるようになりました。(取っての「て」、ちょうだいの「だい」など)その頃、NOTIAのセラピストさんに来てもらえることになりました。どの課題をしようか、指針を示してくれたり、できるようになったことを一緒に喜んでくれたり、今まで夫婦だけでやってきたことが、セラピストさんが来てくれるようになり、気持ちがとても楽になりました。

会話もある程度できるようになり、年少さんから幼稚園に入園。兄が同じ幼稚園だったので、制服の着脱や朝の会など練習した上で入園しましたが、ふたを開けてみると、まったく先生の言うことを聞かず、座っていられず、教室から脱走してばかり。専属の補助員さんをつけてくれていましたが、だめでした。園にお願いして、一時期私が付き添い(シャドー)しました。離席しようとすると止め、座れると褒めて強化しました。園でできないことは、家でも練習しました。そうすると、少しずつ座れるようになり、離席もなくなり、参加できるようになりました。

幼稚園に付き添って感じたことは、先生たちは指示のみで強化がほとんどなく、次男にはとてもわかりづらかったのだろうと思いました。まだまだ言葉の理解も弱かったので、かわいそうなことをしてしまった。もっと早く付き添ってあげればよかったと、後悔しました。
先生たちはとても次男によくしてくれ、可愛がってくれました。先生が次男に対して困っていることはないか、こちらから聞くようにし、コミュニケーションを取りました。

年中さんでも補助員さんはついてくれましたが、私の付き添いは必要なくなりました。
まだ理解力も弱かったのですが、仲の良いお友達ができて、楽しく幼稚園に通えました。
年長さんになると、補助員さんは見守り程度で、大体のことは皆と同じようにできるようになっていきました。

年少の時、スイミングの習い事をさせたかったのですが、集団指示が通りにくく、並ぶこともできなかったので、しり込みしていました。同じ自閉症児をもつ先輩ママさんに、「とりあえず体験行ってみたら」と背中を押してもらい、体験に行ってみると、幼稚園よりコーチの言うことを聞いている。並ぶことは苦手だったけど、手の空いているコーチが並べるよう補助してくれたりと、うまく対応してくれ、通うことができました。年中から公文や体操教室など、少しずつ習い事も増やしていきました。

そして小学校入学。不安がありながらも、普通級を選択しました。次男の不安が強く、最初のうちは登校しぶりもありましたが、仲の良いお友達ができ、少しずつ慣れていきました。
休み時間は、体操教室で好きになった鉄棒で遊び、鉄棒仲間ができたり、放課後はお友達のお家にゲームをしに行ったりもしています。

セラピーで、何度も繰り返し練習して少しずつできることが増え、成功体験を積んできたからか、できないこと(ソフトボール投げやサッカーなど)があると、「どうやったらいい?教えて。」と練習する子になりました。うまくいかなくても自分で練習するところや、人からのアドバイスを受け入れて実践するところは素晴らしく、尊敬しています。

まだ幼いところがあり、お勉強やメンタル面も不安がありますが、お友達と楽しそうに登下校している姿をみると誇らしく、セラピーを続けてよかったと、心から思います。

追伸
息子は小学校中学年になりました。お友達もでき、学業もついていけていて、普通級で楽しく過ごしています。

KSさんの体験

次男はこの春、中学3年生になります。中学受験をして、一番近い中高一貫校に通っています。
天文部に入って毎月の夜の合宿が楽しみで、学校の友達とテレビドラマやゲームなどの会話を楽しんだり、時々LINEで聞かれて試験範囲を教えてあげたり、まずまずのお付き合いをしているようです。
ここまで成長できたのには、忘れてはならないことがあります。

幼い頃の次男は1歳10カ月になっても言葉を話さず、健診で発達検査を受けたところ、詳しい説明は無いまま、2歳から児童発達支援センターに月3回通うことになりました。
2歳半になる頃には、一生懸命に教えた、パパ、ママ、バナナ、リンゴ、バイバイのわずか5つの単語も、もう忘れたのか、消えていました。
その頃、センターのベテラン指導員と初めて面談がありました。「発達障害の可能性が高く、一度消えた言葉はもう出て来にくいと言われています。」はっきりと聞かされた時は、嘘だ!と心で叫びながらも、 多くの子どもたちを見てきたベテランの先生が言うのだからそうなのだろう、とも思いました。
そして「言葉はカードを使う方法とか色々あるから、3歳になったらウチに毎日通うようにしましょう。幼稚園は無理…」と言われました。

