自閉症の兄弟をもつ人たちへ〜えっくんの姉より〜

こんにちは。わたしはえっくんの姉です。

この前、このサイトに載せたレポートで、わたしのことを覚えているかな。今度、お母さんが新しいレポートを載せる、というので、わたしも何か書いてみようと思いました。

いま、わたしは10年生(訳注:日本だと高校1年生)で、アメリカの高校に通っています。学校のキャンパスを歩きながら、わたしは時々、「いますれ違った子も、障害を持った家族がいるかしら」と思ってしまいます。

わたしはとても孤独なんです。特に友達に私の小さな弟のことを話すとき、とても寂しい気持ちになります。なぜなら、誰一人として、障害をもつ家族がいることから生まれる精神的な葛藤を理解しようとはしないからです。みんなは、「どんな気持ちか、わかるわ」と言ってくれます。でも本当は何もわかってはいないんです。

私は自閉症児を弟に持つ女の子に会ったことがあります。でも私が彼女と話をしようとすると、彼女はその話題を避けようとするんです。まるでそのことを話すことは罪であるかのように。

えっくんのチューター(訳注:ABAのセラピスト)さんたちは、私くらいの年頃で、障害を持つ自分の兄弟を憎んでいる子をたくさん見たことがある、とよく言います。私はそれを聞いて、とてもショックでした。わたしには、彼にとってどうしようもないことで、弟を憎むなんて想像もできません。

でもその後、無知な子どもたちの、障害児に対する偏見をよく目にするようになりました。そのような子どもたちが、ハンディキャップのある子どもを、「知恵遅れ」とか「ばか」と呼んでからかうのを見るたびに、私は腹が立ってしまいます。

私はそんな場面に出くわしたとき、一度も止めに入ったことはありません。だから私にも半分の罪があると思います。でもそんな場面を見るたびに私は、「ばかなのはどっちよ」と、心の中でその子どもたちを笑うのです。

私の学校に、一人、ボーダーライン(訳注:知的障害が軽度で、正常域すれすれの子どもたち)の子がいます。彼女はとてもかわいい子で、誰かを傷つけようなんて、これっぽっちも思わない子です。

悪い男子生徒たちはいつも彼女の無知につけこんでいました。しょっちゅう人前で彼女を傷つけるようなことを言って、大笑いするのです。でも彼女はそれを気にしていないように見えました。たぶん彼女は、彼らを友達だと思っていたんだと思います。

わたしはあるとき、がまんできなくなって「もういい加減にしなさい」と彼らに言いました。彼らはわたしに「関係ないだろ」と言い返しました。わたしは、今後、彼女にこんなことをしているのを見たら、学校に訴えるわよ、と言いました。

彼女は泣いて泣いて、泣き続けました。彼らが笑っていたのは、彼女を好きだからじゃなくて、からかっていたんだ、とわかったからです。

幸いなことに、彼らは二度と彼女をからかおうとはしませんでした。たぶんどこからかわたしが校長と一緒に現れて、彼らに居残りを言い渡すんじゃないか、と恐れたのでしょう。

それ以来、彼女はわたしに会うたびに、笑顔であいさつしてくれます。わたしも笑顔で手を振って「ハイ」と言います。みんなはわたしを笑って、彼女を友達にしていることでわたしをからかいます。でもわたしは気にしません。どっちにしろ、あんな連中と仲良くしたいなんて思わないですから。

私は家に帰るときが一番幸せです。わたしはあまり勤勉じゃないので、学校に行くのは好きじゃないんです。わたしは疲れ切って家に帰ってくるので、まず最初に昼寝をします。

 お母さんはわたしが昼寝をするのをいやがります。でもわたしは昼寝のあと家族と関わる時間を出来るだけ持つように心がけています。

 わたしの弟は自分のことで心が一杯なので、彼の注意を引くためには大抵、彼のすぐそばまで行かなければいけません。彼がわたしのところに来るのは、何か欲しい物があるときだけです。

 わたしはいつも喜んで彼の欲しい物を取ってあげます。わたしは弟が「○○ちょうだい」と言葉を発するのを聞くのが好きなんです。

 わたしは彼を見て、本当の美しさをそこに見ます。わたしは、彼は神の御手に触れられた子だと信じています。少なくとも半分天使だと。いつも落ち込んだときに、彼を見るとそれだけで元気が出ます。 

 わたしもティーンエイジ特有の憂鬱状態になることがあります。そんなときはわけもなく、みんなのことが憎くなります。

 でもそんなときに彼を見ると、わたしは怒りを静めなければ、と思うのです。

 わたしが彼を抱きしめようとすると、彼は身をよじって逃げ出します。キスをしようとすると嫌がります。でも彼はわたしを必要としています。彼は友達として、わたしが必要なのです。

 彼のような子どもがこの世に生を受けた理由は何なのか、わたしにはわかりません。でもただ一つ分かっているのは、彼らはいじめられるため、からかわれるためにこの世に生まれたのではない、ということです。

 えっくんは他の子どもたちほど頭はよくないかもしれません。他の子どもたちのように物事を理解することはできないかもしれません。でも彼はこの世で一番悲しみに沈んでいる者の顔に、どうやったら笑みを灯すことができるのかを知っています。それが天分でなくて何でしょう。

 この手紙をどうやって本筋に戻したらいいのか、わからなくなってきました。でもわたしは弟がどんなにわたしを元気づけてくれるか、わたしがどんなに彼を愛しているか、を伝えたいのです。

 わたしは彼のおかげで、将来は言語療法士になろうと決めました。そしてもちろん、いつまでもわたしにできる限りのいい姉でいようと。

 怒ってばかりいるには、人生は短すぎます。そして愛する者の困難を克服するための長い時間を含んでいます。もちろんわたしがいるし、家族もみんないます。でもそれだけでは愛する者を助けることはできないのです。そうでしょう?

 えっくんはわたしに、他の人たちなら気づかないことを気づかせてくれます。私たちが当たり前だと思っている、人生の中の些細なこと。えっくんのような子どもたちは、それを別の目で見させてくれます。パズルを完成させること、自分の名前を言うこと、自分の鼻を触って、「鼻」と言うこと。私たちにとっては、これらはそんな大したことではありません。でもわたしにとっては奇跡のように、あるいは神の御技のように思えるのです。

 当時、(診断されてからの一年間)絶望感がこの家に漂っていました。そして渡米をしました。

私たちが何かを必要としていたとき、ドクターSという女性が家にやってきたのです。彼女はえっくんのホームプログラムのリーダとなりました。

 最初のうち、私たちは家にやってくるチューターたちのことを、不安な気持ちで見ていました。彼女たちはあいさつをし、にっこり笑い、それからえっくんを彼の部屋に連れて行って、2時間たっぷりセラピーをするのでした。それから彼女らは出てきて、えっくんがどんなだったかを話し、そして帰っていきました。

 私たちは、部屋の中でえっくんとチューターたちが何をしているのか、さっぱり分かりませんでした。そこでお母さんはえっくんと、メローラという名のチューターの様子をビデオを撮ることにしました。

 私たちはそのビデオを見て、びっくりしました。えっくんはなんて一生懸命勉強していたことでしょう。彼はメローラの指示のままに言葉を発し、彼女の動作を模倣していました。メローラはとてもエネルギッシュで、えっくんを笑わせていました。

 もう一人のチューターはミッチェルという名でした。彼女とメローラはえっくんをとても進歩させてくれました。

 わたしは専門的なことはよく分かりませんでした。わたしが知っていたのは、彼女らがABAというものを行なっていること、そしてそれはわたしの小さな弟をよくする助けになるのだ、ということでした。

 それから悲しい日々がやってきました。メローラとミッチェルはもうわが家のセラピーを続けることができなくなったのです。彼女らは泣き、私たちも泣きながら、お別れを言いました。でも時は流れ、やがてわたしたちは次々と新しいチューターを迎えることになりました。

えっくんは全部で10人以上の熱心なチューターを経験しました。そして最後にわたしたちはナズとティファニーという二人のチューターを迎えました。ナズとティファニーはとても息が合っていて、二人が一緒にセラピーに来るときは、いつだっていい結果が出るのでした。一人ずつ来るときでも、彼女らはとてもよくしてくれました。

 えっくんはこれまでにも増して学ぶようになり、彼女らは、奇跡の職人のように、わたしたちの信頼を回復してくれました。ナズとティファニーはえっくんのセラピーをするだけではなく、わたしたち他の家族にとってもとてもよい友達になってくれました。二人はわたしの将来の夢、えっくんのような子どもを助ける人になる、という夢をさらに刺激してくれました。

 まもなく、えっくんのホームプログラムが終わるときが来ました。最初、わたしは悲しかったです。それはまるで病気の人間から薬を取り上げるようなものでした。でもそれからわたしは悟りました。これはえっくんにとっていいことなんだと。これは終わりではない。えっくんの人生にとって新たな始まりなんだと。そしてわたしは彼が新しい生活を最良のものにするために、できるだけ手助けをしようと思いました。

 およそ三年間。三年間のハードワークと密度の濃いセッションでした。チューターたちは、彼を助け、現在あるまでにしてくれました。でもえっくんがここまで成長して来れたのは、決してチューターさんたちだけが唯一の原因ではありません。それだけではなく、えっくんとわたしたち家族、とりわけえっくん自身によるところが大きいと、わたしは信じています。彼はとても幼いですが、とても勤勉で、がまん強く、強い意志を持っているのです。彼はコミュニケーションが苦手で、理解していることも多くはありませんが、それでもわたしがとても言い表せないほど、たくさんのことを達成したのです。

 わたしはチューターたちにとても感謝しています。彼らはえっくんを助けただけでなく、わたしたち家族を結束させ、わたしたちすべてをいやしてくれたのです。

 最後になりましたが、わたしがこの文章を書いたのは、自閉症者を家族に持つ皆さんに、一つのメッセージを伝えたかったからです。そう、確かにそれはつらいことですが、しかし誰かを助ける、ということは、とてもすばらしい報酬があることなのです。毎日毎日、わたしはえっくんから贈り物をもらいます。なぜなら、わたしは彼からいろんなことを学んでいるからです。

わたしは完璧な人間ではありません。時には彼に対して腹を立てたり、うんざりすることもあります。でもどんなに腹を立てても、彼に対する愛情がゆらぐことはありません。

誰にとっても、人生は多くの障害に満ちています。えっくんのような子どもたちはそれを自分一人で乗り越えることはできません。ですからあなたが必要とされているのです。あなたができる最善のことは、彼らの手を取って、そして最後まで彼らと共に歩むことです。

えっくんの姉

そして母から・・・・

お姉ちゃんは、このようにしてとても弟思いな子です。

私たち親が出来ないことがあれば、彼女が手を貸してくれたりします。

しかし、私は彼女にいつも、弟のために自分の人生を生きないでほしいと言います。

自分の人生を自分の思い通りに、好きな道を進んでほしいと願っています。

しかし、彼女の選択はどうやら、弟のような子供たちに何かしたいというのが

彼女の選択のようです。

現在彼女は学校から帰るとベビーシッターとして

6歳の男の子を自宅で、見ています。これもえっくんのピア(友達)をつくる

手段と考えたのでしょう。

どうやら、セラピストさんたちが我が家に来てくれたとうことの結果は

息子だけでなく、家族全員に大きな影響を与えてくれたようです。

そして彼女は9月から高校2年生になります。

彼女は、学校の広報委員になり、学校の新聞を活用して、Autism Awareness(自閉症を広める)

運動をするそうです。

私は彼女とメールの交換をよくします。

といっても同じPCで同じアドレスですが。

でも、現在のハイテク機能を活用して、いつまでも母と娘だけの関係ではなく

親友として、先輩として、同じ女性として、尊敬し合えたら最高だなって

思います。

みなさん、娘の気持ちを読んでくださってありがとうございます。

えっくんママより

PECSの作り方

PECSの作り方を教えてくださいというメールをよくいただきます。

PECSはとても簡単にできます。

① 好きな画像をプリントします。

② 画用紙のような少し厚手の紙に貼りつけます。

③ ふちを切ります。

④ パウチにかけます。

⑤ パウチのフィルムのふちを少し2~3mmくらい残して切ります。そして裏にマジックテープを貼ればできあがりです。

娘たち

重い軽いに関わらず、家族の中に障害をもった方がいると、家族の協力が必要になってきます。うまく役割を決めて、能率よく一日を過ごせたらと私はいつも思っています。

これはなかなかむずかしいことですが・・・

ラッキーなことに私には2人の娘という協力者がいます。

この2人が喧嘩をしながらも、第2のえっくんママとなってくれています。

いや、本当のママより、ママをしてくれています。

とくに長女は私よりもしっかりとした考えを持っていて、

以前、診断されて落ち込んでいた私に、「ママ、大丈夫よ、私が言語療法士になってえっくんを治してあげるから」当時彼女は小学校6年生

私はこの一言で、ものすごい救われました。

家族の中でも一早く自閉症関連の本を読み上げ、前向きな姿勢を示したのは彼女でした。

現在ハイスクールに通う彼女です。学校から他国語を学ぶ選択を与えられたのですが

彼女はみずから学校の校長先生に他国語をならうのなら、手話の勉強をさせてほしいと

願いでたそうです。弟の事情と言語療法士になる夢を説明したら、学校側がそれに協力するということで、今年の9月から大学で手話の授業を特別に受けることになりました。

今は毎回息子が受ける言語療法に付き添い、勉強中でございます。

以前彼女はまったく日本語がわからない状態で、日本の小学校に1年間通う経験をしました。あいうえおの訓練からはじまり、一年後にはかなり会話も上達し

ある程度の漢字の読み書きもできるようになりました。

これはその彼女が卒業文集でかいたものです。まず、英文で本人が書いてわからないところは先生が協力していますが・・・

六年生の思い出

 

私は六年生の五月からこの○○小学校に通い始めました。

私ははアメリカのノースダコタ州で生まれて、青森県に四年間、沖縄に三年間、

アメリカのフロリダ州に三年間すんでいました。

そして、私のおじいちゃん、おばあちゃんがいる○○県に引っ越してきました。産まれてから十二年間ずーっと英語での生活で日本語はほとんど、わかりませんでした。おじいちゃんやおばあちゃんとせっかく近くに住むことができても、お話することができませんでした。こちらにきてからも、アメリカンスクールにかよっていましたが、お母さんから、日本の学校の話をよくきかされ、自分も興味がわいてきました。

ある日、お母さんに妹といっしょに日本の学校に行かないか、という話をきかされ、不安ながらも行く決意をしました。どうして決意したかというと、私には

言葉が話せない知的障害をもった弟がいます。この弟が毎日がんばって生きている姿を見て、私も言葉のちがうかんきょうに、はいってもがんばろうとおもったからです。最初は不安ばかりでした。みんなが話すことがまったくわかりませんでした。でも先生やお友達にたすけてもらって、いろいろなことを学びました。アメリカンスクールでは学べない良いことも、悪いことも、けいけんをしました。