そうか、普通ではないんだ。帰りの車の運転は涙で前が見えなくて危ない思いをし、仕事の忙しさがピークだった夫が事故でも起こすのではと心配で、仕事が落ち着くまでの1か月だけ黙っておこうと思いました。そうすると家で話し相手もおらず不安でいっぱいになり、普段触ってもいなかったインターネットに答えを求めたおかげで、つみきの会にめぐりあうことができました。
タイミングよく2週間後に親講習会があるとのこと、誰にも言わず6週間通うことにしました。

親講習会の1回目、行きの新幹線では、多動のためいつも通りウロウロする次男と 連結部分で過ごしたのですが、帰りの新幹線ではシートに座ることができました。
「座ってる!座ってる!座ることを覚えたんだな。これはすごい!やるしかない」

手厚い指導を元に家でセラピーを始めました。ところが、当時バセドウ病の治療を受けていた私は、 たちまち疲れてしまいました。しかも子供が4人いました。これは私には一人では無理だとすぐにわかりました。
しかし、良い方法が目の前にあるのに、あきらめるわけにはいきません。近所の友達にセラピーを手伝ってもらう事に決めたとき、初めて夫に次男の障害を告げました。

6回の講習会が終わるころには、指示に従うことなど全くなかった次男が、動作模倣がなんとか出来るようになりました。引き続き、明石発達相談で月2回(当時)、藤坂さんに貴重なアドバイスをいただきながら、午前中2時間(家事よりも前に元気なうちに)私がセラピーをして、午後の2時間はアルバイトの学生さんにセラピーをしてもらう体制を、幼稚園入園までの2年間続けました。この体制のおかげで、なまけものの私にもセラピーを続けることができました。

2週間に一度の発達相談は、私には無くてはならないものでした。次男は新しい課題をなかなか理解できなくて、分厚い壁がいくつもあって、一人でやっていては打ち破れなかったと実感しています。
発達相談でアドバイスをいただいてウキウキと帰ってセラピーに取り組むのですが、1週間ほどでまた行き詰まることも多く、しかし次の発達相談には何か少しでも出来るようになってそれをお土産にしなければ…と、後半の1週間もなんとか頑張れました。

アルバイトの学生さんは上手に次男をコントロールできました。しかし、新しい課題を教えることは難しかったので、できるようになった課題の復習、ハサミやのりを使う工作ドリルをして作ったもので遊ぶ、鉛筆の練習のために迷路のドリル、音声模倣などをしてもらいました。
家事がたまっていても午後学生さんが来てくれた時に片付ければいい、体調が多少悪くても午後休めるから、とにかく私は午前2時間セラピーやろう、と思えば気が楽で、新しい課題に集中できました。

音声模倣は私も先導してやりました。あいうえお五十音を一つずつ増やしていき、だいたい言えるようになったら「構音訓練のためのドリルブック(協同医書出版)」の2音の単語を練習し、2音が言えるようになったら3音、3音の単語が済んだら4音と増やしていきました。
セラピー前に練習する単語を20ほどノートに書いておき、セラピーではスムーズに言えて練習する必要のない単語には◯、もう少し練習したい単語には△、数回練習しても今は言えそうにない単語は 深追いせず×をつけてやめる、という作業をしました。
そして次のセラピーには△×の単語と新しい単語を合わせて20ほどノートに書いておき…を繰り返していくうちに、構音ドリルブックはひと通り言えるようになり、音声模倣は終了しました。
学生さんにお願いするにあたって、ドリルや具体的な課題を用意しておく方がやりやすいだろうと思っての事ですが、私にもやりやすかったです。

次男の単語が自分からたくさん出始めるのも時間がかかりました。身のまわりの物を写真に撮って、 「テレビ」とか「つみき」とか、最初はゆっくりのペースで何か月もかかって一つの言葉を教え、 それから様子を見ながら一つずつ増やしていって、すぐ忘れるので毎日全部復習させながら、やがて、一日一つのペースで覚えることが出来るようになり、次男の場合はですが、写真が200枚になった頃、 自発で単語が出始めました。

形容詞や動詞も、あれこれと試行錯誤し、やっと概念がわかるまで何か月もかかりました。しかし幸いにも一つを理解したら一気に種類を増やすことができました。次男も言葉がわかるのが嬉しいのか、弾むように飛び跳ねながら答えていたのを懐かしく思い出します。