一度はお友達ができなくてやめようと思ったこともありました。

でもいま思うと、良い思いでです。

○○小学校に来て本当によかったです。

いろいろと私を支えてくれた先生方にかんしゃします。ありがとうございました。

彼女はえっくんにいろいろな影響を受けて、成長しているようです。

障害をもってしまったけれど、でも共存していくことはけして

悪くない、ましてやすばらしい事に思えているのです。

がんばっているパパやママたちへ

がんばっているパパやママたちへ

うちの子は自閉症と診断されてあと少しで3年が経とうとしています。

まだ3年なんですが、なんだか

10年くらい経ったかのように長くて根気のいる道のりというのが実感です。

自閉症の息子の他に14歳と11歳の娘がいます。

健常児を育てることもとても大変ですが、自閉症児を療育していくことは

本当に本当に大変なことです。

娘達が大きくなるにつれてそれなりに親として心配が増えますが

息子への心配はこれからこの家族が生きている間、

また私達夫婦が死んでからも耐えぬことないと思います。

ABAを2年半してきて実感することは、根気との戦い、でもかならず芽を出します。

本当にあきらめずに何度も何度も繰り返すことがとても大切です。

つまづく課題は、本当にわかってない、集中していない、

全然興味がないそんな態度を示されて、こちらの方があきらめたくなりますが

そうではないように思えてきました。

時間がかかってもできるようになっていきます。

ですから親はがんばりすぎてしまいます。

しかし、無理をしないでください。つまずいたら、一呼吸して休みましょう。

これからも長い道のりですのであせってしまうのが一番よくないです。

自分自身をコントロールしながらうまく付き合って行くしかありません。

そんなとき国からの援助でセラピストさんを派遣してくれたり

学校と家庭とが協力しあいABAの療育をしてくれたらどんなによいでしょう。

世の中いい事もいっぱいありますが、大変な事の方が多いと思います。

ましてや私たちのような状況であれば・・・・・

私は昨年、自分自身をだめにしました。突っ走りすぎました。

精神的に参ってしまい、自分も治療をしなければなりませんでした。

この精神的な病気はある日ふと訪れます。

一人になりたい、違う世界に行きたいと思いました。

生きていることがつらくなってしまいました。

そんなこと考えたくないのに気づくと考えている自分がいました。

自分をコントロールしていたつもりでしたし

いつも明るくあまり小さい事にはこだわらない性格だと自分は思っていたのですが・・・・

人間は弱いです。

がんばったら、どこかでかならず息抜きをして下さい。

確かに子供の成長がご褒美ですが

ご自分自身のご褒美を見つけてください。

私も今探している最中です。

えっくんの仲間たち

サンディエゴにきて、同じ悩みをもつ日本人のお母さん達に出会いました。

こちらにもサポートグループがあります。

月に一度ミーティングを開き、IEPの話や、学校のこと、地域のこと、

また時には食事にいったり

日ごろの愚痴などをぶつけあったりもしています。

私はこのグループに、いつもささえられています。

今回はこの方々のABAなどによる経験レポートもいくつかご紹介いしたいと思います。

みんなが別人!というくらい成長したSNくんのお話

現在4歳になる息子は、1歳7ヶ月で自閉症の診断を受け1歳9ヶ月から3歳までABAを受けました。

1日2時間、週5日(週10時間)家での1対1のセラピーでした。(個室には入らずリビングでセラピーをし、私が少し離れたところに座って見ているという形でした。)

年齢が低いということで最初は1日1時間から始め、1ヶ月後には1時間30分、慣れてきたら2時間というように徐々に長くしてもらいました。最初はこんな小さい子に・・と迷いもあって何度もこれでいいのかと自問しましたが、泣くのを止めるだけで褒めてもらえる、椅子に座るだけで褒めてもらえるということをやっていくうちに、小さいながらもやればとても褒めてもらえる、好きなご褒美がもらえる。ということを理解しはじめ、模倣が出来るようになってくると出来ることが段々と増えていきました。

始めたときには言葉も指差しもありませんでしたが、セラピーで欲しいものに一回指を当てて(差して)から渡す(使わせる)ようにするというのを何度も何度もやっているうちに最初はただ意味の無い動作でしかありませんでしたが、次第に自分の欲しいものを指差す・指を差すことで、欲しいことを伝えるという意味のある本当の「指差し」へと徐々に変わっていき、それから少しずつ単語が出るようになり4歳になった現在は文章で会話できるほどに成長しました。

セラピーの内容は、最初は泣きやむ事から始まり、指差し・椅子へ座ること・目を合わせること・簡単な模倣をすること・色や形、物の名前を覚えること・生活に必要なトイレや着替え、歯磨きなどもあり特に問題行動があればそれをターゲットにしたセラピー(例えば、息子はいつも走っていて、歩くことが難しく突然危険な場所へ飛び出すことが多かったのでセラピストと外で走らずに歩く練習、「とまりなさい」という言葉で止まる練習などがありました。)を取り入れてやってきました。

これまでの成長は、もちろんABAだけでなく本人の成長する力もあったと思いますし、ABAがどこまで彼の発達を促したのかはっきり示すことはできません。

ですが、指差しも模倣も質問をすることも道路に飛び出さなくなったのも、自然にやり始めたことではなくABAの中で教えられて習得してきたことを考えると、息子には必要なセラピーであったと思いますし、私も学ぶことが出来て本当によかったと思っています。

私は子供が専門家からセラピーを受け、学ぶのはとても有効なことだと思うと同時に親がその療育法(ABAなど)を学ぶことがとても大切だと感じています。子供と毎日接し、育てていく親が理解し、家で実行できることは一番の療育ではないかと思います。

息子は4歳になった今、うまくいかないこともよくありますが人と関わることが大好きです。まだまだ課題はありますが、親の期待を超えて成長してくれていると思います。

天才顔のKくんとかわいいEちゃんのお話

Kは2歳ちょうどで渡米し、2歳半で自閉症と診断されました。当時はmild-autismの診断でしたが、言語は全くありませんでした。2歳半から3歳までは日本人のサイコロジストのところで一対一のセラピーをしていましたが、そのときのチューターはABAのベンダーで経験のある人でしたが、それが本当のABAと呼べるものだったかどうかは疑問です。当時は椅子にすわることはもちろん出来ず、そこから始めました。半年で簡単なパズルがやれるようにはなりましたが、癇癪で短時間で中断することが多かったと記憶しています。

彼が実際本格的なABAを受けはじめたのは3歳から入学したプリスクールです。一年間は半日の授業の中でABAの時間は一日トータル一時間程度。内容は糸通し、パズル、レスポンスを目的にしたトーイプレイ、模倣、カテゴリ−分け、色、数の学習などです。PECSを併用して認知と意思疎通を促すようにすすめていました。他の授業は生徒全員のサークルタイム、外遊び、OT、APEといったところでした。半年たった3歳半で急に物わかりがよくなり、多動がなくなり、言葉が出始め、トイレットトレーニングに成功しました。ABAが効いたかどうかはわかりませんが、学校教育が彼にかなりの影響を与えたことは確かです。

それから4歳になって通常の半日授業に加えて、午後の3時間にABAだけの集中講座が週5日、一年間行われました。彼のいっていた学校は学校区の自閉症研究校で、チューターさんはこれから先生になる人達でした。そこはそういった見習い先生たちの訓練場所でもあったようです。ABAの内容は上に加えて、最後のほうではアカデミックスキルが入っていました。例えば『木の上になにがあるか?』『青い鳥』と絵を見せて答えさせる状況説明をうながすもの、『鳥は木の上にいるもの』『空を飛ぶもの』という認識をうながすものがありました。

当時あわせてRegional Center(発達障害児に対してサービスを出す非営利団体)から自宅のABAを出してもらい、後半の半年間はやっていたのですが、そちらは問題行動をターゲットにした内容でした。同じABAでも学校区とは内容が違うところがあったのが興味深かったです。そちらの内容は色、数、大小などを教えるアカデミックスキルもありましたが、レスポンスやアテンションスキルを促すものが多かったと思います。

結局これらを終えて、物の名前が殆どいえるようになったことと、” I want –“という決まった二語文がいえるようになりました。Yes, No は当時はまだ言えなかったと思います。

5歳(キンダー)になってからは学校のABAはほとんどなくなり、グループセラピーの方に移項していきました。私としてはまだGeneral-question (自分や家族の名前、住所、電話番号などが言える)が未完成だったので(当時は自分の名前は言えるが、それ以上のことは出来なかった)続けてほしかったのですが、年令とバジェットの関係でRegional CenterからもABAは中断されました。そのあたりの学習は学校のIEP(個人年間ゴール)に入れてもらったり、自宅で親が学習させて言える、書けるようになりました。これが完成したのは最近です。(現在7歳)

ABAは自閉症児の学習に非常に効果を与えますが、長い間行ったり、(3年以上?)ある年令をこえると(5歳以上?)行き詰まり症候群に陥るようです。Kの場合私としては行き詰まるまで徹底してやってもらったらもっと学習したかもしれない、という感想もありますが、ABAが嫌いになる前に卒業させられてよかったのかもしれません。5歳以上になるとこちらは小学校になり、ABAの個人指導より、グループから学ぶという本来の授業形態から学べるように仕向けて行くのが将来的にはいいのだと思います。

現在、下の娘(二歳、PDD診断)がABAを受けております。彼女は言語は3単語なものの、自発的なプレイスキルはもともとあるので、非常に飲み込みが早く、始めて二週間で座ってドリルすることを覚え、学習を楽しみにするようになりました。現在、動作模倣、パズル、レスポンスプレイをこなしています。言語模倣は苦手らしくて積極的ではありませんが、模倣発声するようになってきました。(現在始めて二ヶ月)現状ではアテンションスキルが上がったのと、指差しが非常に増えました。

二人のABAを振り返えると、個人によって能力、進み方、内容に違いがあって非常に面白いです。

詰め込み学習の内容が濃いため子供には負担がかかりますが、暗記が主な学習能力の自閉症児には適していると思います。 『模倣する』『ほめられる』『また模倣する』というABAのカリキュラムは、言語発生の原点を学習させているのだということがよくわかります。機会があるならば絶対行うことをお薦めします。(Kママ)

意思伝達がたくさんできるようになったKMくんのお話

次男は現在9歳で、2歳8ヶ月の時自閉症と診断されました。当時ABAはDTTと呼ばれ、3歳未満の発達の遅れている幼児をサポートする非営利団体のホープ・インファント・プログラムの方から家での療育をすると言う事で紹介されたのがきっかけで受ける事が出来ました。

当時の次男は言葉はゼロ、こちらの指示に従う事などまるで理解していない状態でした。また、私自身ABAが何か解らなかった当初はその効果については半信半疑でしたが一番最初のABAを受けた時セラピストさんがおもちゃなどの強化子を使い模倣を50分連続で次男を一度も席から立たせずに行い、自分の目が信じられ無かった事を今でも鮮明に覚えています。ABAも当時は本当に初期で結構厳しいものだったように思いますが、おかげで次男は従う事や模倣、何よりも誉められて嬉しいという「学び」の道理を身につけました。さらに、「ぶつ」、「投げる」等の問題行動の対処の方法も我々親が学ぶチャンスを得られた事は大変重要な事でした。

診断当時はショックと共にどのように何を進めていいかすら見当もつかない状態で焦燥感ばかりがつのりましたがABAを受け、また私達親がその療育方を学べた事は次男の教育の原点であり同時に私達親の教育の原点でもあると思います。どの子供の教育も「一生に一度のチャンス」であり、「その子供の持っている可能性を最大限伸ばす」事に変わりは無いと思います。その点でもABAを受けられたおかげで親としてその時に出来る事が出来たと言う満足感もあります。

テーブルや机の上でするABAを卒業し、診断後5年半経った今でもABAは何らかの形で毎日の生活や学校での学びに役に立っています。現在では簡単な本なども読めるようになったり、映画を見に行ったり、家族で外食に出かけたりと言う事も出来るようになったのは全てこの学びのおかげだと思います。さらにABAを通じ地域の素晴らしい専門家やほかの自閉症児を持つ親ともめぐり合う事が出来、私達も日々学ばせて頂いていると思います。

やんちゃで、楽しいことが大好き! がんばっているKNくんのお話

わたしの息子(3歳8ヶ月)は満2歳のときに自閉症と診断され、さらに満3歳
の検査では重度の自閉症と診断されました。 
満3歳からは地元の小学校の中にある自閉症児のクラスに毎日通っています。
ABAは2歳5ヶ月からスタートしました。
2歳5ヶ月~3歳        12時間/週 (家にて)
3歳~3歳7ヶ月        8時間/週  (学校にて)
3歳7ヶ月~3歳8ヶ月(現在) 17時間/週 (学校にて8時間 家にて9時間)

ABAを始める前は言語はゼロ、音を出すことさえもめったになくおとなしい子で
した。
一人で一つのことに夢中になり、アイコンタクトは本当に乏しく母親にでさえ目

をあわすこともなく、抱かれたり触られたりすることも大変苦手で、人との接触
を避けているかのように感じたのを覚えています。

セラピー(ABA)は1人のセラピストと1対1で個室で行います。
ABAをはじめた当初、それまで自由奔放に過ごしてきた彼にとって、人と長い時
間束縛されて一緒に過ごすことはとても辛かったようです。(もしかしたら環
境、生活リズムの変化によるものだったかもしれませんが) 1ヶ月近く疲れき
るほど泣き叫んでいました。 やがてだんだん人といることに、そして「学ぶ」
と言う環境に慣れてくると今度はイスに座る練習、おもちゃで遊ぶ(正しい遊び
方で)、模倣などを学びます。
イスに座る練習は、はじめはイスに”ちょこん”と一瞬座っただけでもたくさん
ほめられ、大好きなクッキーをご褒美にもらってました。 それができるように
なると、次は5秒、10秒、30秒と座れる時間を徐々に長くしていきます。

どんな練習(訓練)でも、少しずつ進めます。 見ているだけでも気が遠くなる
ような道のりです。 同じことを毎日何週間もやることもあります。 そしても
し100%の確立できるようになっても、それを忘れないようにまた何度も何度
も繰りかえし、やがてそれが自然にできるようになってゆきました。

2歳7ヶ月からOTとスピーチセラピーが始まり、2歳8ヶ月で待ちに待った言語
が出始め、3歳からは学校がスタート。 このころから急に私(母親)になつき
抱っこを何度もねだったり、私の近くにわざわざおもちゃを持ってきて遊んだり
することもありました。アイコンタクトもとてもよくなり何秒も目が合い続けた
り、また相手の表情や声をよみとることもできるようになりました。
私はセラピストが教えている最中のドリルに関してはあまり介入しないように
し、彼ができるようになったドリルをいっしょにやって、たくさん褒め、そして
一緒に喜ぶ役に徹することにしています。
言葉が出始め、理解力がついてくるとABAの飲み込みもとても早くなったように
感じます。

このように”人とのかかわり”が持てるようになったことが、彼にとってABAの
最大の成果だと思います。 
そしてどの子にもそれぞれの性格、機能にあった療育でなければいけないと思います。

IEP会議って??