次男は、ABAが無ければ話せていないと思います。
なんだか書いていて、ABAを始めようとされている方が「大変そう」と不安になられるのではと心配になりました。でも、大変だけど、考えられたステップで少しずつ進めていくので、あきらめなければ きっと出来るようになると思います。
そして、教えたことは生活の中で使えるようになり、また、セラピーで教えなくても学べるようになっていくので、だんだん楽になります。

1年間デスクに集中した後、3歳6カ月の時、週2回、市の未就園児教室(市内3か所を掛け持ちしました)と、ヤマハ音楽教室を利用して集団の練習を始めました。動作模倣と音声指示のスキルでなんとか参加を許されていた程度だったと思います。

ABAを始めて2年後、近所の公立幼稚園にお願いしてなんとか入園できました。5月の運動会が終わる頃まで毎日付き添いましたが、繰り返しプロンプトしてルーティンができるようになったのと、 私の体力的な問題で付き添いは終了しました。その後、叱られると逆切れして問題行動を起こしていたので、2年目の年長さんでは加配の指導員がつきました。

小学校への入学も大規模小学校の情緒支援学級の判定でしたが、最後まで粘って、入学後問題があれば支援学級に変わる条件付きで地域の小さな小学校の通常級に入学しました。よい環境で級友に恵まれて、そこで6年間楽しく過ごすことができました。

中学生になった今でも、長文読解や体育や読書会など苦手なことも多く、学校で嫌な思いをすることも時々あるのですが、落ち着いた毎日を送っています。ほがらかに話し、自分から気がついて進んで手伝える優しい子です。

このメッセージが、今がんばられているご家族に少しでも何かの参考になれば幸いです。そして、つみきの会のおかげで我が家は救われました。つみきの会を立ち上げて精力的に活動を続けていらっしゃる藤坂さんと、つみきの会を支えてこられた皆様には、感謝の言葉も見つかりません。本当にありがとうございました。ABAで劇的に改善したお子さんは沢山いらっしゃると思います。これからも一人でも多くの子どもたちが希望を持って成長して欲しいです。また、経済的な理由であきらめる事が無いよう、支え合う社会であってほしいと心から願っています。

あんずママさんの体験

息子は15歳、高校1年生になりました。
まだまだ、おかしな表現、行動をすることもありますが、ABAのおかげで、思春期特有の反発はあるものの、指示に素直に従い、遅くても最後までやり抜くことのできるやさしい子に成長しました。
今春、第一志望の県立高校にも合格することができました。このあたりでは皆が憧れる県下屈指の進学校です。

息子は予後が悪いとされる折れ線型自閉症です。折れ線型自閉症でも、回復する可能性がある事を、同じ立場で頑張っている方々に知っていただきたいと思い、書いています。

2歳前、2語文を話し、ニコニコしていた息子はすべての言葉、行動、表情を失いました。
指示を聞かなくなった息子を、2歳が近づき、いろいろなことができるようになって、自我が芽生えてきたとのんきに見ていました。
でも、何かが違うと感じ、地元の保健センターで相談し、専門の方に見ていただき、「折れ線型自閉症」という言葉を知りました。 その方のお話から、多分間違いないだろうと思った時のショック。息子の将来を思うと、食べる事ができず、それでもと思って口に入れた食べ物は全く味がしません。これが、「砂を噛む思い」なんだと冷静に考えたのを覚えています。そして、ニコニコ順調に育っていた頃を思い返し、面倒をみていた私のせいだと、悔やんでも悔やみ切れない日々を過ごしました。息子の人生を親の私が壊してしまった、そんな思いでした。
その後、大学病院を紹介され、数々の検査を受けた後、折れ線型自閉症の診断が確定しました。

失意のどん底の中、ネットで調べたつみきの会に出会い(皆さんと同様、初めは怪しい団体ではないかと疑いました(笑))、新潟定例会で藤坂代表、松井さん、同学年の子供をもつ2組のご夫婦に声をかけていただきました。声をかけていただき、話を聞いていただけたことで、どんなに救われたことでしょう。それとともに、似た境遇の中で頑張っている方々の様子に勇気をもらい、帰りの車で夫と二人、頑張らなくてはと話したこと、なつかしく思い出されます。

保育園の入園を4月に控えた真冬の2月、つみきBOOKに倣い、息子のオムツを取りました。あらゆることに遅れている息子、園の先生に少しでも迷惑をかけないようにとの思いでした。早生まれの息子は3歳になっておらず、健常の子でもオムツをとるには早いくらいの時期でしたが、つみきBOOKに書いてある通りに行い、何とかオムツを取ることに成功しました。
真冬にオムツを取るなんて、常識ではとても考えられないことですが(笑)、とにかく必死でした。
そして、この成功は、つみきBOOKってすごい!と改めて感じた出来事でもありました。