-アメリカのIEP会議って???-

みなさんももうすでにご存知のようにIEP(個別指導計画)会議

こちらアメリカでは最低年に一度は開かれます。

これは子どもが年間を通じて、どのように学ぶかを親と先生やその子どもにかかわる

関係者達と話合い決めていくものです。えっくんのIEPに参加してくださるメンバー

担任の先生、学校区からのAutismスペシャリスト、言語の先生、OTの先生

PEの先生、そして、えっくんが通常だったら行く年齢のクラスの先生(1年生だったら

普通級の1年生を受け持つ先生)、ホームプログラム担当のスーパーバイザー、

リージョナルセンター(国)からエジュケーショナルコンサルタント、(親がつまずいたときなど

代わりに代弁してくれたりする、強力な助っ人です)プライベートのスピーチの先生、

そして、私たち、が参加して、計画を立てます。

このIEPは法的な書類であります。

したがって、IEPで書かれたことは確実に実行しなければなりません。

ですので、中にはIEPに弁護士などを連れてくる場合もあるのです。

学校側が、あれもしています、これもしていますと言葉で言っても

IEPに書かれていないと、しなくてもいい事と同じになります。

そのため、親としては、事細かいことをIEPに書きみ、チームの同意を

求めることが必要になってきます。

療育が進んでいると言われているアメリカでも

地域によってはずいぶんとIEPの方向性も違ってくると思われます。

ですので、一概にはこれがいいとはいえないのですが

昨年からの息子のIEPをご紹介したいと思います。

-えっくんのIEP-

えっくんのIEPは毎年5月に開かれます。これはAnnual Goalといって

総合年間の計画のIEPです。

PEP-Rテストを学校でして、その評価のもとに計画書を作成します。

まず、IEP会議の前に私たち親は学校に息子がどのように年間を通じて学んで欲しいかの

設定を書き上げます。(私たちの場合です)

私はいつもBehavioral Intervention for Young Children with Autismという

わが子よ声を聞かせてでもおなじみのキャサリンモーリスさんが書かれた

書物を参考に、計画を立てます。

そしてそれを学校に提出します。

すると先生は私たちの親が希望する方向も考慮にいれながら、年間の計画を作ってくれます。

それを今度はIEPでどの方向でそのプログラムを立てるかを先生、学校区のAutism Specialist

学校の言語の先生、OTの先生、ホームプログラムのスーパーバイザー、ときにはプライベートの言語療法士の先生、国からのエジュケーショナルコンサルタント(親が希望した場合)そして私たち親とで話し合いながら、計画をたてます。

この計画はとてもこまかく数値で表されます。(以下参照)

IEPをみただけでは実際のプログラムを教室でどのようにしているのかはわかりません。

IEPを元に先生がその子にあった方法を検討し、教材などの作成をし

データをとって行きます。

このデータを親も管理することはとても重要で、データの表れによっては

IEPをまた再度開き、プログラムの変更をしたり、しなければなりません。

今年度もすでにIEPを開き、息子のプログラムの建て直しなどをしました。

あと2回のIEPを行う予定でいます。

えっくんのIEPの中の1ページです。

必要科目受容の名づけ 
年間目標
5月5日05年までにえっくんは受容の名づけ、8つの物を自然な環境設定の中でサ
イン言語の補助により先生とそのスタッフの記録に基づき80%正確に出来る様にする。
評価進行状態 
 
短期の目標
11月04年までに、えっくんは受容の名づけ、3つの物を自然な環境設定の中でサ
イン言語の補助により先生とそのスタッフの記録に基づき80%正確に出来る様にする。
  
 
短期の目標
03月05年までにえっくんは受容の名づけ、6つの物を自然な環境設定の中でサ
イン言語の補助により先生とそのスタッフの記録に基づき80%正確に出来る様にする。
 

えっくんはPEP-Rテストの結果でも受容の名づけがとても不得意です。

何年も何百回も試行をつづけてもランダムローテーションになると

混乱します。

いわいる、キャパシティが1しかないのです。

バナナを教えます。すると何十枚のカードのなかからバナナを選択することができます。

ここまではいいのです。しかし・・・・

りんごを教えると、また同じくりんごを何十枚のカードの中から取ることができます。

しかし、この覚えた2つをまぜてしまうと混乱します。

そのため、このIEPのたった一ページの項目にすごい時間をかけて

どのようにしたら学べるか、壁をクリアできるかを話しあいます。

強化子は学校ではどうするか、家ではどうするか、言語の時間ではどうするか、

SDの出し方はどうするか、すべて統一したほうがいいなど・・・

彼の回答はどこまでが正しく、どこからが不正解か、

SDを出したとき、目線を合わせないようにする。

などいろいろと話合います。

今回のIEPでは正解した場合、デスクから即離れ、般化した状態でも

試行をするということにしてみました。

しかし、それでもなかなかむずかしいようですがデスクで学ばなくても

どうやら実用性のあるものはできてきているようです。

たとえば、そこのごみを拾ってゴミ箱にすてて・・・というような

ことはできるのです。

また、靴下と靴を履きなさいと言うとできるのです。

しかし、デスクで靴下ちょうだいとなるとなかなか難しいので

デスクでのトライアルはあまりしないようにしました。

IEPの中に自然環境の設定とあるのはそのためです。

このようなページが20数ページにもわたってあります。

その項目はこちらです。  

1.書く(自分の名前を書く訓練) OTの時間

2.切る (2かくの線を切る) OTの時間

3. 感覚統合(感覚統合によってどのくらい落ち着いて座ること
       または活動に参加できるかを図る。)OTの時間

4. コミュニケーション 5つのサイン言語、またはジェスチャーを用いてのコミュニケーション

5. 連続動作 6つの機能的な動作を視覚やスケジュールなどを用いて、の訓練

6.シンボリックプレイ 4つのシンボリックプレイ(象徴的なあそび)

7. スケジュール スケジュールボードのアイコンを白黒に表示する。

8. 自主的な活動 6タスクを自主的にこなす。

9.読む 8つの絵と文字のマッチング

10.コミュニケーション 7種類の色をサイン言語、PECS、などで表す。

11.プリアカデミック 6箇所の身体の名前の理解

12.プリアカデミック 受容の6種の色の名前

13.表出言語 10の表出言語を般化させる 言語療法の時間

14.受容言語 10の受容言語(動作)○○見せてという指示で行う。言語療法の時間

15.口の運動 口の動きの訓練

16.発音の訓練 b.p.m.n.ng.w.d.t.k.g.h のサウンド

17.種類 PECSを用いて種類を表す。

18.家族構成 PECSを用いて家族の名前を理解する。

19.要求 PECSを用いて、要求を増やす。

20.動作 PECSを用いて動作を表現する。

21. Yes,No の質問 PECS を用いる

まだ他にも体育の時間などの項目があるのですが、このように細かく表示され

さらに数値と期間をあらわしています。

そしてこれではどのように試行をするかはIEPの書類だけではわかりません。

これを元に先生は生徒にそって、プログラムを立てます。

-親の希望の導入-

また、親の希望などを導入していく場合は

やはりIEPの最後にチームミーティングノートという用紙にひとつひとつ記載されます。

これをチームが同意をするか、そうでないかで実行されるものそうでないものがでてきます。

今回私たちが学校に要求したことは、PECSをフルに活用して、

もっと質の高いコミュニケーションを図ること、

それにはチーム全体がプロフェッショナルからトレーニングを受けること。

学校でとっているデータを毎日家に持って帰ってくること。

スピーチセラピーをプライベートのスピーチセラピーと協力して行うこと。

休み時間に一人でいることがないこと

どこにいくにもPECSブックをもっていくこと

などをこちらからお願いいたしました。

IEPは毎回、話しがもつれたりして難しいのですが、

学校にしろ親にしろ、そしてプライベートで行っている言語療法などもすべて、

同じような目的で協力しあう体制があります。

その部分はとてもよいことだと思っています。

-アセスメント-

また、IEPで大切なのはアセスメントです。

えっくんが使っているPECSなどや子どもの問題行動など必要性のあるもは

アセスメントを学校に希望します。

希望したアセスメントは学校側が却下する場合もありますが

子どもに必要があれば、アセスメントを行い、現在の時点ではどのレベルにいて

将来的にどこまで伸びるかの評価をしてもらいその結果をもとに

IEPを開き、プログラムを導入するということもします。

こちらでは様々なサービスが存在しますが、それをどのようにして親が我が子の為に

獲得するかが一番大変なところです。

現在えっくんはアッセッシブテクノロジーというアセスメントをしております。

PECSを含め、パソコンやタイプライターなどいろいろなディバイスの必要性や

彼のレベルをはかるものです。

また結果がでたらお伝えしたいと思います。

第10回 えっくんはもう10歳

いつもえっくんレポートを読んでくださっている皆様、

大変長らくお待たせいたしました。

2002年から始まったえっくんレポート

今回で第10回目、なかなか更新できていませんが

時が経つのは本当に早いものです。

えっくんはもう10歳、診断されてから早7年半が経ちました。

内容ぎっしりの7年半、いいこともわるいこともいっぱいありました。

10歳はまだ小学校5年生ですが、アメリカでは小学校は5年生を終了後

中学校にあがる地域もすくなくありません。

えっくんの住んでいる地域もそうですので、来年は中学生になります。

えっくんが中学生なんて考えられないし考えたくもない

しかしあっという間に来るんですね。

子供の成長はうれしいですが、なんだか非常に複雑です。

私はいままでを振り返って後悔することも多分にありますが、ABAの訓練をしてたことは本当によかったと思っていますし、これからも続けていくつもりです。

しかももしもしていなかったときのえっくんを想像すると怖いくらいです。

何よりも学習するという環境を作れたことは、10歳になったいま

教えやすくなったということは事実です。

そしてえっくんは私の話していることのほとんどを理解しています。

ただ10歳の男の子はパワフルかつ、えっくんは多動、かつ彼はスポーティで細い体ではあるのですが、かなり力が強いです。

そして反抗期!自閉症!反抗期!自閉症

ア~ンド

反抗期!

こんなとき、もしわが家で問題行動への対処方を知らなかったら

どうなっていたか、考えただけでも恐ろしくなります。

というか過去の小さな問題行動で訓練しておいてよかった?!

えっくんに指導する私たち家族ではあるのですが、日々同じように家族も学んでいるというのが本当です。(かなり苦戦するときもあります)

ですので、えっくんが11歳になったとき、12歳になったときそれはそのときでまた私たちもいろいろ勉強していることでしょう。

ただ、その勉強は少し先回りしておくともっと早いうちに、変な行動がこだわりに変る前に抑えることができると思います。

現在、国からの援助で受けているのは、ABCスクールというコンサルタントからセラピストさんが月曜日から木曜日まで学校が終わってから2時間半のセラピーをしにきてくれます。ABCスクールは自閉症のための特別な学校で、ホームセラピーのセラピスト派遣もしてくれます。

えっくんのセラピーですが、この年齢で少しずつ考えなければならないのが彼の将来と自立。まだ10歳と言っても、彼の学ぶスピードを考えたら決して遅くない。そこで、自立中心のプログラムを作り、課題分析TA(Task Analysis タスク・アナリシス)という方法でえっくんに指導しております。

さてTA(課題分析)とはどのようなプログラムでしょうか、

この方法は現在わが家に来ているコンサルタントから指導を受けて、いくつかの課題に成功したのでご紹介したいと思います。

まず、彼の出来そうな簡単な項目をあげます。そして徐々にハードな項目も将来のターゲットをあげておきます。身辺自立向けの本などを参考にされてもいいし、私たち大人の普段必要な行動をとりあげていってもいいと思います。

たとえば

歯を磨く、髪の毛をとかす、テーブルを拭く、

このような動作は生活していく中でとても必要なことなので

ぜひ、一日朝起きてから私たち親がいないことを想定して

課題をかきたしてみてください。

その中で近い将来、もしくはいま必要なこと、できたらいいなあと思われることなどをひとつ選抜します。(簡単なものがいいです)

さてそれをパパとママまたはお兄ちゃん、お姉ちゃん、協力してくれる人

たちとチームミーティングを開きましょう。家族の協力が必要です(できれば)

そしてこのような簡単な表を作ります。

例として髪の毛をとかす

タスク日付PPPPH
指示(髪をとかそう)   
1ブラシを右手に撮る   
2左側の髪の毛を上から下にとかす   
3右側の髪の毛を上から下にとかす   
4後ろ髪を上から下にとかす   
5前髪を上から下にとかす  
以下省略します。

できるだけ一つの行動を細かく書き出します。

書きだしたら一度それにそって行動してみましょう。

歯を磨くなどかなり長い行動になっていきます。

そして指示を一度だけだします。

「えっくん!髪の毛とかそう!」

するとえっくんは洗面所にいきます。

指定の位置のところからくしを取り出します。

ここでPPと書かれているのはPhysical Prompt 完全にプロンプトします。

ABAなどをされているとプロンプトとう言葉をよくつかいますが手助けという意味です。このプロンプトはなるたけ本人の背後からおこないます。

PPHとはPartial Physical Prompt完全ではなく少しの手助けになります。

模倣のようなプロンプトは、あまり好ましいヘルプではありません。

子供によってはこのプロンプトがないとできなくなることもあるので

自立を対象としたプログラムでは極力使わないようにします。

TAの指導方法は、最後の方から教えてすぐ終わらせる、これは自分でできたという達成感を与えて褒めて終わらせることによって、次も頑張ろうと思わせるやりかたもあります。または最初から表通りやる場合もあります。

ここで子供が間違えてしまった場合はバックステップと言って

正しく行われていた場面からもう一度やり直しをさせます。

何度か繰り返していくと、子供もこの順番がわかってきます。

ところどころでプロンプトが必要でなくなったらそこは自分でさせます。

TAプログラムの基本は助言なし(声をかけない)で行います。

終了したらほめます。強化子はABAと同じです。

上記にあるチェックリストにどの場面でどちらのプロンプトをつかったか

チェックして書き込みます。

ですので、チェックを見れば一人でできる部分とそうでない部分がわかり

どの場面ではプロンプトをしなくていいかまた必要かがわかります。

またPPHの場合は少し間を置いて本人が習得したかどうかを確認しながら様子をみます。

タスク・アナリシスの良さはすべての行動が統一されているので

教える人がかわってもこの表にしたがった順番で教えていくことができます。

場所が変わって学校でも先生の協力でできることもあるかもしれません。

さてこのようなプログラムが組まれているえっくんですが、髪のけをとかす、雑巾を洗う、テーブルを拭く、洗濯物をたたむ、など少しではありますが、できるようになりました。

できるようになったというのは1指示でプロンプトなしで行動ができるということです。

ただまったくきちんと私がするようにはできませんが、それはもっとこれから数をこなすことによって改善されると思われます。

現在彼にとってはとてもハードな歯を磨くと一人でシャワーを浴びるをタスク・アナリシスでがんばっております。

この課題は表にしても2ページにもなってとてもむずかしいタスクです。

でも必要なことなので少し時間をかけてやってみようかと思っています。

こちらのかわいいイラストは私の親友イラストレーターのErikoさんが描いてくださいました。ありがとうございます。

それともう一つ国からの援助でえっくんは空手を習っています。

これも最初はどうなることかと不安でした。

でも、2回3回と連れていくうちに、順番を待つようになってきました。

何度もサンドバッグに飛び乗ってサルのようにぶる下がっていたのですが

ようやくそれをしても褒められない、他のことをした時の方が

みんなの反応がよいと気がついたのでしょうか?

だいぶ空手らしくなってきたように思います。

こちらのクラスは全員自閉症の子です。かなり大勢くるのですが

みなさんそれぞれ、楽しそうにがんばっています。

さて、10歳の超がつく多動の男の子、しかももれなく自閉症くん

いろんなことをしてくれました。

元気いっぱいの男の子。

本当だったら学校から帰ってきたらかばんをほおりなげ、外で暗くなるまでお友達と遊びたいでしょう。

でも彼は家に帰ってきて、お友達もなく、セラピストさんがくるわけです。

どんなにストレスがかかるか、自分に置き換えたらたまらなくいやではないでしょうか?