年少の時は、午後には園から帰宅させ、つみきBOOKで課題をこなしました。片道5時間以上かけ、2ヶ月に1度、藤坂さんにコンサルティングにも来ていただきました。少しでも成長した姿を見ていただけるよう必死でした。私がうまく教えられない課題でも、藤坂さんにかかると魔法のようにできることが何度もありました。藤坂さんのようにはいきませんが、アドバイスをいただきながら、少しずつつみきBOOKを進めました。

全ての言葉をなくした息子。再び「ママ」と言えるようになったものの、「ママの鼻」を教えたら、私に向かって「ママの」と言うようになってしまいました。この時、ああこの子は教えた事をそのまま表現しているだけ(それでいいのですが)中身は何も理解していない・・とまた絶望したこと、今でもはっきり覚えています。
また、赤色、青色、黄色を区別できた事に満足していた頃、園のお友達の「これカラフルだね」という言葉に衝撃を受けました。カラフルなんて言葉、どう教えたらいいんだろう。息子には到底無理。つみきBOOKで必死に教えている事、それは健常の子が苦もなく吸収している事。わかってはいたものの、その現実に愕然としました。
とにかくできない事だらけの息子でしたが、保育園の間は、毎日セラピーを行い、少しずつ前へと進みました。年少年中では、加配をつけてもらっていた息子ですが、小学校入学に備え、年長では加配を外しました。

そして、小学校入学時の検査では、普通級判定が出ました。凹凸はあるものの、IQが100くらいあり、温厚で他人に従うことができたことが幸いしたと思います。
でも、やはりついていけない事が多すぎて、1年生の時はクラスに補助の先生が付き、息子のお世話係(気の利く女の子)もいました。やろうとする気持ちはあるのですが、不器用かつスロー、自分から周りに聞く事も苦手でした。
外遊びも苦手で、休み時間、校庭で駆け回る男の子たちの中に入っていくのは難しく、寂しい思いをたくさんしました。言い返せないので、強いお友達に意地悪なことを言われることもしばしばでしたが、なんとか踏ん張りました。低学年の頃は、進級とともに差が開き、いつか支援級へと言われるのかな?との思いがいつもありましたが、うれしいことに差はだんだん小さくなり、お世話係は消え、自分の事は最後までできるようになりました。

学習面は、小学校教員の私の妹が全面的にフォローしてくれました。セラピーという形ではありませんでしたが、つまずきそうな部分を確認して、一つ一つスモールステップで教え込んでくれました。低学年の頃は半信半疑だったようですが、高学年になると、この子は理解できているよ、と言うようになり、この言葉は私の大きな励みとなりました。

中学に入ると、校庭を駆け回る子はいませんので(笑)だんだん皆の輪に入っていくことができるようになりました。もっぱら、ゲームの話をしていたようです。部活は消去法で美術総合部へ(運動が苦手)。穏やかな子が多く、なんと休日に男女数人で遊びにいくようになりました。家に遊びにきたり、バレンタインデーには義理チョコももらい、びっくりでした。
そこで学習したのか?クラスのおとなしい男子とも映画、カラオケ、買い物を楽しむようになり、その中ではリーダーシップをとっているようでした。自分で遊びに行く計画を立て、お友達を誘っていました。食事やカラオケなど、お金を皆で精算しなければならない場面では、率先して計算しお金を集めて支払っていたようです。誰もやらないから、俺がやらなきゃだめなんだよ!とうれしそうに話していました。
普通っぽく?楽しい中学生活を送ることができたのです。

また、昨年の夏には、2歳から通院していた発達障害の医師からも、「もう大丈夫、来なくていいよ。」とうれしい卒業の話がありました。思わず診察室で泣いてしまった私。息子はその場では何も言いませんでしたが、1階におりるエレベーターの中で「なんで泣くんだよ。びっくりした。」と、うれしい、うれしい卒業でした。

息子が今、こうして平穏な日々を送れているのは、幼い頃、あの一番苦しかった頃に出会ったつみきの会、藤坂さん、つみきBOOKの導きのおかげです。信じて良かったです。感謝しかありません。
幼い頃、お友達との差がありすぎて参観日にいつも悲しい思いをした頃を思うと、今の様子は奇跡に近いかもしれません。
でも奇跡は起こせるのです。折れ線型自閉症でも回復する可能性があるのです。息子の回復が(完全ではありませんが)少しでも皆さんの希望になる事を心から願っています。