それをいかに楽しく、いかにストレスがかからない関わり合いをするか

こちら側の努力なのでしょう。

またえっくんは体操教室にも通っております。どうもスポーツは好きなようです。

最初習い始めたころはトランポリンが大好きだったので

そこばかり行っていたのですが、やっと最近ではすべての課題をこなすことができました。

細くて背が高いわりには筋肉質で、力も強く、母としてはちょっとうらやましいのですが、私よりも絶対背は高くなるし、力だってもっともっと強くなるはず、でもえっくんは私とじゃれあって遊ぶのが大好き。

この体いつまでもつことやら!

えっくんの言葉ですが、なかなか表出言語の伸びは少ないのですが

歌がうまくなってきました。音楽って結構課題に使えます。

一曲ですが、次女のあっちゃんが一緒に毎日何回も歌ってくれた結果です。

♪I love you

You love me

We are a happy family

With a great big hug and a kiss from me to you

Won’t you say you love me too.♪

このフレーズを歌ってくれます。

えっくんの声を聞くとホッとします。私の活力になります。

えっくんの成長をまたお知らせできたらと思います。

いつも読んでくださってる方々ありがとうございます。

次は更新、早めにするぞ!?!

えっくんママ

PS.ひとつ元気になる話

現在お子様の中では多動で療育困難なお子様もたくさんいらっしゃると思います。うちの子もそうでした。

ソファの上でジャンプしたり、買い物にも連れて行けず、

追いかけるだけで大変でした。

セラピーだってなかなか集中できないし、座ることもきらいだったえっくんです。でも10歳になったいまは他の子とくらべれば落ち着かないところもありますが、ちゃんと一緒にコンサートに出かけて、2時間ちかく席をたたずに座って、まわりが拍手すれば一緒に拍手をします。

大好きなキャラクターが出てきてあっ!とういう表情をしたえっくん

子供は少しながらに成長しています。良い方にも成長します。

3-4年前はこんなこと考えられなかった光景です。

レストランでもちゃんと座って食べます!

今年は脳波の検査もしちゃいました。

私たちがあきらめないことが成功につながります。

もう一つ!お出かけのときは強化子バックを子供に持たせましょう。

リュックみたいの。

あの重みが落ち着いたりするというOT(作業療法)で習いました。

アメリカの療育の中ではOTはなくてはならない科目になっております。

ペンをもって筆圧を強くしたり、はさみで線の上を切ったりということだけではなく、学習しやすいように落ち着かせるということもしています。

また次回のえっくんレポート、早めに更新しますね。!

読んでくださってありがとうございます。

第9回 自閉症と診断されて、親たちは・・・

自閉症と診断されて、親たちは・・・

自閉症と診断される前、どこかおかしい、なぜ集団に入れない?
言葉が遅いなど、なんだかの異変に気づくものの、
診断後はやっぱり違うのではないの?
または診断の時に、「様子を見ましょう」
「たぶん大丈夫ですよ」というような言葉を期待しながら診断を受ける。
そして、自閉的傾向または自閉症ですと言われて、
「自閉症って何ですか?」または
「治りますか?」と聞く親が大半ではないでしょうか?
その答えには、自閉症は治りませんと言われて、あせり、どうにかして
良くしなくてはと、本屋に駆け込み、
ネットで検索を始める人が多いでしょう。
そのとき、親は将来の夢のすべてを打ち砕かれ、結婚は無理?恋愛もだめ?
車にも乗れない?学校は特別学級?養護学校?
友達はできない?一生話をすることは無理?じゃあ、ママって呼んでもらえない?
パパは野球やサッカーを一緒にするのを夢見ていたのにそれも無理????
こうして、たくさんの希望や期待が一気に消され、じゃあ何をすればいいの?
という孤独で過酷な気持ちを味わいます。
そして子どもはまだ2歳や3歳という一番かわいい盛りなのです。

親はいても、立ってもいられない気持ちになります。
何かしなくては、でも何をしたらいいのだろう。

ある親は、専門書を読みあさり、寝ないでネットに向かい、
世界中からありとあらゆる情報をかき集め、
どうしたら、愛する我が子が良くなるか、勉強を始めるでしょう。
ある親は、毎日泣き、絶対に認めることをしたがらないでしょう。
ある親は、自分の育て方が悪かったのかと自分を責め、なぜ自閉症になったのか
こころ当たるありとあらゆる原因をさぐり、ときには相手方を責めて
しまうこともあるでしょう。
ある親は、毎日繰り返す癇癪で、疲れきって、
暴力に発展することもあるでしょう。
ある親は、診断後、自分の子が可愛くなくなってしまうときがあるでしょう。
ある親は、一緒に死んでしまおうか?
生きている意味はない、と考えてしまうでしょう。

こうして、親はこんなにも世の中で一番の不幸を背負う羽目になったかのような
気持ちになります。
人はかわいそう、気の毒だと思うでしょう。

こんなとき、もしもこんなとき、私達親のためではなく、子どものための
療育のシステムが整っていて、
早期療育がすぐに受けられる体制が国にあったら
私達親はどんなに救われるでしょう。

私はいろんなところに相談にいきました。
きっとみなさんもどこに行けばいいのかも
わからず、それでも、ここがいいのではと言われれば、
そこに足を運ばざるをえない気持ちにもなったでしょう。

私の場合、そのような場所では必ず、と言ってよいほど、
早期療育の大切さを耳にしました。
ではその早期療育はどこで受けられるのでしょうか?
その答えは、早期療育というよりは、同じ程度の子どもたちを集めて
行われているプレイセラピーのようなものが大半で、結局は親の私どもが自分達で
療育をするという結果になりました。

悩んで、苦しんで、挙句の果てには親が療育する。
でも、利点もありました。我が子と一生を共にするのは
私達家族であること、毎日を一緒にすごしているので子どもの特徴などは
親が一番理解していること。

ただ療育に取り組んでみると決して楽ではなく、難しい子どもと向き合って
一つ一つ何かを教えていくのはとても大変なことでありました。
軌道に乗り、自分で教材などを作り、やっと子どもの反応が見られ
手ごたえを感じたのは、時間がかなり必要でした。

そんなとき、親の負担を少しでも除いてくれるセラピストさんが
もしいたら、私達はどんなに助かるでしょう。
毎日、長時間とは言わなくても、週に3回、4回2時間か3時間でも
家庭訪問をして、子どもとかかわってくれたら、どんなに私達は
助かるでしょう。
子育てをする、家事をする、普通の生活でもやらなくてはならないことが
いっぱいなのに、子どもの療育にサポートがなければ、どんなに大変か

アメリカと日本の療育の差を経験して
たくさんの違いを見てきましたが、アメリカに住んでいても
日本人である私は、やはり日本のシステムが整ってほしい、
親がすべての負担を背負わなくてもよいシステムが
早くできてほしいと願っています。

第8回いまもやってます

そしてえっくんの新しい学校

現在7歳の息子は、現在も自閉症児専門のクラスがある学校に通っています。
昨年の9月に引越しをして、えっくんも転校したのですが
このクラスがあまりもひどく、こうなったら、また私達がABAをするしか、
あの子を伸ばしてあげられる方法はない!と思い、
またまたABAをすることになりました。

不得意な受容の名前付けです。

実物を使ってはじめました。
最初は、いつも聞きなれている言葉
靴、ズボン、ジュースこの3つからはじめました。

この課題は本当に大きな壁でした。
えっくんの壁はランダムローテーションができませんでした。
常に1つしかわからずもう1つ違う物を教えると
前のものがわからなくなっていました。
この何度も何度も実物での試行を、デスクでではなく
リビングルームに物を置き、「靴をかごに入れて」
というような指示ではじめました。
ついに3つの物をクリアしてから
絵カードでためしてみました。

そして・・・

ABAをはじめて4年半にてやっと受容の名前付けがランダムで
できてきました。他の子にとってはとても簡単な課題なのかもしれませんが
うちの子はこれが大きな壁でした。
いまでももう一つ増やすというのは、とても時間がかかりますが
これもあきらめなければ、また一つ増えるのです。
3つから始めて現在はランダムで物の絵カードが6つ
動作の絵カードが4つに増えました。
実に長い道のりでした。
うちに来てくださったたくさんのセラピストさんも本当に
この課題だけはどうしてもクリアできず、それでも
絶対にあきらめないでいてくれたこと
いろんな強化子を使って、挑戦してくれたこと
学校もあきらめずに、これを取り入れていてくれたこと。
スピーチの先生もこの課題を毎回してくれていたこと。
そして私達がどうしても、これをクリアしてもらいたかったこと。

しかし、4年も続けて手ごたえがなければ、誰でもが
やめよう。できないんだよ。と思ってしまう。
でも今回のことで、続ける価値が大いにあったのです。

この課題は写真と文字のマッチングですが
どうやら文字が入ってきて、理解しているようです
毎回のドリルで写真は変えています。

なぜ再びABA?

えっくんが診断された当時、(今から5年前)えっくんパパは
アメリカの自閉症の親のメーリングリストに投稿し
どのような療育を家庭でしたら一番よいか、
早期療育はどのようにしたらいいか、
また参考になる本はどのような本か?教えてくださいという
質問に対して返ってきた返事はこうでした。

まずABAを何よりも早く始めてください。
家庭で椅子と机を用意して
マッチングなど簡単なことから初めてみてはどうでしょうか?
参考になる本、診断されたばかりの方でしたら
「Let me hear your voice」
これがえっくんパパが調べたリソースでした。

私は私で、日本語でのリソースを調べました。
そして出会ったつみきの会
ここで教わったことと、パパが調べたリソースが
一致しました。

そしてABAってどうやるの?から始まりABAを取り入れ
私達はいまでもこの指導方が一番息子に適していると思っています。
ですので、何をするというのではなくもちろんABAをすることに
なったわけです。いままでも何もしていなかったのではなく
学校に期待できない分、またもう少し時間数を家庭で増やす方向で
行うということなのですが・・・・
学校に通うメリットとデメリットに関して、担任の先生がよくない場合
一年間を無駄に過ごしてしまう可能性があるわけです。
これはアメリカだけではなく、どこの学校でもそうでしょうけれど
転校して初めて、以前に通っていた学校がそして先生と
エイドさんたちがどれだけすばらしかったか
身にしみてわかりました。

現在のクラスですが
まずクラスの環境がとてもとても自閉症児を扱う教室の
環境ではなく、私が見学に入っても、私自身が集中できないくらい
ごちゃごちゃとちらかっているお教室。
もうこれだけで、自閉症児を扱うクラスとしては失格!

PECSを使ってのコミュニケーションがもっとも有効とされている
息子のPECSブックが常に棚の下にかくれている。

このような状況からして、息子はあまり学校では学んでいないと
考えています。

このような学校の場合、アメリカですと
IEPのミーティングに弁護士さんを連れて参加される親も
少なくはなく、今回はじめて、弁護士さんにIEPを
お願いすることになりました。

つまり、IEPで学校側との意見が成立しない場合
学校区を訴えるという手段をとることにしたわけです。

このようなことは親としてできればしたくないのです。
でも、息子は7歳、これからだってまだまだ伸びるはずです。

そして次回の弁護士を連れてのIEPは来月です。
この報告は次回の続きということにいたします。

                       えっくんママより

第7回 BCBA取得者のジムさん(行動療法家)が我が家にやってきた!

えっくんが起すビヘイビア(問題行動)を治す訓練をしにきました。
予定どおりの時間に、ドアのベルがなり、ドアを開けると大きな体格のとってもよい中年のおじさんでした。
この人がうちの多動坊やをどうやって追っかけられるのかな?
と思ったのですが・・・・
いままでBCBAを持った方に指導を受けたことがなかったので正直
とても期待しておりました。

ジムさんは、来るなり、大きな紙コップにコーヒーとドーナッツを買い込んで
きました。そしてできればえっくんを外に出してくださいと指示があったので
娘に頼んで外で遊ばせていました。
これはジムさんがこれからえっくんの問題行動を話すにあたって
彼に聞かせたくないというご配慮からなるものでした。
話していることはもしかしたら、本人は理解していないかもしれない
でも、自閉症児の可能性は奥にいっぱい詰まっている!
何がわかって何がわからないなど、判断しきれない。
そうおっしゃってくださったので、彼の指示にしたがいました。

そしてえっくんがどのような問題のある行動をするかについて
説明をしました。

まず、椅子に座る時間が短く、椅子の背もたれに座りたがるし
テーブルの上に座りたがる。

そういうとジムさんはではそのとき、お母さん、お父さんの反応はどうですか?
私は座りなさいと指示を入れます。と言いました。
えっくんパパも同じでした。
するとジムさんは、その後のえっくんの様子はどうですか?
と聞かれたので指示どおり、短い時間ではあるけれど
椅子にちゃんと座ります、というとペンを取り、メモをとっていらっしゃいました。

また、物を家具の後ろに投げて隠す。
庭から隣の家の裏庭にものを投げる。

えっくんには細かく観察すると目立たなくも問題行動がいっぱいあります。

☆ 一つにはコミュニケーションの伝わりがままならなかったとき。
☆ 人の気をひかせるために、わざと人が目を向けてくれるような悪さをしたとき。
☆ 自己刺激行動。

こうして分析してみて、えっくんが起す問題行動が
こちらのどの項目にあてはまるか、考えます。

それによって対処の仕方をきめます。

ジムさんはこの次までに私達に宿題を残してくれました。

まず、食事中に机や椅子の背もたれに座ったとき、食べ物は片付けてしまう。
そして家族全員無視をします。
目もあわせない。
だめ!などと言わない。

そしてえっくんがちゃんと椅子に座ったときこそ、みんなで
褒めてあげる。ジムさんは、えっくんがする良い行動のときは
とてもよくほめていました。

我が家族の行動を見て、ふと思いました。
私達はえっくんが普段何気なくしている正しい行動に対しては
あまり特別に褒めたりしていませんでした。
むしろいい子にしているのだから、そっとして置こうなんて思っていました。
しかし、そうだとすると、悪い行動をおこしたときは
誰かが「だめよ!」「座って!」などと声を掛けていました。

そうだとすれば当然、えっくんはみんなの気を引きたいのですから
椅子の背もたれに乗った方が、誰かが声を掛けてくれるわけです。

こうして問題行動が発生したときは、原因を探すことから
初めて、対処法を家族全員で協力しながら、行うことが
一番よい方法だとおそわりました。
そして、もしもだれかが無視をするべきときに
話かけてしまっても、その人を攻めないで下さいといわれました。
その代わり、家族会議を週1回でも開いて、あの時、
言葉かけちゃったわね。などと話あうことはとてもいいことですと
指導を受けました。

その後・・・・
まだまだ完全無視が完璧にできていないえっくんファミリーですので
この問題行動に対して対処はどうやら、長期戦になりそうです。
しかし、すこしだけ変化がありました。
私の顔を見るなり、ちゃんと椅子に座るようになってきています。
もちろん、まず背もたれに座ろうとします。
その瞬間に一度私と目をあわそうとします。
すると、ちゃんと椅子に座ります。

また食事中はずっと座って、食べることが増えてきました。
一度でも立ったら、おしまいといって、自分で残した物を
片付けさせることをさせています。

えっくんは小さいとき、私が無視をすると
自分の頭をたたいたり、壁に頭を打ち付けたり
床にねそべって、足をばたばたさせたり
ものすごい癇癪を何度も起しました。
そのときは無視をすると危険だと思い、なるたけ無視をしなくても
いいように、未然に防ぐ方法をとっていました。
そのために環境を変えたりもしていました。

しかし、現在7歳、ほとんど癇癪を起さなくなったえっくん
無視が効き目をあらわしてきたようです。
無視するってとてもしんどいですが・・・
問題行動なくなるまでがんばります!